テクノポップ関連ブログ Y.M.O.、Kraftwerk etc..

テクノポップ関連ブログ Y.M.O.、Kraftwerk etc..

LP、CDは不滅でありたい。
ブログタイトルにバンド名を思いっきり載せちゃうのもどうかと思いましたので、今さら過ぎるタイトル変更。

いろいろあります。 どうぞ。


Amebaでブログを始めよう!

 ほとんど閉店状態のこのブログは、YMO(というかテクノそのもの)に正直飽きたという、投稿者の身も蓋もない心境によって殺されたといっていい。今だから白状するが――決して嘘をついていたわけではないにしても――当ブログが最も盛んに更新していた時分、私は今では考えられないほど幼い子供だった。私はインターネットの匿名性に身を包んで、精一杯の背伸びをしていた。

 YMOを好きと称していたのは、「背伸び」のための作為的方便ではなく、実際本当に好きでたまらなかったからである。誰もが息を呑むような、YMOについての考察、評論をしたいと考えつつも、私の頭脳は天才どころかむしろ馬鹿の部類に入っていた。「これは良い」「これは良くない」という評価を下すだけでも、「本当に良い/良くないのか?」と疑わずにはいられず、いつ他者からの叱責が飛ぶか分からないと、始終自信がない怯える日々だった。もちろん子供特有の無邪気さもあって、ある程度までは平気で拙い文章を書けていたのだが。

 年の経過は、あれほど馬鹿だった私の知識・能力を、緩慢ではあるが向上させ、それを私に実感させた。賢くなる度に思うのは、当ブログの馬鹿馬鹿しさであった。このブログは、年を経るごとに更新しにくいものになっていった。仮に素晴らしい記事を書けたとしても、読者は簡単に過去を溯って、私の幼い頃の記事を暴いてしまうだろう。私の見栄は、足手まといな過去を引き連れながらブログを更新することを許さなくなった。

 

――――

 

 私はこんなブログ一刻も早く削除したいのですが、過去の自分を自分の手で葬るのは惜しい気もするので、諦めの気持ちを強く持って消さずに残しています。

 成長とともに私は繊細さが割と抜けてきました。だからといってこのブログを更新する気は起きませんでした。書くことがなかったからです。ところが今は是非書かなければならないことを見つけているのです。

 

 以前私は、「微妙なY.M.O.のベスト盤」という記事を書きました。日付を見ると2013年3月10日とありますので時の流れを感じます。

 この記事で言いたいことは簡単で、「このCDはすべてにおいてしょうもない」です。特に私が拘泥したのは、ジャケットのデザインです。当時の私はこう云います。「このデザインは、まるで海賊盤がやるような代物で、作者の何某はCGを使用しておきながら、こんなものしか作れない」

 この記事に対する当時の他者からの意見は皆無でした。無視同然に扱われたということです。私はそれを悲観するでもなく、いつしか記事を書いたことすら忘れていたのでした。

 ところが私は、この記事に反応する者が現れていることを知ったのです。しかも、反応者とは、他ならぬ作者本人だった! 作者は、私のブログにコメントを直接寄せたのではなく、某SNSで当時を回想する形で、私の記事URLを引用していたのです。日付を見ると去年でした。私がデザインを酷評した2013年から、六年以上かけて本人のもとへ届いたのです。

 私はこれが意外でしかたがなかったです。このCDが世に出たのは1993年です。1993年に、こんな訳の分からないデザインをした人が、今も生きている? ヒトラーが実は今も生存していると知ったら、誰だって驚くではありませんか。私にとって、このデザイナーとヒトラーは同じような立ち位置にいたのです。しかし考えてみれば、1993年は明らかに最近のことではないですか。これしきのことで驚いているようでは、YMOの三人を全員殺さなければならなくなるわけで、大変不本意です。1993年という時代にCGに着手しているということは、ある程度新しい感覚を持っていたということでして、つまり当時若者だったと推定するが自然でしょう。当時若かった人が2020年現在も生きている。何も不思議なことはありません。

 

