それで、セリエ博士さんのもうひとつの偉いところは、
ストレスについて外界からの侵襲に対する
「防衛」って言わなかったことなんです。
前に述べたようにセリエさんは、
ストレスを適応メカニズムと定義しました。
それを防衛メカニズムと言っていたらどうなったでしょう。
防衛と言ってしまっていたら、セリエさん以後の
ストレス理論は続かなかったと思います。
何しろ防衛といえば「やったら、やりかえす」
といった印象があるでしょう?
敵から侵略を受けた生体が、自分を守るために戦う。
そういうイメージができてしまいます。
そうなると外界からの侵襲イコール悪い奴で、
ストレス(ただしセリエの定義したストレス)
イコール良い奴といった図式ができてしまいます。
そうだと話は簡単で分かりやすかったんですが、
話はそこで終わってしまうわけです。
生体は、常に外界からの侵略に対して防衛をし続けなければならない。
戦争に負けた敗者が患者で、戦争に勝ちはしないが
(防衛戦ですから、勝利ということは無いわけです。
戦いに敗れるか、負けないで防衛を続けるかしかないのです)
負けもしない降着状態を続けている者が健康なのだ。
そういう、消極的な考え方に陥ってしまいます。
しかし、ちょっとややこしいですけど外界からの侵襲
、いわゆる一般的に使われている方の「ストレス」、
つまりストレスッサーが全面的に悪い奴ではないということは、
もう広く世間で言われているので知っておられると思います。
「適度なストレスは、心身の健康に必要である」とか何とか。
つまり、そうに言われる元は、セリエさんがストレスを防衛(defence )
というようには捉えず、ストレスを適応(adaptation)と言ったからなのです。
その適応ということについてもう少し詳しく言います。
セリエさんは、外部から侵襲を受けた生体が侵襲を受ける前の
状態へ戻ろうとすることではなく、
新しい状態へ適応していこうとするメカニズムとしてストレスを捉えたのです。
新しい状態への適応。防衛戦を戦うのではなく、
開拓者のように新しい状況へ積極的に踏み出して行く。
それが、セリエさんの言うストレスなのです。
これは、発想の転換と言うか、新しい思想と言うか
、病気、疾病に対する医学、治療のあり方を変えて行く力があります。
先に述べた局所的に診るだけでなく全身的に診るという考えと共に、
ストレスッサーという侵襲に対してアクティブかつポジティブに対応してゆく。
そのような医学が必要だという考えが誕生したわけです。
例えばリハビリテーション医学などは、その良い現われでしょう。
機能を回復することはもちろん重要な事ですが、
完全に回復しなければ別の新しい方法を考える。
新しい状況への適応方を探してゆく。
セリエは、そういう考え方を私達に教えてくれたのです。
また、健康ということが何であるか。
そういう基本的な問題を人々の目の前に叩き付けたのです。
外界からのストレスッサーから自分を守だけが健康なんじゃない。
健康とは、日々新しい環境への適応であり、その状況へのチャレンジである
。私には、セリエさんがそう言っているように思えるのです。
つまり健康とは、五体満足ならそれでいいかという問題です。
何らかの障害があったとしても、それを克服して適応していけば良いじゃないか。
完全なる健康という幻想を捨てても良いのじゃないのか。
身体には問題は無いが精神に問題があったら、
それでも良いのか。そういったことを考えさせられるわけです。
ここでは、ストレスという言葉の本来の意味をお話ししました。
しかし、現在では、医学界でも世間一般と同じように
外部からの侵襲によって生じた状態のことをストレスと呼んでいるこも事実ですし、
外部からの侵襲それ自体をストレスと呼んでいる場合もあります。
私が、ここで、お話しして分かって頂きたかったことは、
世間一般の常識が間違っているってことではなくて、
セリエさんという人が言い始めたストレスという言葉の本来の意味を知ることによって、
二つの大事な考え方が導き出されるということです。
一つは、「人を見ずに病気を診る」ということをしてはいないかということ。
もうひとつは、日々我慢の連続かもしれないが、
それは見方を変えれば日々チャレンジをして行くということであると。。







