皆さんは最近、「乾杯」をしていますか?


僕は、ガールズバーのチャンネエたちから

「飲ませて、飲ませて」のシュプレヒコールを

浴び倒しているため、他人より「乾杯」の数は

多い方だと思うのですが・・・。


昔のオジサンたちは、「飲みニケーション」

重んじたそうでございまして、上司の誘いには

絶対断ってはいけないという暗黙のルールが

あったそうなんです。


ところが、時代は変わり、「飲めない人に酒を

飲ませるのは犯罪に等しい」と言われるように

なってきまして、「アルコール・ハラスメント」なる

言葉まで誕生し、上司のオッサンが部下たちに、

「どうだ、今夜あたり酒に付き合わないか?」

言った日には、部下たちから壮大にウザがられ、

架空の用事を作られて断られること間違いなし。


仕方がないので、家に帰って一人で晩酌を

始めるものの、顔面にパックを貼りつけた嫁に

「アンタ、台所の電気消しなさいよ!」と怒られ、

肩をすくめながら、チビチビと酒を飲む生活・・・。


自分の将来を予想しているようでツラい話ですが、

こんな時代だからこその条例と言えるでしょうか。


「今こそ乾杯が必要だ!」


そう言ったかどうかは知りませんが、福島県の

郡山市では、「乾杯条例」なるものを、公明党や

ローカル政党の方々が中心となり、制定しようと

奮闘しているのだそうです。


条例で乾杯を推進する。


実は、福島県内には、既に同様の条例を施行

している自治体が複数あるそうで、今回の条例は

「ジュースや牛乳でも乾杯できるようにしたのは、

郡山市が初です!」と、嬉しそうに話しています。


それって、条例でやるべきことか?


すごく根本的な疑問こそ湧くものの、当人たちが

やる気マンマンなんだから、今さら部外者の僕が

横槍を入れても始まらないんですけれども・・・。


福島というのは、やはり独特の文化だと思います。

先日、相馬市の学校給食に、10ベクレル未満の

地元産の米を使うことに決まったそうなんです。


僕はかねてから、内部被曝の影響については、

いまだ科学的な結論が出されていないのだから

気を付けた方が後悔が少ないという話をしていて、

厚生労働省のデータを基にした本まで書きました。


「100ベクレル」という基準値は、あくまで販売が

できるかどうかの基準であって、安全かどうかを

定めた基準ではないのですが、なんとなく都合を

つけたい人たちが、「安全かどうか」という話題に

すり替えています。


しかし、驚くべきは83.8%の人は、「地元米を

自分の子供にも食べさせる」と回答しています。


これだけ甲状腺がんの子供が見つかり、いよいよ

原発事故のせいではないと言い続けるのに無理が

出てきている世界で、「復興のために」という言葉が

先に出てくるようになって、「食べさせる」という親が

8人に7人という世界なのです。


これはスゴいことです。


日本人の多くは、イスラム教徒ではないので、

断食をしたり、豚を食べなかったり、時間が来ると

神の方向にお祈りしなければならなかったりする

独特のライフスタイルは、理解しがたいでしょう。


「アッラーという神がいる!」という話をされても、

「誰やねん!」で終わり、「信じろよ」と言われても

そんな面倒臭い宗教に入りたくないと言うでしょう。


しかし、中東では、ほとんどの人がアッラーという

神様のことを信じ、豚を食べずにお祈りをします。

よくよく考えたら、キリストも、ムハンマドも、釈迦も、

ただのオッサンだった可能性があるにもかかわらず、

何の疑いもなく、「この人こそが神!」ということで、

数千年にわたり、人々が血で血を洗っています。


えっ? ちょっと待って、どないなってますのん?


そう思って暮らす人は、世界の中でも、レアです。

いちいち細かいことを考えず、偉い人が大丈夫と

言っているし、TOKIOがCMで食べるぐらいだから

大丈夫なんだと思う人が、ほとんどなのです。


みんなが自由に生きたらいい!


どんな世になろうと、僕は僕、他人は他人。

他人の人生にいちいち介入していたらキリがなく、

自分や自分の子供や自分のまわりの大切な人が

どう幸せに生きていけるかを追求した方がいい!


「どうなってんだよ、日本!」と憤りを感じることは

たくさんありますが、憤りを感じたところで、何一つ

先には進まないので、自分の周りの人たちのために

何ができるかだけを考えていったらいいと思います。

まあ、僕は僕の道をブレることなく進むだけです。