一昨日、神宮球場にヤクルト対広島戦を見に行ってきた。
屋外球場での観戦、すごく気持ちよかった。

外野の応援席でいっぱい声を出して応援して、4度あったカープの得点シーンでは、大いに盛り上がって喜んできた。

この日は1塁側、ライト側のヤクルトファンには緑色のユニフォームが配られ球場の半分が緑に染まった。一方、3塁側、レフト側のカープファンは赤いシャツやユニフォームを着てるので、球場の残り半分は赤く染まった。

球場が緑と赤に染まる珍しい日。
始球式に、なんとガチャピンとムックが登場した。
ポンキッキのおなじみのキャラクターが現れて、すごく懐かしい。

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試合はカープ松山選手の3安打6打点の活躍で、広島が7-4でヤクルトに打ち勝った。5回の裏には、ヤクルトバレンティン選手の大きなホームランも見られた。

5回終了後には花火が上がり、一時試合から離れ空を見上げた。
外野で野球を見るのは本当に久しぶり。
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広島戦を外野で見るのは、ずっと前に広島市民球場で見て以来だった。
いきなり外野席で応援に乗れるか心配だったが、大丈夫だった。

出塁した時、点が入った時、7回ラッキーセブンの攻撃の前に応援歌を歌う時、勝利の瞬間、ヒーローインタビュー等盛り上がる場面が何度もあり、本当に楽しかった。
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球場で生で見るのっていいものだ。屋外の球場で試合開始の時は明るいが、
段々暗くなって夜になっていく感じもよかった。花火まで見られて、夏らしさいっぱいの神宮球場だった。
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今日はとても気分がいいので、久しぶりにブログを書きます。

3週間ぶりのピアノのレッスン、今日から新しい先生になり新しい曲を見てもらうことになった。


辻井伸行さんの、「神様のカルテ」という曲を練習することにした。

なぜ「神様のカルテ」をやることにしたのか?

いくつか理由を挙げてみたい。


①先生が代わりどんな先生か分からないので、最初は弾きやすそうな曲にしたい

②辻井伸行さん、すごく好きなピアニストだ

③特に「神様のカルテ」は知っているし好きな曲だ


その他に、


④前の先生が最後のレッスンの時に楽譜をくれて、その楽譜の中にこの曲が

入っていた


というのも大きな理由だ。楽譜をいただいたということが、習い初めて2ヶ月で辞められてしまう先生からの「これからも頑張って」という何よりのメッセージだった。その先生からいただいたものを、大切にしたいという気持ちがある。


「神様のカルテ」、早速新しい先生に「弾いてみて欲しい」とお願いする。

先生はこの曲そんなにきちんと知っていらっしゃらなかったようだ。

でも、「初見でよければ」と言って弾かれる。


いきなりぱっと楽譜を見て、弾けるのってすごいなと思う。

目の前で生で弾いてもらうと、思ってたよりはるかにいい曲だった。

先生からは、「この曲弾けるようになっておくと、色んなところで使えそうですよ」「この曲は場所を選ばず弾けそうですね」と言われて、モチベーションが高まった。


レッスンでは、弾き方のポイント、この曲がなんできれいなのか、指使い、引き間違ってる音等教えてもらった。レッスンの後残って練習したが、この曲すごくきれいで、気持ちがよかった。


クラシックの名曲もいいが、辻井さんのこの曲もピアノ向けに作られた曲だ。

クラシックの著名な作曲家は既に亡くなられているが、辻井さんは現に今曲を作って弾き、テレビでお話される姿を見ることもできる。その人の作られた曲を練習できるのは、すごく嬉しい。


前の先生、新しい先生、辻井伸行さんの素晴らしい曲のおかげ、今日はとても気持ちがいい。

昨日まで、私は20年以上ぶりに入院していた。

病院には、2冊本を持っていった。


田村洋三さんという元読売新聞の記者が書かれた本だ。田村さんは、本土出身で沖縄戦を体験し、逃げずに沖縄県民と共に精一杯戦った後、亡くなられた人のことを何冊も本に書かれている。