 以下、例の記事を書くまでの経緯を覚えている限りで書きます。

 2013年3月、私は叔父の車に乗せられリサイクルショップに行ったのです。そこで見つけたのが、例のベスト盤CDだったのです。このCDの存在は2013年より前から知っていました。Amazonで売られているわけでもない、ジャケットの何とも言えないデザインを有するCDを画像で見て、子供心に異様なものを感じつつ、「本当にこんなものが実在するのか?」と不審でした。その謎のCDが店に売られているのです。二枚がビニールで包まれセット売りになっていました。バラ売りではなかったのです。値段は覚えていませんが千円以上はしたと思います。私は「何となく希少そうだ」という理由で買いました。愚かだと思います。今の私なら決してしないことです。当時YMOのアルバムはすべて所持していたのですから、こんなもの買うのは無駄なのです。

 購入した正確な日は不明です。私の予想では、記事を投稿した2013年3月10日が購入日でした。しかしどうも違うようです。なぜそう言えるかというと、私は2013年以降に買ったCD・LPをすべてパソコンのメモ帳に記録しているからです(今はUSBにデータを移している)。メモ帳の3月10日の辺りを見ると、例のCDは記録されていませんでした。

 さらに不思議なことに、私の記憶によると、リサイクルショップで買ったCDは、例のYMOの謎ベスト盤と、PSY・Sの『Mint Electric』の計三枚でした。ところが記録によると、私が『Mint Electric』を買ったのは4月6日となっています。私が例の記事を投稿したのは3月10日ですから、4月6日に買ったのでは辻褄が合いません。

 

2013年の購入履歴の一部

 

 私は昔買ったCDをどこで買ったか、今も大抵覚えています。上の画像で私の記憶を想起してみましょう。

 

51~52枚目:タワーレコード新宿店

53~54枚目:モレラ(祖父に買ってもらった。こんなの老人に買わせるな)

55枚目:???

57枚目:ブックオフ(叔父に連れられて。一度しか訪れていないので店名失念)

58枚目:ヤフオク

59枚目:ブックオフ、オーキッドパーク店(叔父とともに。)

60~62枚目:バナナレコード四ツ谷店(今は閉店してます)

63枚目:Amazonマーケットプレイス

 

 私の記憶はやはり大抵確かなのです。そうなると尚更、55枚目の『Mint Electric』が謎です。推理するとすれば、

 

1.メモ帳に誤った日付を記載した

2.YMOのベスト盤を買ったのは2012年以前

3.ブログの投稿日時を改変した

4.例のYMOをCDを、CD以下の何かと認識していた(メモする価値がない)

 

といったことが挙げられます。1は少しあり得る。2が一番有力。3も否定できないが、こんな記事のために改変する理由がわからない。4には完全同意ですが、これは今の私の心境が多分に込められているので、純粋だった当時の私とは別人です。

 

 謎は迷宮入りになりそうです。仕方がないので、私の眉唾な記憶をお送りしましょう。

 CDを購入した私は、叔父の車で祖父母の家に帰った。2013年当時の私は、CDをプリンターでスキャンすることに熱中していた。早速買ったCDもスキャンした。例の記事で掲載した画像は、私がこの手でスキャンしたものだった。

 ここで思い出したのですが、スキャンしたデータが今もUSBに残っているのです。私にとって最初に使ったUSBでした。久しぶりにそのUSBを挿すと、果たして様々なアルバム・ジャケットをスキャンしたデータがありました。しかし、例のYMOのCDはおろか、『Mint Electric』もないのです。

 

 

 謎は深まりますが、とにかくスキャンしました。

 ちょうどその頃、当ブログでは、99%偽物のファースト・アルバム(US版)とか紛うことなき海賊盤とか、どうしようもない盤を記事にして取り上げていたのです。その流れにおいて、あのジャケットは恰好の材料だったのです。こんなデザイン、家のパソコンでも作ろうと思えば作れると。

 要するに私は、「技術」というものに感謝が足りなかったのです。先人によるテクノロジーとの闘いがあったからこそ、私は「こんなの自分で作れる」と言えるのです。このデザインが作られたのは1993年です。二十年後の私が「自分でも作れる」と言ったところで、それはそうだろとしか言えないのです。

 

 ジャケットをデザインされた方は私の記事を見て、SNSに投稿することになります。その方は私に怒っているわけではなく(内心どうか知らないですが)、優しく当時を回想していました。これが大人というものなのでしょう。私はまた一つ賢くなりました。

 作者の何某様。軽率なことを申してしまい大変申し訳ございませんでした。何せ子供がやったことでございますから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、このデザインは、やっぱりいかがなものかですよ。

