年間観光客が500万人となった全州韓屋村が失ってしまったもの~在りし日の全州韓屋村の写真 | 全州にひとめぼれ!~全羅北道・全州市応援ブログ

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韓国は全羅北道(チョルラプクト)にある全州(チョンジュ)。
2009年4月に初めて訪れた瞬間にその街の魅力にハマってしまい、
以降足繁く通っています。
そんな全州のホットな話題を、自称「全州観光親善大使」のビョンが
提供させていただくブログです。
전주에 첫눈에 반하다!

一年ほど前の記事ですが、聯合ニュースに「観光客500万時代~全州韓屋村」という記事が掲載されました。

右矢印聯合ニュース①

右矢印聯合ニュース②


同記事には、全州韓屋村を訪れる観光客が急増し、昨年の年間観光客が500万人に達する勢いで、韓国の代表的な観光地として注目されていると記載されました。


観光客の集計が開始された2002年には、全州韓屋村を訪れた観光客は年間31万人だったそうですが、2008年に全州市が銀杏路(ウネンロ)に水路を造成するといった観光名所化事業を本格化したことを契機に、観光客数が急速な勢いで増加し、同年の130万人からわずか5年で500万人時代を迎え、右矢印本年1月2日付の同紙 によれば、2013年の年間観光客は、外国人21万人余りを含み、508万人(暫定)に上ったそうです。

(銀杏路の水路の造成工事計画の説明をする関係者。写真はネットニュースから拝借)



(2011年11月。水路の造成工事は2008年4月に完工)

韓国でも人気の観光地 済州島の年間観光客数が500万人を突破するまでに20年の年月を要したそうでして、それと比べても如何にスピーディな観光客増加だったのかが伺えます。


記事では、「全州の豊かな食文化、多種多様な伝統工芸を体験できる文化施設の充実、大小の祭りなどが観光客を魅了している」と綴られ、「『ビルの森』に閉じこめられ、息をつく暇もないほど多忙な現代人が、『人生のゆとり』を求めて全州韓屋村を訪れた」と分析しています。


「電柱の地中化工事をはじめ、文化施設集積化、夜間ツアーなどを段階的に進めることにより、観光客の心を捉えた」と、自治体の努力も大きな要因だったと結んでいます。

(電柱の地中化工事中の銀杏路 東門文化通り方面。2011年11月撮影)


確かに2010年~12年初旬に掛けて、電柱の地中化や道路整備のため、あちらこちらで道を掘り起こした工事が行われていました。

(2010年4月。笑談園がある通り)

(2011年11月。学忍堂がある通り。右奥に見える肉屋は昨年閉店し、アクセサリーショップに変わりました)


週末ソウル⇔全州を結ぶ無料シャトルバスの運行、太祖路(テジョロ)および銀杏路(ウネンロ)での禁煙施行や週末の車両進入規制など、観光しやすい環境づくりをしていることは高く評価できると思います。


一方で、地代の高騰や騒がしくなった環境の変化に馴染めず、全州韓屋村を離れる人も多いと聞きます。

私が初めて全州を訪れた2009年4月には、全州韓屋村内の伝統韓屋で実際に生活している世帯数は700軒と聞きましたが、同記事内では540軒と大幅に減少しています。


昨年11月に、全州川を渡った場所にある棲鶴洞(ソハクトン)のカフェを訪ねた時、オーナーから全州韓屋村内で創作活動に励んでいた芸術家たちが、あまりに騒がしすぎて作品制作に打ち込むことができないからと、棲鶴洞へ引っ越してきたと聞きました。

長音記号2関連記事

右矢印11/23 棲鶴洞芸術村にあるカフェ モグァナム&トッポキ店 クッチャンアプ ビビアン


また、郷校通りにある「針少女工作所」が1月末で別の場所へ移転するとFBで公表したんですが、高騰する地代および騒がしい環境も一因ではないかと推測しています。


在来の住人に変わって流入してきたのが、大手フランチャイズやチェーン店です。

そられの参入により、全州韓屋村は「伝統文化を楽しむ空間」から「テーマパーク」と化してしまいました。


また、地代の高騰の影響か、2010年12月頃から、伝統韓屋が取り壊されたり、2階建て韓屋の建築を目にするようになり、伝統文化の街にとって美観を損なう嘆かわしい事態となっていきます。


(2010年12月。コアリベラホテル裏手にある韓紙通り)

(2010年12月太祖路と銀杏路の交差点。青色の塀の部分には、現在PNBがある2階建て韓屋が)


(2010年12月。太祖路と聖心女子校通りの交差点。ビビンバの店 韓国館の建築風景)


これについては、今後規制を掛けていくと報道されてはいましたが、既に建築されてしまった建物は、そのまま存在し続けることに。


また、補修費用を節約するためか、瓦を葺き直すのではなく、屋根の上にトタン製の屋根を重ねる家も、数多くみられるようになりました。

これがなんとも趣がなく、ダサいんですよ。


全州市の観光客誘致の施策としては、成功を収めたのかもしれませんが、都会の喧騒を離れて心を豊かにしたいと全州韓屋村を訪れる観光客にとって、現在の全州韓屋村が本当に魅力ある空間であるのか、甚だ疑問であります。


このブログを読んでくださっている皆さんにもいろいろと考えていただきたいので、過去に撮影した全州韓屋村の写真をアップしてみます。


長音記号2太祖路(テジョロ)

(2009年2月。梧木台下、韓屋村観光案内所の並び

(2010年9月。慶喜殿前。パリバケやファッミマはまだありません)

(2011年3月。右は趣のある伝統茶の店でした。左の店の左側が銀杏路との交差点です)



長音記号2銀杏路

(2010年7月。銀杏路と郷校通りの交差点に建っていたマッコリ屋。現在はピスンデ屋があります)

(2011年7月。この酔っ払いの壁画は、今はもうありません)


長音記号2聖心女子校通り

(2009年3月。中央の書店は、現在は看板が変わり、レトロ感がありません)

(2012年3月。聖心女子校前の文房具店とその手前の雑貨屋は取り壊され、跡地はカルククスの店ベテランの店舗増築工事中です)

(2010年10月。ベテラン旧店舗。2011年5月の全州国際映画祭を前に、現在の店舗にリフォームされました)

(2011年7月。元質屋だったという味のある韓屋。現在はリノベーションされ、cafeに)



長音記号2その他


(2010年12月。場所の記憶が・・・)


(2011年7月。慶基殿の北側の通りにあった春秋堂という出版社。現在は全州GuestHouse)

(2010年7月。カリネギルにあった食堂。現在한사마솥ハンガマソッがある場所)

(2011年8月。現在も韓紙通りにあるスーパーのリフォーム前の姿)



このような懐かしい建物や風景を見る度に、ドラマ「あんぱん」の撮影が行われた2004年など、私が訪ねる以前の全州韓屋村には、現代人の心を癒してくれる魅力がたくさんあったに違いないと思ってしまうのです。

失ったものの大切さに気づいた時には、もう遅すぎるのですが。

そこに住む人々の人情だけは、いつまでも変わらないでほしいと切に願います。




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