田村洋三さんの本との出会いは、4年前になる。4年前、私は元外交官の村田良平さんの著書『村田良平回想録』を読んだ。そこで、島田叡(あきら)戦前最後の沖縄県知事のことを知った。村田さんの出身の旧制三校の先輩に、島田叡知事がいたことが、その本に書かれていた。島田知事のことを、ネットで調べてみると、田村洋三さんに突き当たった。


島田知事は、昭和20年の1月末、なり手がなかなかいなかった沖縄県知事に任命されて赴任。県民の疎開、食糧調達、軍との関係の調整等に力を尽くされ、沖縄戦の最後まで県知事としての職務に当たられた後亡くなられた。


田村さんは、この島田知事のことを『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』という本に書かれている。


私は4年前まで、島田知事のことを知らなかった。沖縄戦については、ひめゆり学徒隊などに代表されるように、地元のまだ10代の学生を含む多くの人が軍に徴用されて、結果亡くなったという悲惨な話が多く伝えられている。住民で、沖縄戦に巻き込まれ、避難した壕から軍によって追い出されて亡くなった人の話も多い。


本土出身者については、当時の大本営の作戦に従い沖縄の人に悲惨な目を強いて多くの犠牲者を生んだり、あるいは沖縄戦の前に職場を離脱し、本土に脱出した人の話が多く伝えられている。


田村さんは、そのいずれでもない、本土出身で最後まで県民と共に精一杯戦った後、亡くなられた人のことを書かれている。沖縄戦ではあまり伝えられてない、スポットの当たってない人に注目されている。


島田知事は、軍人ではない。だから沖縄で最後まで戦って、亡くなる筋合いはない。特に現代の価値観ではそうだ。理由をつけて、戦火迫る沖縄赴任を断ることもできた。でも、誰かがしないといけない当時の県知事としての役割を引き受け、亡くなられた。


この島田知事のこと、驚く程知られていないように思う。私も沖縄出身の人に聞いてみたことがあるが、名前も知られていなかった。私は2年前の講演会で、沖縄生まれで沖縄戦を経験されたお母さんをお持ちの、作家佐藤優さんにこんな質問をしたことがある。


「沖縄が永田町、霞ヶ関エリートへの信頼を大きく失している昨今、東京と沖縄双方が、島田知事の業績を思い起こし同じ国民としての一体感を取り戻すべきだと思います。この点について、先生のお考えをお聞かせ下さい」


佐藤優さんの答えは、以下のようなものだった。


「たしかに、島田知事は沖縄にとっていいことをしました。しかし、島田知事の前任者、泉知事のことを考えて下さい。泉知事は沖縄戦の前、昭和19年の末東京に『出張』してしまい、沖縄には帰ってきませんでしたね。10月10日の空襲の後も、普天間の壕にこもったまま出てきませんでした。島田知事のプラスと、泉知事のマイナスを、足して2で割って考えないといけません」


本土出身者でいいことをした人にだけ注目するのでなく、そうでなかった人も数多くいるのだから、その人のこともきちんと見ないといけないということだ。


以上前置きが長くなったが、入院中読む本を探しに行った時、久しぶりに田村洋三さんの本を見つけた。普段なら、もしかしたら手に取らなかったかもしれない。今回、病院で「痛い目」に合うことになったので、もっと厳しい状態で頑張った人の本を読んで、励みにしようと思った。


そんなわけで、田村さんの2冊の本を買った。


『沖縄一中 鉄血勤皇隊 学徒の楯となった隊長篠原保司』

『特攻に殉ず 地方気象台の沖縄戦』


すごいタイトルだが、当時の国の方針、自分の役割の中で、ギリギリのところで人間らしく行動し、亡くなった人の物語だ。1冊目の主人公、篠原保司中尉。4年前に島田知事のことを知った時に勝るとも劣らず、「すごい人がいるものだ」と思った。


