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clocksの覚え書き

読んでもらいたくて書いてるというよりは、自分のための覚え書きです。人に見られることを前提にしていないとは言え、もし誰かが読んでくれて、何かプラスのことを感じてくれたら嬉しいです。

なんか不意に思い出す言葉がある。

さよならだけが人生だ。

これもその一つ。

井伏鱒二の訳したこの言葉が有名だけど、

俺が最初に知ったのは間違いなく別の場所で使われていた何か。

2次か3次か4次か、事あるごとにいろんなところでよく使われる言葉だと思う。

みんな好きなのかな。好きになっちゃうのかな。

俺はよく理解せずに音だけが気に入っている時に、

アジカンのソラニンに、だからつまり浅野にいおの書いた歌詞に

さよならだけの人生か、

と聞いた。

これがきっかけとなってこの言葉は俺の心に刻みつけられる。

本格的に気になる言葉になって、意味を考えたり、調べたりする。

わかったような気になって、またわからなくなって。

かなり昔からある言葉なんだからとんでもない意味があるんだろうと

深く考えてみたりもして。

でも今のところ出した結論は、そんなに深い意味はない、ということ。

人生ってなんとなく出会い、が注目されがちだけど、

そこに真逆の別れのみを当てはめたセンスに衝撃が走って、

なんとなくみんなが納得してしまうほど身近なことを言い当てられてしまった

そんな感じなのかなと思っている。

だから裏を読んだりすることにあまり意味はなく、

そのままの意味だと、今の段階では捉えている。

人生過ぎれば過ぎるほど、別れの数が増えていくのは必然だしね。

井伏鱒二も友人?の言っているのを聞いてこの言葉を使ったという話も聞いたことがあるし、

彼自身、痛感した言葉だったんだろう。

でもこの言葉にはもう一段階ある。

実は、っていう話、こういうの好きだよね。

この影響もまた大きいと思うんだけど、

寺山修司は自身の詩の中でこの言葉に、さよならだけが人生ならば、と続けている。

この詩についても、まだ読んだだけの感想しかない。

さよならだけが人生と言われても、

明日は来るじゃないか、出会いもあるし、希望も持ってしまう。

さよならだけが人生だと言われても、そこに価値がないなんて思えない。

そういう詩だと思っている。

さよならだけが人生ならば、人生なんていりません 

最後はそう締めている。かっこいい。

この詩を逆説的に取る人もいるかもしれないし、それも否定しないし、

っていうかどっちにしたってかっこいいと思う。

でも俺個人の感覚とはちょっと違う。

個人としては、うまく言えないけれど、

さよならだけが人生だから、だから人生は面白い、って感じでしょうか。

来てほしくない別れが来てしまうってこと、

思い通りにならないからこそ、人生は面白いんじゃないかと。

あと人との別れを悲しんでる自分ってのがどこか好きだったりする。

なんて、ちょっと後ろ向きながら前向きに考えてみたりして。

実は先日、美輪明宏が語る寺山修司って本を買いました。

もうすぐ届くはずです。そしたらまた意見変わっちゃうかもね。