2月に祖母宅に泊まりに行った時

庭で撮った梅の花。



西条庭


この花を見た時、なんだか急に

すっと寂しい気持ちになった。

すごく寂しい気持ちになった。

  

でも同時に 

どんな悲しいこと、寂しいことがあっても

同じ世界のどこかには小さくても必ず

希望が咲いているんじゃないかなあと

花を見ながら思った。

  

最近祖母の体が心配で、

元気な母のこともなぜか時々不安になって、

また自分だっていつどうなるかわからない、

と思うことがある。 


死んでしまったらどうなるのか、

天国みたいな都合のいい場所はないと思うし

キリスト教が言うような永遠もない気がしていて

本当にひたすら無なんじゃないかなと思っているけど、

一方で私は昔から心のどこかで

「生まれ変わる」と信じている気がする。

 

太古の海に一番最初に出現した生命は

もちろん最初の瞬間はたった一つ。

それが今は途方もない数の生命があるのだから

「生まれ変わる」というのは

どう考えても数が合わないぞ?!と思うんだけど、

私の死後、自分の命の一部が

他の誰か、他の何かの命と少しずつ融合して

また時間をかけてどこかで存在できる気がしている。

 

梅を見て、寂しかったけど

でも希望のようにも感じられたのは

きっとそういうことなんだろう、と思った。

いい大人が、バカバカしい気のせいなんだけど

できればできれば、そうだったらいいな。 


 

昨日電話で祖母に聞いてみたら

3月になった今は

すっかり散ってしまったみたいだけれど

写真を撮った時点(2月上旬)はまだ

いくつかの枝に1つ2つくらいしか咲いていなくて

祖母の家に行くのがあと数日早かったら

会えなかった花なんだなぁ~と

あの時見つけることができてラッキーだったと思った。

 

もし生まれ変わることがあるのなら

祖母の孫でいられるのも

母の娘でいられるのも 今だけ。


あー、でも 何度も何度も生まれ変われるのなら

またいつか祖母の孫として

どこかで生まれられるのかもしれない。

 

祖母には2月下旬から3月上旬までなら

梅がたくさん咲いているから、

来年はそのくらいの時期を狙っておいでと言われた。

来年のその時期にも

祖母には元気でいてほしい。

 

最近祖母との電話を切ったとたんに

泣きそうになってしまうことがある。

2月のある日にタイミングよく、

梅の開花を見られたことが小さなラッキーなら

1985年に生まれて今まで29年間生きて

人と話して笑って、悩んだりしたこの長い時間は

どんなに大きな幸福なんだろうと思う。

その間ずっと祖母は健在で優しくて面白い。

そんな祖母に、離れていてもずっと可愛がってもらっている。

私の人生には、ずっと幸せな時間が続いている。

落ち込んでいる時も、風邪を引いた日も

母とケンカした日も変わらなかったこと。

 

梅が咲いていようがいまいが

また祖母の家に行って

元気なおばあちゃんに会いたい。