2冊目の沖縄地方気象台の人で亡くなった、田中静夫台長代理、笠原貞芳技師らも民間人だから、亡くなる筋合いはない。いずれも、死を覚悟して沖縄に赴任、あるいは留まって最後まで任務に当たられた後、亡くなられた。


長くなったので、一度ここで区切ります。

昨日、勝手に箱根駅伝だった。
私は2週間前チーム練習の日に足を痛めてしまい、走れないことになった。

チームは欠場者が何人も出て、補欠メンバーもゼロの状態だった。
その状態で、「自分も走れない」とは言い出しにくかった。

「足が当日までに治ることは無理だ。時間かかっても走り抜きたい。

大きく遅れてしまうかもしれないが、了承してもらえないか?」

チームまとめ役さんにそう伝えたところ、
「足が痛い時に無理して走ったら、もっと痛めて走れなくなる。
実はべんぞーとあともう一人風邪のメンバーが走れないことを想定して、
代案を考えている。早めにその手を打ちたい。
怪我病気の場合は、本人はそんなに責任を感じなくてもいい。
当日走れなくても、べんぞーがチームの一員であることは代わりないよ」


そして、
「本当に走らなくても大丈夫かな?」
と言ってくれた。

「はい。もう今の時点で自分がこうしたいとか、こうしたくないとかそういうこと
はありません」
と言った。

どうしても走りたい。穴を空けて他のメンバーに2区間走らせてしまっては
いけない。何とか走れるのではと思うが、万一途中でタスキを途切れさせては

いけない。出て痛める痛みの方が強いのか、それともここで出ないことで感じる

「痛み」の方が強いのか? 何日も悩み続けた。


色んな思いが交錯して、伝えるのが本番2日前になってしまった。
もっと早くきちんと話をしておくべきだった。
少なくとも、私が走れる場合、走れない場合を想定したプランを前もって考え

られるようにしておくべきだった。

走れなくて本当に残念だ。

それ以上に、みんなに迷惑かけたのが申し訳ない。

反省しきりで、当日を迎える。
改めて3チームのみんな集まり、スタートをする前の興奮を味わうのはいいものだ。

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走れない私は、3区の戸塚から平塚まで自転車の伴走をやることにした。
チームは専属の自転車隊がいなくて、みんなで分担して自転車をやる状況だった。
3区伴走は、初参加でランナーもやる女の子がやることになっていた。

私は足の関係からチャリを外れていたが、自転車長距離乗ったことない初参加

の女の子に、自転車もやってもらうわけにはいかなかった。


マウンテンバイクに乗るのは初めて。
サイズは女子用で、私には小さい。

地図は今朝、2区までの移動中に見ただけだ。
荷台とリュックがない状態で、救急袋を腕に下げて走る。
ランナー用と自分用のペットボトルを、上着ポケットに突っ込む。

ランナーはタスキを渡してすぐ出発。
チャリは救急用袋を引き継いで、サドルを合わせて出発。

結局、その後ランナーには一度信号で追いつけただけだった。
そこでたった一度だけ、ランナーに給水をした。


信号が青に変わり、

「よし、行こう!」

と私はランナーに元気よく声をかけた。だが、その後一度も追いつけなかった。


ギアの合わせ方が分からない。
サイズが小さくこぎにくい。
救急用袋が車輪にからまる。
ランナーは喉が渇いていて、大変だろうと思う。


上着ポケットに入れていた地図をなくす。
チームまとめ役に電話して状況を伝える。
サポートカーに来てもらい地図をもらう。
かなりの時間のロスをする。

電車が止まるくらいの、ものすごい強風だった。
私は地図をもらうと、再び自転車にまたがった。
ランナーに追いつきたい。
藤沢で東海道線を越える。
3区の半分を過ぎ、やっと湘南海岸に出る。

