徹夜になってしまうのか?という状態で、なんとなく書いてみようと思った。
近所には二つの最寄りの駅があるのだが、最近、駅のトイレを使わせてもらえなくなった。というか、入場券を買わないとトイレに入れないということになったそうである。
これは自分にとっては切実な問題で、買い出しの途中では、大抵、駅の構内のトイレにお世話になっていた。ところが最近、「トイレ貸して下さい」と言ったら、入場券を、と言われる様になったしまった。他に周りにトイレがある訳ではなく、公衆トイレもなく、貸してくれるお店さんがある訳でもない。
先日は、辛くて、仕方なく某喫茶店に行き、トイレに駆け込んでから、お茶をそのお店で注文して、飲んだ。トイレ一つで、お茶代が400円近く要るのである。
もちろんその一つの駅な近くにはコンビニもあるが、一軒ではトイレはなく、もう一軒では「買わないのにトイレだけ使うな!」という貼り紙があるのである。因みに後者の店員さんたちは、片言の日本語の外国人さん?なので、その人たちが書いて貼ったという訳ではなさそうである。
そんなことがあって、買い出しに行くもの怖いし、買い物をしたくなる様なものが、そのコンビニにある訳でもなく、お茶代を払ってトイレに行くというのは、経済的に無茶な自分である。
そうなると、どうするのか?というと、その近所の二つの駅周辺では、買い出し、買い物を控える、ということになる。買い出しは、主治医の病院近辺=自由に使っていいトイレとか、公共施設とか、公衆トイレとかたくさんあるので、病院に行く時に、病院の近く「だけで」買い出し、買い物をする、という日常になる。
自分だけがそうなのかは知らないのであるが、近所の駅が一斉にトイレを貸してくれなくなったことで、その周囲で買い物をしなくなる、となると、そうした駅周辺では、それなりの経済的・商業的損失が出ているのではないか?ということになる。
自分自身の最近の生活からすると、そういう想像になってしまうし、小さな子供とか高齢者さんとか女性は、どうしているのか?と考えてしまう。その介助者としても、困った、ということになっているのかもしれない。
ということで、移動とは別にして、駅でトイレを借りられない、ということで、自分は自分自身に行動制限をすることになった。お酒さんも含めて、なるべく、通院の時だけ、自由に入れるトイレが幾つもある地域だけで買い出しをする。
となると、オーバーに言えば、地域経済としては、自由に使えるトイレがないことで、既にそれなりの損失が出ているのではないのか?と想像することは出来る。あるいは、トイレを貸してくれるお店では、売り上げが上がることになるのではないのか?ということはあり得ないことではない。
このペースと、自分の行動範囲からすると、既に、その近くの駅の商店街には、今月分だけでも一万円近くを払っていない訳で、逆に、主治医の病院のある駅周辺とそのお店さんには、前月分よりも多くお金さんを払っている、ということで、今月分の消費を考えると、この三つの駅の地域では、自分の消費の傾向に、前月分と較べてハッキリと差が出ている、ということになる。
その鉄道が、どういう意図で、トイレを自由に貸してくれなくなったのかは、まだ知らないのだが、ひょっとしたら、ある種の「実験」をしているのかもしれないし、駅というものが公共性を失って、お金を使う人だけが関係を持てる場所になった、ということかも知れない。
ということで、「全てはお金」というだけの話なのかも知れないが、それが地域での消費に、たった一人の自分でさえ、消費する地域が変わったのであるから、総合的には、その二つの駅周辺では、生理現象的には安心して買い物が出来ないので、その地域で買い物をするのを止める、という選択肢しか、少なくとも自分の場合には、残されていなくなった、というだけの話である。
更に極論するとしたら、ああ、もう、そういう鉄道を使うのはやめよう、ということになって、主治医の病院も、天候が悪くなければ歩いても行ける距離ではあるので、その鉄道そのものにお金を使うことがなくなる。少なくとも、自分自身に限ってではあるが。
そうなると、高齢者さんとか、小さな子供には、オムツを着ける、という話にはなるのかも知れないが、年金生活者さんに、それだけの余裕があるのかは分からないし、小さな子供と言っても、オムツを着けるのは嫌だという子供もいるだろう。となると、その鉄道会社さんがやっていることというのは、少なくとも公共福祉的ではないし、酷い言い方をするなら、人間というものは、大抵の場合はからださんがある、という「事実」を無視して、全てはお金として勘定している、というだけのことかも知れない。
鉄道にしても、企業がやっている以上は、利益が出なければ、給料にも、今後の運営にも影響が出るのだろうし、お金を貰うというのは当然のことである。
しかし、トイレを自由に貸して貰えないことで、自分の今月分の消費には、既に偏りが出てきているし、トイレが借りられないなら、電車に乗らなくても、その鉄道会社に義理を感じる必要もない、となって、その鉄道会社の収入にも、微妙な影響が出ている筈〜自分の消費に限っては、既にそうなっている〜訳である。これが毎日のこと、となると、ひと月でも、決して馬鹿に出来ない金額になるのは明らかである。
正しく、本末転倒、ということになるが、駅の構内のトイレが自由に使えないとなると、自分一人に限っても、一週間で、消費と消費する地域が変わってしまったのである。地域の商店街さんにしても、鉄道会社さんにしても、自分にしても、「誰の得にもならない」ということで、鉄道会社さんは、やらかした、というか、そういう現象が、バタフライ・エフェクトになる、というのを、想定出来る人材が内部にいなかったのだろう。
もとに戻して欲しいというのはあるが、そこまで鉄道会社さんに期待しても、あんまり意味はない、ということで、鉄道会社さんの新しい方針に「適応する」となると、こういう選択しかなく、仕方ないが、あーあ、という感じなのである。