過去に幾度となく考察してきましたが改めて。
それぞれ《河(川)》や《波》や《海》や《雨》が何を意味しているのか考えてきました。
今まで考察してきたイナバイズムにおける水の概念はすべて仏教の教えに通じます。
ただし、通じているというだけで稲葉詞がそうだというわけではありませんので悪しからず。
日本には奈良の大仏から野仏まで多種多様の仏像があります。
それらすべてを仏像と総称していますが大きく分けると仏像は6つに分類できるのだそうです。
中でも如来像は最高峰に位置する仏像。
"如来" とは【真理を会得した人】のことを指し具体的には "悟りを得たお釈迦様の姿" をあらわした像が如来像と呼ばれます。
この如来像として描かれるお釈迦様は実在した人物で生まれながらに普通の人とは異なる肉体的特徴を備えていたようなのです。
その特徴とは32種類の大きな特徴と80種類の細かな特徴があってこれを総称して三十二相八十種好と呼ぶそうです。
これらの特徴にはそれぞれ名前と意味があり、そのひとつに手足縵網相と呼ばれるものがあります。
その肉体的特徴とはなんと手足の指の間に水かきがついているというのです。
現代でも水泳選手など常に水に触れているような人は実際に水かきが発達していると聞いたことがあります。
水泳選手は別として如来像のそれは少しでも多くの人を救いたいという気持ちのあらわれだそうです。
つまり水かきはより多くの水(=人)を掬い(救い)上げるためのものということです。
そしてこの仏教の人を水に喩えるという考え方は稲葉詞でも多く見かける比喩であり今まで考察してきたイナバイズムにおける様々な水の概念とも合致します。
稲葉詞の比喩にはしっかりとした根拠があったのです。
それぞれ《河(川)》や《波》や《海》や《雨》が何を意味しているのか考えてきました。
今まで考察してきたイナバイズムにおける水の概念はすべて仏教の教えに通じます。
ただし、通じているというだけで稲葉詞がそうだというわけではありませんので悪しからず。
ここからはかなり宗教的な話になりますがご容赦下さい。
日本には奈良の大仏から野仏まで多種多様の仏像があります。
それらすべてを仏像と総称していますが大きく分けると仏像は6つに分類できるのだそうです。
中でも如来像は最高峰に位置する仏像。
"如来" とは【真理を会得した人】のことを指し具体的には "悟りを得たお釈迦様の姿" をあらわした像が如来像と呼ばれます。
この如来像として描かれるお釈迦様は実在した人物で生まれながらに普通の人とは異なる肉体的特徴を備えていたようなのです。
その特徴とは32種類の大きな特徴と80種類の細かな特徴があってこれを総称して三十二相八十種好と呼ぶそうです。
これらの特徴にはそれぞれ名前と意味があり、そのひとつに手足縵網相と呼ばれるものがあります。
その肉体的特徴とはなんと手足の指の間に水かきがついているというのです。
現代でも水泳選手など常に水に触れているような人は実際に水かきが発達していると聞いたことがあります。
水泳選手は別として如来像のそれは少しでも多くの人を救いたいという気持ちのあらわれだそうです。
つまり水かきはより多くの水(=人)を掬い(救い)上げるためのものということです。
仏教の教えでは古くから人を水に喩える概念がすでに存在していたということになります。
そしてこの仏教の人を水に喩えるという考え方は稲葉詞でも多く見かける比喩であり今まで考察してきたイナバイズムにおける様々な水の概念とも合致します。
稲葉詞の比喩にはしっかりとした根拠があったのです。
作者が実際仏教の教えに影響を受けたのかどうかは不明ですけどね(笑)
単なる閃きなのかもしれない(爆笑)
水は生命の根源でありあらゆる生命を育みます。
その水自身もまたひとつの生命体であり、生命の集合体でもあります。
その水自身もまたひとつの生命体であり、生命の集合体でもあります。
そして状況に応じて姿や名称を変えながら水は循環してゆきます。
水の循環を人の輪廻に見立てるのは古くから日本人に根付いていたと思うととても興味深いですよね。
それだけではありません。
稲葉詞での水は情景描写にもひと役買っている事実は無視出来ません。
稲葉詞の美しい情景描写に雨や海や波は欠かせませんからね♬
この通り水の表現は理論と感性を兼ね備えた万能の言葉といえます。
まぁ、つかう人がつかえば…なんですけどね☆