有名な写真
桜の前で新しい中学の制服を着て写っている女の子
その年の秋に連れ去られたので
その日から35年間 両親に撮ってもらった写真は一枚もない。
子供を取られて 孫も監視付きの人質のような切り札にされて
取り返したいだけなのにどうして
横田夫妻が街頭で、講演先で 政府の前で
「お願い」しないといけないのかな。
めぐみさんのお母さん 早紀江さんが著書で
講演会に行くと呼びかけてくれた政治家(県議会や市議会)の方が
次から次へとそばに来て
滋さんや早紀江さんと並んで写真を撮ることを
情けなく思う、 と話していた。
私はそれを読むまで 横田夫妻と並んだり
握手している議員の写真をみると
「この人が拉致被害者救出のためにがんばってる議員さんかぁ!」
と頼もしく見ていたのですが・・・
本当に馬鹿だよなあ・・・
安否を心配して、助け出すことを一生懸命考えている人が
夫妻の手を取って写真を撮りたがったり
「がんばろう!」と拳を突き上げているところをTVに流したがるはずがない
自分のイメージアップの宣伝に使うだけで
その写真を撮るところまでが活動で
本気で解決しようなんて考えてない。
写真を断ってしまっては 「娘のことをよろしく」 とは言えないから
そんな撮影会も断らずに写ってきたのだそうです。
上っ面だけの人との写真ばかり 増えてしまっていると思うけれど
本当に撮りたい写真はそんなのじゃなくて
日本の桜の下で 綺麗なめぐみさんの笑顔を撮ることですよね。
有名なあの写真。
めぐみさんは当日病み上がりで(前日?まで風邪?熱だったみだいです)
すこし元気のない表情なので
「元気のない子」と認識されているかもしれないけれど
本当はお茶目でユーモアのある明るい子だともありました。
お友達のお母さんが病気になって 輸血が必要だと知っためぐみさんが
「お父さんの血液型が一致しているからすぐに病院へ行って!」
と急かして、滋さんは自宅からタクシーで駆け込み献血したそうです。
「お父さんは、よくお金を大切にとか節約しなさいと言うけど、
使うときはバーッと使う、いいとこあるんだね!」と変な褒められ方をしたと
滋さんは言います。
思いやりのあるめぐみさん。
日本にいたら 自分の生き方を自分で決める自由があったのに
北朝鮮では 「助けて」 と叫ぶこともできずに
辛い思いをしていると思う。
曽我さんや蓮池さん、千村さん夫妻と家族が
帰国を果たしたことはおそらく
まだ帰って来られない拉致被害者の耳にも
届いていると考えられるそうです。
(私はそんな情報すら当事者の耳には入らないと思っていましたが)
だとしたら 拉致問題が
日本で大きく取り上げられる前よりももっと
「待っている」
と思いませんか。
「あの人が救出された、じゃあ次はきっと自分を
助け出してくれる」
と期待しませんか。
でも最初の5人の帰国から、もう10年経ってしまいました。
私だったら、その10年はさらにむごいです。
その前の25年も辛いけれど 自分がここにいることを
気づいていて助けてくれない日本をどう思うかなと考えます。
期待を持たせておいて 生殺しだと思います。
もうとっくに、北朝鮮だけが悪いのだとは 言えないところに来ています。
北朝鮮の情報では、めぐみさんは精神を病んでしまって
自殺したと言われたけど、その日付よりも後に目撃情報がある。
40歳くらいの写真も出てきています。遺骨は偽物でした。
最初の25年を生き抜いたのに まだ助けられないことに
北朝鮮にも苦しめられ、守ってくれるはずの日本にも裏切られ続けて
二重に辛い思いをしているはずです。
日本が動かなければ、ほかの誰が助けられるでしょう。
震災の時、自然と助け合いができた日本です。
拉致問題解決にむけて もっと声をあげられると思っています。