 その方の証言によりますと、あるレコード会社(アルファ・レコードではないらしい)が、「YMO」の三文字を乗せよと指定してきたそうです。馬鹿じゃないですか? 幼稚園に依頼して園児達に書かせ方が面白いものがいくつか出てくると思いますよ。作者が悪いのでは決してなくて、会社がお馬鹿さんだったのです。それから当時のCGの技術もおバカです。ついでにアルファもです。三馬鹿が揃ったではありませんか。

 大体私は、『BGM』のジャケット・デザインだって変なものだと思いますよ。ファースト・アルバムの日本盤なんかもっと変じゃないですか。ウィンター・ライヴのステージだって、無理に褒めることないです。YMOというのは、つくづく変なデザインをされるために生まれたバンドだったですね。

 さよなら

前にCD店に行ったら、シーナ&ロケッツの「真空パック」が売っていました。
2006年に紙ジャケットで発売された時のものです。
確か廃盤だったはず……と思って調べると、再発していたそうです。
真空パックだけでなく、アルファに在籍していた時のアルバム全てが再発。
テクノっぽいのは「真空パック」と
シーナさんのソロ「いつだってビューティフル」くらいものですけどね。

同時に大村憲司さんのアルバムも再発されているのではと思い、
調べると、やはりこちらも再発。
Amazonを見るとまだその情報が追いついていないようですが・・・。

いずれも帯を見ると「完全生産限定盤」と書かれています。
限定でなくてもいい気がするのですが……。
そもそも完全限定としておきながら、今回で二、三回目の生産ですし。

あとは細野さんが発足したノン・スタンダードレーベルから出た
アルバムも一部再発だそうです。
ほとんどが廃盤になっていたものなので、良い事尽くしです。

MIDI在籍時の坂本さんのアルバムの紙ジャケット再発、
ビートニクスのボックスセットなどなど、
最近色々盛り上がっていますが、一体何があったのでしょう?
今更といったところなのですが、坂本さん大丈夫ですか?
最近の写真とか見ると、結構危なげではないですか?
痩せましたね。それも心配な痩せ方を。
まるで自分のことのように焦り出しましたよ。
どうしような・・・最近の紙ジャケ再発、まだ買っていないですし。
だって高いし・・・MIDIは大抵そんなものですけど。
最近、ムーンライダーズの方ばかり聴いていたので、
疎遠だったんですけど、こうなったからには・・・。

近年の坂本さんは、原発とか政治が・・・とか色々言っていたので、
ちょっと私は離れて見ていたのですが、やっぱり音楽は良いと思います。
佐久間さんもかしぶちさんも大滝さんも居なくなって、
ついにY.N.O.からも・・・いつかは起きることですが。
いやちょっと本人に失礼でしょうか。単純に生きているわけですし。
大丈夫であってほしいということで、
とりあえず改めて冷静に坂本龍一のアルバムを聴いていこうかと。
今までずっと1993年盤しかなかった
坂本さんのMIDIレコード期のアルバムが
紙ジャケットとして再発しつつあります。
何年か前に音楽図鑑と左うでの夢が紙ジャケットになる!
と言って発売中止になる事態になったものですが、
これにてようやく発売に至るという訳で
嬉しく思っています。
実はまだ一枚も買っていないのですが・・・

特に戦メリのサウンドトラックと
左うでの夢は2枚組で充実した内容となっています。
そしてさらに目玉と言えるのが音楽図鑑で
山ほど作った未発表の一部がDisc 2で収録されるそうで
物凄く期待できます。

かつて発売中止になった時の理由が
「内容を変更するため・・・」といった内容でしたので
「まさか・・・」と思いましたが
まさかが本当の事になって良かったです。
これを「レコード初回限定盤の"レコード+12インチシングル"の
仕様を完全再現!」で曲数が以前(1993年盤)と同じ
13曲入りだったら椅子から転げ落ちていたかもしれません。
そうじゃなかっただけでも良かったです。
なんていうか今更・・・といった所なのでしょうか。
何年か前までは「またか・・・」と思ってしまう事がありました。
それはベスト盤ですとかそういうものです。
2011年に「YMO」が出た時なんかがまさにそうでした。
妙なデザインで初回限定で紙ジャケット・・・という仕様で、
最初は買わないと思っていたのですが、
いざレコード店で目にすると気が変わり買ってしまった曰く付き
(といっても自分の勝手な行動なのですが)のアルバムです。

