人生をどのように生きていけばいいかということを、過去の賢人、つまり哲学者や宗教家、詩人などの言葉を総合すると、 「心の平静」というのが最も多いです。 

 

つまり、欲望を満たすことではなく、いかに心を乱されずに平常心で生きていくかです。 

 

このことから、後悔しない生き方、ということを考えていくと、「欲望を満たすこと」をできる限り排除すること、だと思います。 

 

ショーペンハウアーは、欲望は遠くからは魅力的に見えるが、近づくと消える蜃気楼のようなものだと言っています。 

 

しかしながら、世の中のほとんどの人は、逆に欲望を満たすためにお金を得ようと必死になり、自分の時間を犠牲にしています。 

 

地位、名誉、富、もっと言えば他人からの評価、という蜃気楼を目指しているわけです。 

 

自分の過去を振り返ってみれば、欲を満たしてずっと満足した、という経験はないのではないでしょうか? 

 

歴史に名を遺した人々を見ていくと、逆に質素に生きています。 例えば、古代ギリシャのキュニコス学派 人生の目的は、自然に与えられたものだけで満足して生きることにある。 

 

理性的生物として、富・権力・名声といったあらゆる欲求を放棄して、自分達にとって自然な暮らし方をすることで、人々は幸せを得ることができると考えた。 

 

要するに、富、地位、名誉というのは自然ではない。 

 

代表的な人物は、路上に置かれた甕の中で生活していたとされるシノペのディオゲネスである。 

 

ディオゲネスはキュニコス派思想を論理的極限まで採用した。 

 

※つまり、現代でいえば路上生活者です。財産や家、家族、すべて棄てて路上生活者になったようなものです。 

 

そして、聖人君子といわれた人々は例外なく質素な生き方をしていました。 仏陀、イエスキリスト、聖フランチェスコなど。 

 

仏陀、聖フランチェスコは裕福な家に生まれて、何不自由なく暮らしていたのに、自らすべてを捨てて出家し、托鉢で生活していた。 

 

托鉢:托鉢鉢(はち)を持って、家の前に立ち、経文(きょうもん)を唱えて米や金銭の施しを受けて回ること。

 

つまり物乞い。 

 

すべての煩い(世俗の生活)を捨てることで、解脱を目指して修行に専念できるため。 

 

つまり、家、財産、家族、食事などについてなにも考えることがなければ、悩みや心配もなくなり、精神が自由になる、ということ。 

 

もちろん現代人がマネできることではありませんが、なるべく持つものを減らせば、それだけ心の煩いは減る、ということを知っているだけでも違うのでは、と思います。 

 

話は変わって、 

 

X JAPANのHEATHさんが去年、大腸がんで去年10月に亡くなりました。なぜ覚えているかというと、私と生年月日が同じだったので覚えていました。昭和43年1月22日です。 

 

関係者の話によると、6月に大腸がんが見つかり、すでに手遅れで、医師からは「自分らしく生きてください」と言われたそうです。

 

要するに、手の施しようがなかったということです。 

 

そして、関係者の話なので、真実かどうかわかりませんが、HEATHさんは亡くなる直前までいつもと変わらず曲作りに励んでいた、ということです。 

 

もしこれが真実なら、「死ぬときに後悔しない生き方」というのは、こういうことではないか? 

 

また、以前の動画でもご紹介しましたが、上杉謙信の辞世の句で、「一期の栄華は一杯の酒にしかず」という言葉がありましたが、どんなにこの世で成功して地位、名誉、富を得ても一杯の酒、つまり当たり前の毎日に及ばなかった、ということではないでしょうか?

 

 セネカは、1日を一生とみて生きよ、と言っています。 

 

まとめ 

・後悔しない生き方というのは、心の平静を保ち、日々淡々と生きること。 

・過去の賢人が示しているように、質素な生活であればあるほど精神が自由になり、心が豊かになる。 

・明日死ぬ、としてもいつもと変わらずに生きることが最善の生き方。 当たり前の毎日が実は一番幸せだということ。