震災の日はいつもなんだか落ち着かず

地震について考えをまとめるのも難しいです。

 

震災当時 私は小4で

よく覚えているのは

学校が再開してから

他の都道府県の人たちから送られてきた

文房具の物資をクラスのみんなで受け取ったこと。

みんな一様に同じものをもらったのではなくて

全員違うものを受け取りました。

 

私がいただいたのは 今も持っている

黄色いハート形のかわいらしい小さな鉛筆削りで

顔も名前も年齢も知らないどこかのだれかが

震災をニュースで知って 私たちが

「勉強をするのに困らないように」と心配してくれて

提供してくださった事実に感動したのを覚えています。

 

そして同時に思うのは

私の住んでいる地域は

神戸に比べて被害が少なく

私は家がなくなったわけでも

文房具を失ったわけでもなかったのに

鉛筆削りを受け取ってしまったこと。

 

神戸には家族も住む家も

失ってしまった子供もいたのだから

そんな風にもっと深く傷ついた人こそ

その物資を必要としていたと思う。

 

本当に必要だった人にかわって

家も家族も無事だったのに

兵庫県阪神地区の小学生というだけで

支援物資を受け取ってしまったことは

申し訳なくて今になってますます胸が痛む。

ただあの鉛筆削りは   

小学生の私が

見知らぬ誰か、社会の優しさや支える心を

生まれて初めて形として見た、

確かに手に受け取った体験でした。

 

そして一年一年 年を重ねるたびに

感謝の気持ちが強くなってきています。 

私の心が、ずっと

ありがとう

と言っています。

 

失った命は戻らないけれど

失くした夢や希望は

もう一度手に入れることができる

失くした人にエールを送ること

ちょっとしたことが大きな励みになること

あの時本当は受け取ってはいけなかったかもしれない

誰かの優しさを受け取ってしまったから

わかる 助け合いの大切さがわかる

 

がれきの下で 火の中で

息ができない苦しさの中

どんなにか 愛する家族に会いたかっただろう

命を失った人たちにかわって

残された家族と、愛しただろう神戸の街のために

力を使いたい。

15年間少しも癒されず、苦しみ続けている人に

15年前に私が受け取った優しさと感謝を

何倍にも何倍にもして返していきたい。

 

そしてあの時

全国の人があらゆる形で手をさしのべてくれたことを

絶対忘れない。