細野さんが「これで終わりにしたい」と
「Go Home YMO」をリリースし、
細野さんが「次はユキヒロ」みたいなノリに乗って
高橋さんが「One More YMO」という
ライブ音源のみで構成されたベスト盤を出し、
教授がこんどは「UC YMO」をリリースし、
そして最後にメンバー選曲による「YMO」が出たというわけです。

「R-L TRAX Live & Rare Tracks」が出た時には
3人がホームページで謝罪してたくらいですから
もうベスト盤みたいなのは出しちゃいけないっていう
感じになってたのでしょうか。
ニューウェーブといえば、ディーヴォとかトーキング・ヘッズとか
色々出るんでしょうけど、私はこのフライング・リザーズを挙げたいと思います。
Flying Lizardsこそが、「何でもあり」が特徴とも言えるニューウェーブを
最大限に利用(というより遊んだ?)したユニットだと思うのです。
一応バンド編成っぽかったりもしますが、基本的に
デヴィッド・カニンガム主導のグループで、
何よりも特徴的なのは、やはりこのデヴィッドという人が
ミュージシャンであるのに楽器を弾けないという所でしょう。
楽器が弾けないとなるとなると、
色んな楽器をがむしゃらに叩いたり弾いたりするか、
楽器でないものを叩いたりとかそれくらいしか出来ません。
それは非常に雑多で幼稚で聴いてられないものになるはずなのですが、
フライング・リザーズは雑でありながらも
ちゃんとした音楽になっている。これが凄い所であり、
フライング・リザーズ、すなわちデヴィッドの才能なのです。

現代ならこのような音楽はどうしても自主制作でしか
この世に発表する事は出来ないものですが、
この時代はやはりニューウェーブですから
レコード会社も多少おかしいと言うか、チャレンジ精神が抜群で、
このゴミも同然の音楽を作るデヴィッドとかいう男が
ほとんど一人でやっているらしい妙なグループと
契約を交わすのです。

1978年に「Summertime Blues」のカバーをリリースし、
翌年にビートルズもカバーしていた「Money」を
これまた自己流にカバーし、これがイギリスで大ヒットするのです。
デヴィッドも変で、レコード会社もまた変ですが、
何よりもおかしいのはこんなレコードをどしどしと買っていく
リスナーではないでしょうか。
この時ならではの事です。
スネアドラム(恐らく他の音も鳴ってる)を力任せに叩き、
つまづき気味のピアノ?などの音がなんとかリズムを作り、
そして素人同然の女性ボーカルがお経のように歌う(喋る?)
コーラスはエフェクト処理がされまくりで何を言ってるかわからない。
このような訳の分からない曲、それがフライング・リザーズにとっての
「Money」なのでした。




こうした有り得ないデビューを果たし、
デビューアルバムもまた酷いもの(褒め言葉)で、
私も何度聴いたかわからないほどです。

Flying Lizards/Flying Lizards

ファーストアルバム。タイトルはそのまんま「Flying Lizards」
邦題は「ミュージック・ファクトリー」でした。


1979~80年の時点でフライングリザーズはかなり斬新なものでしたが、
ニューウェーブの流れはかなり早く、1981年
デヴィッドは、様々なミュージシャンをゲストに迎え、
セカンドアルバム「Fourth Wall」をリリースし、
シングルも数枚リリースし、いずれもかなりの傑作だったのですが、
もはや彼等のサウンドというのは、割とありふれた方になっていったのでした。
(それでもやはり変なのですけど)
 
1984年にはサンプラー「フェアライトCMI」を導入し、
「Top Ten」というカバーアルバムをリリースします。
これまた脱力した、原曲を壊した傑作なのですが、
もともと無名なレーベルから出たため、
さほど売れず、85年にCD化されたのを最後に入手困難となっています。

3作ともかなり作風が違うのですが、
どれも非常に素晴らしい作品だと私は思っています。
(好き嫌いはあると思いますが)
デヴィッドはグループ活動休止後もソロでアルバムをリリースしたりしてますが、
やはりこの時期が最高だと思っています。


フォース・ウォール/フライング・リザーズ

セカンド「Fourth Wall」


ビル・ネルソンという人をご存じでしょうか。
Y.M.O.ファンであるなら大体は分かると思うのですね。
歌謡路線に移った(でも浮いてましたが)頃のY.M.O.に
主に関わっていたわけですけども、
もとといえば、ビー・バップ・デラックスという
最初はテクノでもなんでもない人でした。
それがクラフトワークとかでも聴いたのか、
最終作でシンセサイザーがよく登場するようになり、
そしてそれからはひたすら自分の世界へ・・・というわけです。

