イナバイズムのススメ -33ページ目

イナバイズムのススメ

B'z・稲葉浩志の詩(詞)の世界にふれて勝手に何かを学んじゃおう!

B'z 18thアルバム C'mon に収録されています。

タイトルのピルグリム【巡礼者、旅人】という意味。

詞は "主人公が(頭の中で)想いの強い地を巡っていく" というイメージで書かれたのだとか。

内容もイメージ通りのものとなっており、だからタイトルの意味もそのままで良いでしょう。

ちなみにタイトルの意味はどちらかと言えば巡礼者かな?

しかし非常に難解詞です。

何が難しいって主人公の現状が巧みに迷彩されていてさっぱりわからない。

はたして主人公は今ひとりでいるのか、それとも「君」と一緒にいるのかを判断するワードが見当たらない。

ついでに現在と過去が入り混じりすぎてさらにわけがわからない。

混乱しないようひとつづつ片付けていきますか。

まず本詞は情景描写に非常に優れています。

しかし不思議なことに明確な情景描写はワンフレーズしかないんですよね。

幾千の花びらが 風に舞い踊り 桃色の蝶のように 道路(みち)を横切ってく

冒頭のフレーズは鮮明な春の描写です。

しかしこれ以降は『季節』『景色』という言葉を繰り返すだけです。

なのに実に様々な情景を見せてくれていると感じるのは私だけでしょうか?

私には移り行く四季の情景が目に浮かぶようです。

作者の情景描写力はここへきて極まった感がありますね。

また裏テーマなのか『言葉』が重要なワードになっているようです。

何げない言葉を ささやいたら 君は手をのばし この手をにぎりしめた

ほんのささいな 言葉を はきだしたら 君は何も言わず うつむいて 涙こぼした』

目をこらしてごらんよ やきつけてごらんよ あふれる言葉の行き先を』

本詞の内容と「言葉」がなかなか繋がらないんですが、主人公は想いの強い地を君と交わした会話を思い出しながら巡っていると考えたらどうでしょう?

一応腑には落ちますが、ここで三番目のフレーズの「言葉」については疑問が生じます。

まず目をこらしてごらんよ やきつけてごらんよとはいったい誰に向けられているのか?

主人公へ?それとも「君」へ?

その答えによって「あふれる言葉」が誰のものかが変わり、物語の意味もガラリと変わってしまうんですよね。

一度しっかり整理する必要があります。

いつか見てたもの 戻ってはこない時間(とき)』

すぎ去って行ったもの それだけが運命』

君が消えた 景色が僕をとりかこむ』

このことから「君」は主人公のもとにいないと判断します。

ですから先ほどの目をこらしてごらんよ やきつけてごらんよは主人公の自身に向けた俯瞰的は言葉となります。

したがって「あふれる言葉」は主人公のもの。

じゃあ「あふれる言葉」って何?となりますが、こうなると過去に君と交わした会話という当初の解釈で意味は成立します。

しかし正確には「あふれる言葉の行き先」とあります。

この「行き先」というのがひとつのフラグを立たせます。

それは「君」が戻ってくる可能性です。

「行き先」「君」なら主人公は戻ってきてくれると期待していることになります。

しかし「行き先」が単なる思い出探しという解釈も成立します。

『愛といえど 時には ひ弱いもの それを守れるのは やっぱり愛情なのか』

主人公の現状が把握出来ないのでこのフレーズも解釈が非常に難しいのですが、稲葉詞の愛の概念と照らし合わせれば何とか理解出来ます。

稲葉詞の愛の概念については最近の記事で何度も記しましたのでそちらを参照。

簡単に言えば稲葉詞ならば、たとえ主人公ひとりだけでも愛は成立します。

つまりは主人公が哀しいものになりかけた思い出を自身の愛情で良い思い出へと塗り替えようとしていると解釈するのがひとつ。

このフレーズにももうひとつ「君」との関係修復を望んでいると解釈することも出来ます。

ここでも「君」が戻ってくる可能性を僅かながら示唆していますね。

そしていよいよ最後のフレーズ。

めぐりめぐってまた 君と出会った 季節が僕を包みこむ 思いうかべてごらんよ 素晴らしい日々を ぜったい毀(こわ)したくないものを』

いったい何を「毀したくない」のか?

そしてなぜ、壊すではなくあえて古語の毀すにしたのか?

毀すには従来の壊すの意味に加えて【毀つ:削ぎ落とす】という意味があります。

これは思い出まで忘れることは出来ないという主人公の意志と解釈することが出来ます。

ただし、このフレーズにももうひとつ解釈があって、このまま「素晴らしい日々」を失いたくない意志だとも解釈出来るんですね。

以上のように主人公の最後はあやふやなままです。

しかし、私はやはり主人公はひとりのままだと感じます。

だから二通りの解釈をしたフレーズについてもすべて自己完結の思い出探しで、結局「君」は思い出の中だけにいるということです。

かなりとっ散らかった解釈になってしまいましたが、このとっ散らかった状況こそ逆に悩み深い巡礼者としての主人公を的確に表現しているのかも?…なんて思ったりもします。

願いや祈りのために聖地を巡るのが巡礼者ですから。

減らず口で丸く納めちゃいましたが意外と意外とww…

いやいや、さすがにね(笑)