子供の頃の自転車の練習を覚えていますか?
補助輪を外せるようにと、公園で練習しましたね。

もちろんすぐに乗れるわけもなく、
何度も、何度も、転びました。

サドルを支えてあげると「お父さん、手を放さないでね」と
大きな声で、訴えていました。

なかなか乗れないものだから、キミはだんだん飽きてきて
グズグズ言いはじめました。

「もうイヤだよ」というキミを私は怒りました。
「もうちょっとでできるから、やりなさい」

でもキミは泣き続け、やろうとしないキミを見て私はますます腹を立てる。

しばらく我慢比べがあって、キミは泣くことを諦めて練習を始める。

また何度も何度もうまくいかなくて。

再びグズグズ言いそうになって、私ももう限界かなと諦めて
「じゃあ、最後に一回だけやってみようか」と試したら、
あれ、少し乗れた。

「いま、乗れたよ」
「うん」と嬉しそうな笑顔。
「もう一回やってみる?」
「うん」

転んだり、ちょっと乗れたり、また転んだり。
そんなことを繰り返すうちに、とうとうちょっと長めに乗れるようになった。

「乗れたね。乗れたね」


あの時のように、最初はちょっとつらいけど、
がんばれば、きっとうまくいきます。

自転車は一度乗れれば乗り方を忘れることはありません。

あとはもっと遠くまで行きたいとか、もっと早く走りたいとう気持ちだけ。

その気持ちをかなえるには、毎日練習すればいいのです。毎日乗り続けれればいいのです。

キミは自転車に乗れました。歩いている人より早く移動できます。走ってる人よりも疲れずに長く移動できます。

せっかく乗れている自転車から降りてしまっては、もったいない。

ゴールがどこなのか、まだ見えていないかもしれない。

でも自転車を漕ぎ続けていれば、いつかきっとたどり着けます。もし自転車降りて立ち止まってしまっては、決してゴールには行けないのですから。

私がしてあげられることは、もう多くありません。

がんばって、自分の足でペダルを漕いで進んでください。

そしてまた、あの初めて自転車に乗れた日のような笑顔を見せてください。
渋谷の駅を降り、人の流れとともにスクランブル交差点を渡ると、センター街をそのまま進んだ。
スタバを通り過ぎ、さくらやの客引きの声を聞きながらさらに進むと右手にHMVが現れる。

階段を上って中に入る。

平日の昼間なのに、思ったよりも人が多い。

店内には当たり前のように「スリラー」が流れている。

少しうんざりした。またか、と思った。

80年代。マイケルの全盛期にぼくは20代だった。そして、少し斜に構えていた。
当時、マイケルよりはプリンスだと思っていた。その考えは今も変わらない。しかし、マイケルの死は思った以上にぼくの心を揺さぶっていた。

スリラーは確かにマイケルのキャリアの頂点だと思う。しかし、人気とクオリティは必ずしも一致しない。

棚に並べられたマイケルのベスト盤を手に取ってみる。このことがなければ、手に取ることさえ無かったかもしれない。

知っている曲名が並んでいる。熱心なファンでなくとも、マイケルの曲の多くは耳にしたことがある。それほど大きな存在であったことを、今さらながら思う。

すぐ横に試聴機があった。ヘッドフォンをして、18曲目の「ヒューマン・ネイチャー』を選ぶ。ヘッドフォンの向こうから流れてきたのは、マイケルのとてつもなく優しい歌声だった。

目を閉じて、耳を澄ます。この声の優しさを受け入れるのに、ぼくは20年という月日を必要とした。キング・オブ・ポップと呼ばれた男の死を必要とした。

でも、ぼくはこのCDを買うことはないだろう。

マイケルのやさしさを理解することはできたが、まだ必要としているわけではないから。