いっつも一人で宅録。といった感じなのでしょうけど、
時々Y.M.O.と関わったり、ユキヒロさんのツアーに参加したり、
Monsoonとかいうグループに参加したり、
最近じゃ現在キュアーのメンバーとなっている
Reeves Gabrelsという人と一緒にアルバムを出したりと、
まあつかめない人なわけですね。

そんな彼ですが、アルバムをなんと100枚以上出しているわけでして。
この話をすると大抵の人は驚きます。
シングルじゃなくて?と言う人もいますし、
「バカだな」と笑う人も居ました。
まあしかし本人は真剣なんでしょうね。素敵だと思います。

色んなサイトで既に言われている事ですが、
1.ポップな作風 2.アンビエントな作風
といった全く違ったジャンルのアルバムを出せるのですが、
主に80年代はほとんどアンビエントです。
彼はボーカリストとしてもなかなかだと思うのですが、
こうもインストが多いと、なんとなく物足りないようにも
思えてきてしまったりもしますが、
意外とインストにもハマってしまったりするんですよね。
やはりこれはビル・ネルソンという人の
音へのこだわり、といった所なのでしょう。

最近じゃビルの作品もCDで再発されてきてますので、
気になった人はぜひとも聴いていただきたいです。


最近、ちょっと気になる事があります。

それは、Y.M.O.関連のアルバムには、あまりにも入手困難なものが多すぎないか

・・・・ということです。

でも、どのぐらい入手困難なのだろう。

という事で、今回まとめさせていただきます。


シーナ&ザ・ロケッツ / 真空パック

細野さんがプロデュースし、教授、ユキヒロさんの提供曲もあり、

一気にYMOファミリーの一員となったテクノポップアルバム。

「Radio Junk」や「Rokket Factory」など、

Y.M.O.のツアーでも演奏してきた曲もあるだけに、

結構注目されてるアルバムかと思いきや、

アルバムはとっくに廃盤。

過去に生産限定紙ジャケットとして再発されましたが、

「限定」ですので、さっさと廃盤に。


大村憲司 / 春がいっぱい

Y.M.O.の他にも、数多くの豪華ミュージシャンが参加した傑作。
曲が良いということもさることながら、
大村さんの素晴らしいギタープレイも堪能できるので、
本当にいい出来になっているはずなのですが、
「真空パック」同様に、
生産限定紙ジャケット(またかよ…)により廃盤。


Namco Video Game Music
細野さん監修による、初のゲームミュージックアルバム。
Xeviousのように、効果音を曲のように仕上げていたりと、
細野さんの遊び心のようなものも楽しめたりしますが、
何よりも曲が良いんだな・・・と思わされます。
(収録曲の作曲はいずれも細野さんではありません)
2001年にこれと「The Return of Video Game Music」、
「Super Xevious」の3枚がCD化されましたが、
Super Xeviousだけが廃盤じゃないです。
なんでそれだけ・・・。

戸川純関連
戸川さんなんかはもう全部のアルバムが
ずっと流通しててもいいようなのですが、
やっぱり限定生産紙ジャケット仕様で廃盤。
当然、戸川純「関連」には、ゲルニカも含まれます。


コシミハル / 「Tu Tu」「Parallelisme」
YEN~NON Standard~現在と、
未だに細野さんに付いて行ってるコシミハルさんですが、
YENから出たこの2枚のアルバムは、
現在入手困難かどうかもはっきりしませんが、
どっちかっていうと難しいです。
(まあNON Standardから出たのも似たようなものですけど。)


Chris Mosdell and Javelin Opera / Equasian
初期Y.M.O.の作詞担当と担っていた人ですが、
実はアルバムを出していたりします。
当時を生きていた人でも知らないという事もあり得る一枚です。
とうとうアルファが潰れたときもCD化されず、
長い間ほっとかれたままでしたが、2003年に
お約束の「限定紙ジャケット仕様」で再発。
ほどなくして廃盤。
・・・これに関しては今後の再発は期待できなくて、
何しろすごいテクノポップなアルバムというわけではなく、
クリスさんらしい散文詩的な歌詞と
ひたすら難解な音という音が飛び出すといった感じですので、
初めて聴く人にとっては辛い内容かもしれません。
まあ、そこをなんとか再発してくれてもいいような気がするのですが・・・。


