医療社会学

医療社会学

医療社会学の説明。医療社会学の歴史や展開、対象、主な学説や理論などを説明しています。

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◯病気行動論
医療社会学における「病気行動」は、「病気であると感じている人が、その病気が何であるのかを知り、助けを求める行動」と定義される[8]。当初は、近代医療の普及を妨げている要因を同定し、それに対処するために考え出された概念である。さらに、今日では、近代医療の制度的構成を明らかにするために用いられている。
病気行動に影響を与える変数としては、生物学的変数の他、社会階層やソーシャル・ネットワークの有無が挙げられている。ここでのソーシャル・ネットワークは、いわば「非専門家による相談システム」[9]として機能しており、つまり、近代医療制度を形成している専門家システムの裏領域において、インフォーマルないしローカルな非専門家システムが当の専門家システムの機能を促進させあるいは疎外しており、個人の行動と社会制度を媒介する重要なはたらきを担っている。

◯病人役割論
医療社会学では、「病人」を社会学でいうところの「社会的役割」の観点から分析している。その古典的な理論が構造機能主義社会学の泰斗タルコット・パーソンズによる病人役割論である。すなわち、パーソンズによれば、社会システムを維持するために以下のような社会的役割が病人に要請されているという[10]。

1.通常の社会的役割からは免除される。
2.罹患に対する責任は問われない。
3.回復に向けての義務が課される。
4.専門的援助を求め医師に協力する義務が課される。

ただし、このようなパーソンズの定式化は、あまりに大人‐子ども関係に模したものであるとして、その後数多くの批判を受け、「契約モデル」等の考え方が現れている。ただし、この定式化は1つの理念型としてはなお有効性を有している。例えば、アルコール依存症患者を単純に「病人」と見なすことに対して抵抗感が抱かれる場合があるが、その背景にはアルコール依存症は自己責任、自業自得であるとする通念があり、したがって、如上の2番目の条件に抵触していると感じられるためである。

◯「医療化」論
パーソンズの議論は、医療を社会システム維持の機能要件として肯定的に捉えるものであるのに対して、近代における医療制度を否定的に捉えているのがイリイチ(医療化論)やフーコー(医学的まなざし論)である。
イリイチは、医療制度は「専門家依存」をもたらすものであり、すなわち人間個々人の能力を奪い、不能化するものであると批判し、さらには、「医療そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある」[11]として、これを広義の医原病(社会的医原病、文化的医原病)としている。

◯病の経験論(物語論)
慢性的、長期的な病の経過や回復に対して、患者が当の病をどのように意味づけ、どのように語るのか、すなわち日常生活における主観的意味世界がきわめて重要な影響力を果たしていることが認識されるにつれ、医療社会学においても、構築主義の影響の中で、病の意味論、病の物語論が登場している。
こうした物語論は、患者の訴えを主観的なバイアスのかかった情報と見なしてきた従来の医療に大きな反省を迫るものとなっている。物語論のアプローチによれば、治療にとってまず重要なことは、患者の日常生活における主観的、間主観的な意味世界を共有することなのである。

参照:Wikipedia「医療社会学

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また、健康・医療の問題が西洋専門医学にのみ委ねることへの反省を背景として、「医療化」や「施設化」に対して、人間本来の治癒能力や自律性を重視し、医療/非医療の境界の融解を目指す「脱医療化」がイヴァン・イリイチらによって唱えられ、また、近年では、日常生活や地域生活のなかでケアを行う「脱施設化」に向けた研究も始められている。
実際に、WHOが1986年に宣言したオタワ憲章でうたわれているヘルスプロモーションでは、地域社会や地域コミュニティ単位での健康活動へのエンパワメントに焦点が向けられており、英米では地域研究との連携も進んでいる。

参照:Wikipedia「医療社会学
「健康と病気の社会学」にみられるような構築主義的関心は、古くは正常/異常の区分(逸脱)の恣意性を説いたミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』に由来にするものである。フーコー流の社会史的研究を引き継いだ代表的な著作として、クロディーヌ・エルズリッシュとジャニーズ・ピエレの『〈病人〉の誕生』が挙げられる。
また、非西洋の視点から西洋医療を相対化する医療人類学の取り組みもなされており、その代表的な著作として、G・M・フォスターとB・G・アンダーソンの『医療人類学』がある。

参照:Wikipedia「医療社会学