大人のテーマパークの主役、遊女・花魁 だけれども
そもそも彼女たちはどこからやってきたのか?
美貌はもちろんのこと
お茶やお花等芸事に通じ
三味線やお琴等の歌舞音曲は当たり前~
囲碁将棋だってできますが何か?クラスの
究極の才色兼備っぷりを求められる遊女たちですが
生まれの良いお嬢様ではなく
・借金の形にとられたり
・両親と生き(死に?)別れたり
・家族の生活のためだったり
好きで遊郭に入ったわけではなく
苦境から這い上がるため常に己を磨き
客をつけて必死に生きていた女性たちが多かったようです。
~大門のこちらの主役たちの現実~
遊郭で死んだ遊女が投げ込まれるように葬られた寺があり、
「投げ込み寺」と言われていて、人気花魁にまで
上れなかった大多数の遊女たちの過酷な一生がしのばれます。
遊女の辛い境遇のことを「苦界(くがい)」と言うのだとか。
彼女たちの夢が、馴染み客に借金を肩代わりしてもらい
その客の妻や愛人となって
早く遊郭から抜け出す(身請けされる)ことだった
というのにもうなずけます。
山東京伝さんという戯作者兼浮世絵師兼煙草屋という
肩書多すぎの江戸っ子の男は
生涯に二度結婚し、
どちらの妻も身請けした遊女(花魁クラスではない)だったそうです。
彼がある時後輩の作家に語った内容ですが↓
「遊女にも賢いものや才能あるものがいる
妻となれば操正しく誠実なものも多い。
遊郭に身売りするのも
あるいは親のため、あるいは兄弟のためであり
そうでないものは稀である。
家族を想えばこそ その身を多くの客に任せる遊女を
どうして憐れに思わずにいられようか」
「商品」として扱われた遊女に
個々の人格を見出して尊重した人だったんだなあと思いました。
これはテーマパークでいうところの
着ぐるみの「中の人」を見ているということになるかなと思います
でも最後の「憐れ」という言葉は 現代と同じ意味で使われるなら
客に5ステップを要求し、威風堂々
「選ぶ権利」を持ったトップクラスの花魁の土台を揺るがすというか
「ああ、それ言っちゃうのね?『中の人、暑そう』とか言っちゃうのね?」
という感じです(なんのこっちゃ)。
江戸の人たちはみんな、
遊女たちが何のためにそこにいるのかを知っていたのだそうです。
ツンとして客を惑わせ時にうまくあしらいながら
その実莫大なお金を払わなければ抜け出せない閉ざされた苦界の意味を
テーマパークに遊びに来る人みんながちゃんと知っていたというのは・・・
ちょっとショッキングなことですね。
外からはテーマパーク、内からは・・・檻
それが遊郭の正体だと思います。
それをみんな知ってたっていうね。
1787年~ 寛政の改革
質素倹約で有名な 老中 松平定信 のこの改革で
派手派手の吉原はさびれます。
これを録画中に見ている時 ホタルくんが
「この人は真面目なんだよ・・・」
とボソっと言ったのが面白かったです。
・松平定信、まじめ っと、メモメモ。 ((φ(-ω-)
閉そく感漂う江戸の中で 喜多川歌麿の美人浮世絵は大ヒット。
斬新な視点で描いた花魁シリーズでは『理想の恋人・極上の美』を、
「青楼十二時」では『生身の遊女の姿』を描きました。
午前二時ごろ、疲れてフラフラしながらトイレへ立つ様子や
客が帰っていって束の間の休息をとる素の遊女(朝八時頃)など。
お金を払って遊ぶでもなく
憐れんで身請けするでもなく
チャラこいてんじゃねー!と統制することもなく
見たままありのままの遊女を描いた歌麿が
今回のヒストリアでナンバーワンだと思います
(番組では 歌麿が全く遊んでないとは言い切ってなかったので
狂歌会参加だけでなく馴染んでたのか?気になる)
番組中、
赤い柵?柱?の向こうに ロウソクの灯りで照らされた数人の遊女がいて
こちらを見ている映像が何度か流れましたが
美しくてかっこいい感じと、
檻の中の生身のカタログを見ているような切ない感じと
両方の印象を受けました。
江戸時代だけで19回も燃えた吉原遊郭。
木造密集地でさぞ燃え広がったと思う。
おかげで吉原の花魁・遊女の個々の日記、手紙の類は
何一つのこっていないのだそうです。
手掛かりはわずかに幕府の法廷資料があるだけ。
遊女(ゆうじょ、あそびめ)、女郎、花魁、青楼(せいろう)、傾城(けいせい)・・・
彼女たちを指し示す言葉はたくさん残っているのにネ