Sheena / いつだってビューティフル
YENレコードから出たシナロケのシーナさんのソロアルバム。
ピコピコしてるわけじゃないですが、テクノポップです。
ちなみに細野さんプロデュースです。
非常に可愛らしい音になっておりまして、
シーナさんの「元気いっぱい」とでも言いたくなるほどの
歌声がいやというほど(悪い意味じゃないです)聴けます。
これも「限定紙ジャケット」で廃盤です。


Testpattern / Apres-Midi
まさしく、これはテクノポップの名盤。と言いたいです。
本職はデザイナーという比留間雅夫さんと市村文夫さんの
2人によるユニットで、温かみのあるシンセの音がとても良いです。
細野さんプロデュースだそうですが、
実際にはそんなに細野さんは関わってないそうで、
YEN(正確にはYENの傘下のMedium)からレコードを出した事
ぐらいが細野さんの役目でしょうか。
アルファがあった頃は2度CD化されましたが、
ソニーが権利を持ったら無視されました。


イノヤマランド / Danzindan-Pojidon
元ヒカシューのシンセ奏者、井上誠さんと山下康さんの
2人によるユニットです。
テクノというよりアンビエントに近いという感じで、
これもYENの傘下Mediumから出ています。
そもそも、このMediumというのは、
細野さんがYENから発足させた傘下レーベルで、
つまりは細野さんの趣味がここには詰まっている訳です。
本作に至っては、アルファがあった頃に
一度CD化されたのが最初で最後のCD化でした。


Interior / Interior
これもMediumからの発表。
後にF.O.E.を細野さんと結成させる
野中英紀さんがメンバーだったバンドですが、
インテリアの音は、全然FOEじゃありません。
常にゆったりとしていて、とっても音が綺麗です。
これは後にウィンダム・ヒルから
新しくリミックスされて過去に再発されてましたから、
ひょっとするとまた再発してくれるかもですね・・・。


Shi-Shonen
ここからはNON Standardに移ります。
アルバムは3枚(内、1枚はミニアルバム)ですが、
どれも入手は微妙な感じです。
特に「Do Do Do (さっき書いたミニアルバム)」が、
一番入手困難です。
まあ特別歌が上手いという人達ではないですが、
なんとなく愛着の湧く音です。


World Standard
アルバム「World Standard」はまだ入手しやすい方ですが、
「Double Happiness」は微妙です。
そして極め付けは「Allo!」で、
これは、そう簡単には入手できたものじゃないです。


Urban Dance
ポストYMOとか言われてた時代があったり(あったのか?)しましたが、
まあ、思いっきりデジタルサウンドですね。
やっぱりファーストが一番だと思うんですけど、
そのファーストが一番法外な値段がつけれらていて、
本当に呆れるしかないです。



・・・まあとりあえず思いつくのはこれです。
オムニバスアルバムは除外しました。
まあ何だかんだでAmazonで割と安く買えるのもありますが、
その安いのを買ったら、
次に安いのが「4000円」なんてことも結構あり得るわけです。
実に流通というのが危ないです。


まあここまで書いてきて思ったんですが、
大体アルファとソニーが悪いって事でしょう。
まずアルファに言いたい事は、
 潰れるような商売をするな
ということで、ソニーには
 もっと積極的になれ
と言いたいところです。


帯に「YMO」とかの文字を入れときゃ売れるのが何枚もありますよ。
ただし、「限定」の文字は入れないでくださいね。頼みますから。
Y.M.O.のベスト盤出してる暇があったら
さっさと他のを再発してほしいものですね・・・。
まあ、待つしかなさそうですね・・・。

最近更新が少ないですね。自分で言うのもなんですけど。
さて、今回はミュートレコードです。なんで今・・・。
変な奴らがいっぱいいましたね。
特に初期に遡れば遡るほど、不思議なのが出てきて、
極めつけは社長(ダニエル・ミラー)までがアルバム出してるんですから、
変わったレーベルだと思います。
そして今回は、そのミュートレコードから出たアルバムで、
私が持っているアルバムの中からお気に入りのアルバムを紹介していきたいと思います。


