1967年6月12日、東京都八王子市に生まれ、と言っても生後数か月で練馬区に越したので八王子の事は記憶にはない。
特別記憶力が良いわけでもないが、幼少期の事はかなり覚えているほうだと思う。
3つ下の弟が生まれる前、面倒見てくれたk子という人との事、弟の生れた頃の様子、弟を可愛がる母に嫉妬し、積み木で弟を叩いたて酷く叱られた事等・・小さな頃から「そそっかしい」「おっちょこちょい」と言われながら育ち、顔、肘、膝、常に傷が絶えず、やんちゃ坊主と言われてたが、自分は女の子だと言い張り、スカートをはきたがったり、トイレではしゃがんで小便をしていたこと等も記憶している。後に自分の中で思い出したくない「恥ずかしい記憶」となり、払拭したいが為に「男らしさ」や「根性」みたいな世界に引き込まれていったのかもしれない。
「早熟」というか「ませガキ」というか、幼稚園の年長になったころには、簡単な足し算、引き算も出来、漢字も少しわかってた。バスや電車の乗り方知っており、一人でも乗れると思ってた。
吉祥寺の町で母と弟とはぐれ時も、慌てたり、泣いたりする事も無く、警察に行くのが一番早いと思い、「お巡りさん、僕迷子になりました。」と自ら交番へ行ったこともある。
そんな「ませガキ」だったからこそ、心に深く傷付いた「恥ずかしい事件」があった。
3学期に入り、あとからわずかで幼稚園も終わる頃、ハンカチ落としの最中に急に激しく便意を催し、我慢するも耐え切れず漏らしてしまったのだ。頼むから自分の後ろにだけはハンカチを落とさないでくれと願うも叶わず、非情にも背中にハンカチを落とされた。そおっと立ち上がるものの、ブリーフは明らかに重みで下がっている。走るのも嫌だけどゆっくり走りだすと明らかに半ズボンの脇からポロっと落ちるものを感じた。取り敢えず、何事も無いようにハンカチを置き座る。
次の子が回り始めると「アレ、なんか落ちてる、うわ~汚ね~うんこだ~」
ゲームは中断「だれですか?」と問いかける先生に反応できず下を向く。
「全員立って」と一人づつお尻をチェックする先。「あなたね!」こっちに来なさいとトイレへ。
皆が見ている中、先生にパンツを脱がされ、始末させられる。生まれてから味わった事の無い強烈な恥ずかしさを感じる。
その日を境に、昨日まで明るく自発的だった自分は自閉症のようになり、楽かった幼稚園は地獄へと変わった。
直接いじめにあった記憶はないが、自分を見るクラスメイトはみな「うんこ漏らし」と言ってる気がした。
とても長い数か月を終え卒園を迎える。
幼稚園からは、おおよそ3つの小学校に別れる。
同じクラスの子がいない事の願いがなんとか叶い、幼稚園のクラスメイトは同じクラスに居なかった。
勉強はとても簡単だった。そのせいで成績は良く、足も速く、運動もできたのでクラスの中でも目立つ存在になり、次第に明るさを取り戻していった。
学校はとても楽しかったが、楽しい事ばかりでもなかった。
父はとても怖かった。
父方の祖父母は共に教員で、その二人の間、二人兄弟の次男に生まれた父。6人兄弟姉妹の母も父と同じ学区で、叔父叔母全員、祖父母の教え子だった。「あなたのお父さんは地域で一番勉強ができたのよ。」「あなたも将来楽しみね。」「どこの大学に行ってどこの会社に入るのかしら。」叔父や叔母からいつもそんなふうに言われるのが凄く嫌だった。
一流大学を出て誰もが知っている商社に入社し、海外を飛び回る「エリート」と呼ばれる父。でもそんな父に対する憧れは1ミリも無かった。
「学生の本文は勉強だ!勉強を第一だ!」「俺はお前を食わせてる、だからお前の務めは勉強だ!」「子供は8時に寝ろ!理由などない!」・・・理不尽というか、頭ごなしというか。勉強しないでいると怒鳴られ、ビンタされた。出張が多かったのは多少の救いだった。
家での勉強は嫌いだったが、父のいる日はふりでも長い時間机に座って過ごしていた。
3年生のある日の事。当時「ミクロマン」というサイボーグのフィギアが大流行していた。
毎月数百円の小遣いの中で細々集めており、欲しかった「ブラッキー」という名の「ミクロマン」を手に入れたその日。
嬉しくて嬉しくて、机に座り、夢中で遊んでいたのが悪夢となった。
ガラッ!部屋の扉が空く。
「貴様!勉強するための机で何をやっている!」
ビンタが飛んできた!
「なんだそれは!貸せ!こんな物で遊ぶために机があるんじゃないんだ!」
バキッ!
真っ二つに割れた無残な「ブラッキー」・・・
涙が止まらなかった・・・悲しくて、悲しくて・・・チーコ(猫)が死んだ時と同じように。
親父が大嫌いになった、始まりの1日目。