わたしにとっての산ちゃんは、

「かっこいい人」や「癒し」や「推し」という一語では到底足りない存在。


彼は

現実を生きるために、

一度心を洗って戻ってくる場所みたいな人。


忙しさや責任、人間関係の摩耗で

感情が濁りそうになるとき、

산ちゃんの舞台や姿勢を見ることで

「大事にしたかった自分」に立ち戻れる。


彼の魅力は

色気や身体性よりも、

自制・覚悟・誠実さにある。


ファンに過剰に寄りかからせず、

「自分の人生を生きて」と言える強さ。

舞台に立つとき、

自分の感情も過去も削って表現に差し出す覚悟。

ゾーンに入ったときの、

演じているのではなく“在ってしまっている”あの状態。


それを

軽い言葉や消費的な視線で扱われると、

低俗な言葉で穢された気分になり

わたしは強い違和感や拒否感を覚える。

なぜなら、

あれは娯楽じゃなく生き様に近いものだから。


コロナ期、

世界が止まり、自分の足元も不安定だった時に

산ちゃんは「逃げ場」ではなく

踏ん張るための支えとして存在していた。


だから今も

彼は現実からの逃避先ではなく、

現実を生き抜くために

心を整えてくれる存在。


愛でる、というより

尊重して見つめる人。


近づきたいわけでも、

手に入れたいわけでもなく、

ただ

「この人がこのまま幸せであってほしい」

と願ってしまう存在。


それが

わたしにとっての산ちゃん。


これまでの7年もこれからもずっとよろしく。


画像お借りしました。