Deutsch Amerikanische Freundschaft / Die Kleinen Und Die Bösen (1980)
ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフトの
セカンドアルバム、ディー・クライネン・ウント・ディー・ベーゼン。
長いです。以後、DAFのKBと呼ばさせていただきます。
(邦題は「サイレント・ノイズ」と「小者・悪者」の二つがあるようです。)
何気にミュート第一弾アルバムです。何でこれが・・・。
タイトなドラム、なんだか不気味なエレクトロニクス、
ほとんどノイズなギター、終始ぶっ飛んでるボーカル・・・。
これが最初から最後まで続きます。
初期DAFは、まだバンド編成で、
ガビ・デルガド・ロペス、ロベルト・ゲアルの二人に、
ミヒャエル・ケムナー(ベース)、ヴォルフガング・スペルマンス(ギター)、
クリスロ・ハース(エレクトロニクス)の5人でした。
(本作発表前にはクルト・ダールケというエレクトロニクス担当もいました。)
すぐにガビ、ロベルト以外は脱退するのですが、
クリスロはリエゾン・ダンジェルーズを結成、
クルトはピロレーターと名乗ってデア・プランを結成します。
ミヒャエルとヴォルフガングは「マウ・マウ」とかいうバンドを結成して、
すぐ解散してミヒャエルは何だかんだで現役で、
ヴォルフガングは全然わかりません。
 本作は、まだまだDAFの音は完成されていませんが、
後の方向性も少しばかり感じられます。
そして旧B面は、ライブ音源を収録したもので、
かなり盛り上がっています。特にガビが。
19曲もありますが、ほとんどが短い曲で、
あんまり初心者にお勧めは出来ませんが、
DAFを語る上では、欠かせないアルバムだと思います。
(結局「KB」は使わなかった・・・。)


Silicon Teens / Music For Parties (1980)
現役高校生含む、全員10代によるバンド、という設定で売り出されたバンド?です。
ひたすらピコピコしていてチープなアナログシンセが非常ポップな出来映えとなっています。
個人的にはAndreas Doraus und Die Marinasとこれは究極のテクノポップだと思っております。
さて、先ほどこのバンドは全員10代と言いましたが、それは嘘です。
一応4人組だという風になっているのですが、実はメンバーは一人、
しかも年齢は30才近い男、なんとその正体は社長ダニエルだったのです。
この社長は「ザ・ノーマル」という一人バンド?を結成していて、
「Warm Leatherette」というシングルを、
ミュート第一弾シングルとして発表します。
社長も色々やりたかったんですね・・・・。
結局、ザ・ノーマル名義で発表したのはWarm Leatherette一枚。
シリコン・ティーンズとして出したアルバムもこれ一枚。
それ以降ダニエルさんはアルバム、シングルを出さず、
プロデュース、または他の人のアルバムに参加したりする事になるのですが、
また一枚こんなのを出してくれないかなと思いますが、
まあ無理なんですかね・・・。


Depeche Mode
現在もミュートに在籍し続けるバンド、デペッシュ・モード(以下DM)。
最初はチープ&ポップで途中からすごく変わる。そんな人達です。(てきとう)
Speak & Spell (1981)
 最近新譜が発表されたDMですが、彼らのファーストアルバムは、
 非常にピコピコしていて、後のDMとは結構違います。
 その理由は、当時リーダー的存在であった、ヴィンス・クラークにあります。
 この時期のDMの曲は、全部ヴィンスさんが手がけていて、
 その結果、現在のDMとはかけ離れたものとなりました。
 聴けばわかる通り、完全に「シンセポップバンド」です。
 編成もボーカル+キーボード+キーボード+キーボードですからね。
 (まあこの編成はその後もそうなんですけど。)
 さて、作曲&キーボード担当のヴィンスさんは、ライブ嫌いで、
 だいぶ拒んだようです。また顔があんまり良くない的な理由もあったらしくて、
 その結果ヴィンスさんは脱退してしまいます。
 顔って・・・アイドルバンドですかDMは。
 

A Broken Frame (1982)
 ヴィンスさんが脱退してしまいました。大変です。作曲担当が居ないんですから。
 仕方がないので、マーティン・ゴアが作曲担当となりました。
 しかし、どうもまだ慣れていないのか、
 まるでファーストアルバムのようなアルバムとなっています。(悪い訳じゃないです。)
 大体の曲がヴィンスさんの曲をお手本にして作ったような感じです。
 でも、実際にはヴィンスさんとはまた違ったアルバムでもあります。
 確かに機材は前作と同じですが、「See You」などのような曲は、
 ヴィンスさんは作らなかったでしょう。