よし、ここからは道は平坦なので、飛ばして追いつくぞ。
やっとギアの合わせ方が分かった。

何とかして自転車も次へつなぐぞ。

だが、海沿いに出て、風は一層強まった。
平坦なのに、全く前に進めないほどの強風、向かい風だった。
砂嵐だった。

仲間からの電話を何度かもらう。
強風で話しづらかったが、嬉しかった。

ランナーと引き離されるだけだった。
普通なら海が見えたら嬉しいものだが、強風で荒れ狂う海は地獄そのものだった。

湘南海岸沿いを必死に進む最中に、自転車打ち切りが決まる。
相模川、茅ヶ崎市から平塚市に入る湘南大橋にさしかかるところで、どこで
自転車を車に収容しようかという話になった。

サポートカーより、
「べんぞーさん、今どこにいますか?」

「茅ヶ崎市から平塚市からに入る、相模川を渡るところだよ」

「そこは車停めるスペースありますか?」

「いや、路肩狭くて無理だね。
もう残り3キロちょっとだから、平塚中継所まで行くよ」

「分かりました。じゃあ平塚中継所で待ってます」

「平塚中継所まで行くよ」
そこなら、車を停められ安全に自転車を収容できると知ってたことに加え、3区
「完走」するという私の意地でもあった。でも、それはチームにとっては全く無意味な
ものだった。

平塚中継所、去年はここでタスキをもらい、躍起して走り始めたところだ。
今年は、ランナーから何分遅れだったのだろう?
20分以上は遅れて、自転車で到着。
まず、待ってたランナーに跪いてお詫びをした。
去年ここにあったコンビニがなくなっていたのが、すごくさみしく感じた。

地図をなくした。
チームまとめ役に連絡して、対策を考えてもらうのに煩わせた。
思うように自転車がこげなくて、大幅に遅れてしまった。
ランナーに給水、ナビ、激励ができなく、不便をかけた。

地図をなくしてなくても、あの状況では無理だっただろう。
でも、申し訳なさでいっぱいだった。

まとめ役さんは、
「今日はべんぞーの責任じゃないよ。チャリ専属の○○○○も断念したくらい
だったから」
と言ってくれた。

車で4区を走ってるランナーに追いつくと、チームの2人が給水しながら一緒に
走ってる姿が見えた。頑張って走っている姿に、胸が熱くなった。

私は車を下りて、ランナーが走ってくる前の歩道に座り地に手をついて
詫びた。

「ズキューン」
ランナーのその声を、私は地に手をついた状態で聞いた。
Benzoのメモワール
小田原中継所に先回りすると、5区Aのランナーまとめ役さんが、アップをしていた。
迷惑かけたこと、ここでも私は座ってお詫びした。

