1864年 『禁門の変(蛤御門の変)』
長州藩VS会津・薩摩・桑名藩との間で激戦があった。
* * *
日曜日に京都市上京区にある御所の近くに行ってきました。
大河ドラマ八重の桜のヒロイン、
新島八重が住んでいた 旧新島邸を見学するためです。
ネット予約をしたのが午後だったので
急いで準備してホタルくんと向かって
到着したのが15:40 少し前
「閉館は16:00ですが セキュリティ上、15:30で受付終了です」
ということで・・・外からしか見ることができませんでした^^;
ガーン。
受付終了ってネット予約の終了時間だと思い込んでいました
これから行く予定という方はご注意
15:30の最終受付には絶対間に合うように行ってくださいぃぃ~~
なんて、そんなギリギリに行く人いないっつのズビシッ
八重さん(&襄さん)のおうち綺麗でした(TへT)
中に入れなくて残念です。
資料館だけ入れて、襄の遺言等を見ました。(字が読めないよ~~っ)
新島八重は鉄砲をかついでいるイメージが強いですが
お茶もたしなんでいたようで、京阪・神宮丸太町駅を降りて
鴨川を渡り切った南側の橋のたもとに
八重と茶道の接点となった
裏千家十三世・圓能斎鉄中(えんのうさいてっちゅう)さんと出会った
『新英学校女紅場(にょこうば)』跡碑がありました。
私も茶道やってみたいわぁ
ついでに鴨沂(おうき)高等学校の
壮麗な正門(女紅場の正門を移築したもの)を見て、
御苑を西へ突っ切って 蛤御門(はまぐりごもん)もチェック。
旧新島邸と同じくらい見たかった門です。
長州軍が京都守護職である松平容保(かたもり)らを排除しようと挙兵した
禁門の変(蛤御門の変)で、激戦地となった場所とのこと。
八重の兄覚馬はここで会津の砲兵隊を率いて参戦し、
その時の怪我がもとで失明したそうです。
この門の梁に弾跡が残っている! ということなので
どうしても見たくてガン見しましたが、梁の傷は暗くて見えませんでした。
そのかわりに柱?扉の金具の近くには
ちょうど弾跡のような丸い傷が無数にあり・・・えっ これが弾跡?
ホタルくんはこれだと思う、と言っていましたが
それならわざわざパンフに「梁に跡が~」なんて書くかなあ・・・
「扉に無数の弾跡が~」でいいじゃん、と。
どっちなんだ。
梁って上の方に水平にある柱のことだよね。うーむ。
ずっと見てるとそれらしきものがあるけど、
ただの木の模様にも見えてわからない。
「蛤御門 弾跡」 でググると、梁ではなく
扉の傷がたくさんHITするので
これで良かったのかなぁ
弾跡って焦げてるものだとばかり思っていましたが
その扉の傷はえぐれて表の木の色より明るい色でした。
150年前のものとは思えない。
ぬーん、すっきりせん!笑
ずっと閉ざされていた門ですが 江戸時代の大火で初めて開いたので
「焼けて口開く蛤」にたとえて
はまぐりごもん と呼ばれるようになったそうです かわいいね。
どうでもいいけどなんでそれまで開かなかったのか
・・・門として意味ないじゃん。謎が多すぎる。次回に持ち越し。
ここで出てきた容保についておまけ的に、
門からさらに西へ少し歩いた先の京都府庁旧本館の中庭にある
6本の桜のうち1本が珍しい品種で 「容保桜(かたもりざくら)」と
名づけられているそうです。
日曜日は閉庁?日ですが 中庭は見ることができました。
まだ花も咲いていないしどれが容保桜かわからんな~と歩いていたら
ちゃんと立て札がありました^^ 容保桜 ってね。
立て札の説明には咲けば普通のヤマザクラよりも大輪で、
一文字状に咲く、と。一文字状に咲くってどんなんだろ??
親切に 開花した容保桜の写真がありましたが
できれば自分の目で「一文字状」を確かめてみたいです