Constructin Time Again (1983)
 だいぶ変わられましたね、DM。
 本作からかなりDMの方向性が決まってきて、ジャケットもそんな感じです。
 それまでのチープだったりした要素から、
 ダークな要素を含んだ、とても格好いい作風となり、
 ようやく自分達のバンドを確立させたといった感じです。
 また本作から、アラン・ワイルダーが正式加入します。
 ドラム、パーカッション担当という事もあり、
 メタルパーカッションも取り入れられています。
 ところでこれはアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの影響でしょうか・・・。


Some Great Reward (1984)
 本作から完全にDMの方向性が確立されたと言っていいでしょう。
 ジャケットもまた良いのですが、内容もとても良いです。
 メタルパーカッションもやはり使用されており、
 ダークでハードな印象も感じられるも、かつポップでもあるという、
 非常いバラエティ豊かな内容となっております。
 まさに捨て曲なしです。
 それにPeople Are Peopleもヒットしましたし。
 でも個人的には1曲目のSomething To Doが好きです。
 「テクノポップ」という見方をするなら、
 このアルバムが最後かと思われますので、DMはこの変で終わりにします。


Yazoo / Upstairs At Eric's (1982)
ソウルシンガーを目指していた女性シンガー、アリソン・モイエは、
メンバー求む的な張り紙を貼ります。
そしてその張り紙を取ったのは、あの元DMメンバー、ヴィンス・クラークでした。
しかし、ヴィンスさんの担当楽器はシンセサイザー。
やってる音楽もソウルとは全然関係ないです。
アリソンさんも、最初は不満だったようですが、
結局良いと思ったようで、ファーストシングル「Only You」を発表します。
音は完全にシンセポップなのに、アリソンの歌はこの手の歌い方とは違います。
でもマッチしてるんですよね、これが。
Don't Goも重圧なアナログシンセと共に、パワフルなボーカルがとても格好いいです。
(でも個人的には特に大好きってわけでもないんですが・・・。)
本作でもどれもこれも面白い曲です。
なかには「声中心」みたいな曲もあるんですから。
ところで、ジャケットのヴィンスさんですが、坊主です。
この人はよく坊主頭にしてました。
Don't Goでは、一部の髪だけ生やした、非常に不思議な髪型でした。

結局、Yazooのアルバムは、これと次作だけで、すぐ解散してしまうのですが、
このバンドの存在感はなかなかのものだし、
無機質と有機質な要素を混ぜたというのは、すごい発想ではないかと思います。


I Start Counting / My Translucent Hands

(6月16日追記)

1986年に発表されたアルバム・・・な筈なのに、かなりチープです。

でもドラム、パーカッションの音とかはこの時期の音なので、

アナログなんだかデジタルなんだかなサウンドです。

どことなく、じめじめとした雰囲気が漂っていて、

それにやる気なさそうなボーカルが重なる事によって、

元々独特な世界だったのがもっと独特なものになっています。

内容は決して悪いものではないのですが、

1986年という技術が進歩し、まさにデジタルな時代たった当時に、

本作は全然追いついておらず、そんなに受けませんでした。

これが1979~1982年くらいに出てたら、

もっと評価は良かったと思うんですけどね。

なお、現在は廃盤で、かなり入手困難な状態なようです。

早く再発してほしいものです。


Fad Gadget

(9月21日追記)

ミュートの契約第一号のアーティストのファッド・ガジェットです。

名前を見る限りではバンド名に見えるのですが、

個人名(芸名)にもしているようで、はっきりしません。

ちなみに本名はフランク・トーヴェイのようです。

Fireside Favourites (1980年)

なんだか知りませんが、ひたすら暗いです。

シンセの音は大抵分厚く、それに低く暗いボーカル。といった感じです。

チープと言われても仕方がないですが、それなりに完成度はあるかと思います。


Incontinent (1981年)

 前作はほとんどシンセサイザーといった感じでしたが、

 セカンドでは、結構生演奏っぽい印象が出てきた感じです。


Under The Flag (1982年)

Gag (1984年)

 本作からほとんど打ち込み中心となって、

 完成度もいくらか上がっているようです。

 何やらコーラスの登場回数も増えているようですし。

 特に「Gag」に至ってはかなりハードな感じのサウンドになっています。



以下、準備中。

(Robert Görl, Frank Tovey , NON)