こんな悪条件の中、チームの8人のランナーはタスキをつないでゴールした。
私は、嬉しさの何倍ものさみしさ、申し訳なさがあった。

Benzoのメモワール

なぜ足を痛めたのか?
それをきちんと伝えるのが遅れたのか?
地図を落としたのか?
反省しないといけない。

本当に悪夢のようだった。
迷惑かけたのは、間違いない。
本当に申し訳ない。

それに対し、心から労わり声をかけてくれるやさしい人がいた。
本当に嬉しかった。


直前、当日とまとめ役さんに困った相談をする度に、まとめ役さんはやさしく

冷静に話を聞いて精一杯対処してくれた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

もし自分が迷惑をかけられて、それに対しすごく怒ったとしよう。
でも、相手が心底謝っていたら、それを許そう。

何を言うより、
「大変だったね、辛かったでしょう。
大丈夫か?」

そう言える人になりたいと思った。
自分がしてもらって嬉しいことを、人にできる人になりたい。

10月14日、山梨県本栖湖近くの山、竜ヶ岳に行ってきた。


三方分山、鬼ヶ岳、パノラマ台&烏帽子岳と、去年から富士五湖周辺の山に

登っている。間近から富士山を眺められ、同時に富士五湖の湖も見られる

からだ。それに、そんなに人が多くなく、山の中でゆっくりできる。

今回も、富士山と湖を堪能しようと、竜ヶ岳に登ることにした。


朝5時に家を出て、先ずは調布へ向かう。家を出た時は真っ暗だったが、途中

で夜が明けてきた。7ヶ月ぶりに京王線に乗り、地下ホームになった調布駅

に着く。ここで、車に拾ってもらう。


調布から府中に行き、仲間2人をピックアップ。本栖湖へ向かう。が、天気は

あいにくの曇り。やばい、これだと富士山が見えない。せっかく行くのに、

困ったことになった。本当に困った時は、それを口にできない。


朝晴れてると中央道を西に向かうのが気持ちいいのだが、あいにく曇りだ。

心配したが、談合坂SAで休憩の頃にはだいぶ天気もよくなり、河口湖の

インターを過ぎ本栖湖に着いた頃には、快晴になった。
Benzoのメモワール

朝9時5分、歩き始める。最初の40分ほどは木々の中を坦々と登る。登り始め

はいつもしんどいが、ここは登山道が整備されていて歩きやすい。尾根に

着くと、きれいな裾を引いた富士山が見えた。

Benzoのメモワール

本当に来てよかった。富士山と反対方向には、本栖湖が見える。富士山と

湖。両方ともきれいだ。ここからは、左手にずっと富士山を見ながら尾根道

を登る。景色がきれいなので、登り道が苦にならない。いや苦かもしれないが、

それ以上にきれいな景色に気がまぎれる。

Benzoのメモワール

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Benzoのメモワール
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今日は4時半起きなので眠いはずだが、あまりに気持ちがよく、眠気を

感じなかった。尾根道も、とっても歩きやすかった。道が歩きやすい分、

気持ちに余裕ができ、ところどころ止まっては写真もたくさん撮れた。

コースタイム的には2時間で山頂まで登れるはずだったが、2時間40分

かけて頂上まできた。
Benzoのメモワール

広くて平らで、食事休憩するには絶好の山頂だ。南アルプスの稜線も

見える。富士山の裾が雲に隠れたのが、少し残念だ。ここでお昼を

食べる。富士山がばっちり見えるところに、シートを広げる。休憩で

動かない間も、長袖のシャツ一枚で寒くない。今は本当に山を楽しむ

のにいい季節だと思う。

Benzoのメモワール

1時間以上頂上でゆっくりしてから、下り始める。下山道は、尾根道では

なく途中から一気に本栖湖を目指す道になる。距離が短い分、傾斜は

急になる。でも、下山道も歩きやすかった。1時間20分ほどで、下山。

疲れるまでに、気持ちよく歩いているうちに、下りてこられた。でも

すごくいい景色を堪能したので、物足りなさはない。
Benzoのメモワール
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Benzoのメモワール
西湖畔にあるいずみの湯で、汗を流す。西湖、河口湖の北側の道

を通り、中央道へと向かう。途中富士山がよく見え、きれいだった。
Benzoのメモワール

帰りの中央道、自然渋滞に加え、事故渋滞もあり、すごく時間が

かかった。でも、その間楽しく話していたので、そんなに苦にならな

かった。


今回の竜ヶ岳、気持ちのよさ、楽しさでいったら、これまで行った山の

中で一番だったかもしれない。しんどさ、痛さ、眠さ。これらを感じること

なく、楽しさ、気持ちのよさばかり感じた。


登る山を選ぶ際、景色はガイドブックの写真や地図を見ればだいたい

想像がつく。ルートの歩きやすさ、これも地図やガイドブックの説明を

見れば察しはつく。でも、実際歩きやすいかは、行ってみないと分からない

ところがある。行ってみたら、予想に反し道が悪かったり、分かりにくかったり

時間がかかったりして、気まずくなるほどにハードなところもある。


竜ヶ岳は、逆にすごく歩きやすい道で、景色や山の空気を十二分に堪能

できた。あと一番重要なのは、お天気だ。こればかりは、運次第だ。

今回は、出発時点では曇り。でも、行ってみたら気持ちのいい秋晴れだった。

景色、ルート、お天気。どれもがよかった。


メンバーもすごく楽しかった。

気持ちのよさと楽しさ、両面で最高の登山だった。