闇の悪魔ドラキュラのように、お前らは決して日の光のもとで生き永らえることはできない。
瞬く間にその存在が消滅してしまうからだ。

日の光とは真理の光。

この世の真実・実態に目を背き、唯物論・拝金主義と言う名の目隠しによってお前らは闇の世界で蠢いている存在に過ぎない。

 

お前らは仏の理念、死後の世界、無数の超常現象を蔑ろにし、与えられた魂に有害な価値観の鎖に繋がれた囚人であり、
悪魔の価値観に傾倒するお前ら自身が選択した結果だ。

悪魔的行為を躊躇なく行い、人生は一回きり、楽しんだ者勝ち、金ある者が強者、悪事は見つからなければ何でもOKなどと錯覚するお前らには、決して真理の光の衣を魂に纏うことはできない。

光とも闇とも呼べない状態の魂は肉体と言う名の牢獄で、人生の選択を繰り返し、光または闇の魂に形成される。
物理的な死とは光と闇の魂をふるい分けるステップ。

この世の出来事一コマ一コマは、すべて御天等さまが記録している。

光の衣を纏う事のないお前らにとって、死の瞬間こそ、日の光にあたるドラキュラの如く、
逃げ場のない絶望と恐怖がお前らに襲い掛かり、続けて存在自体が消滅する。

お前らには揶揄が通じないだろうし、想像力もないだろう。このことを鈍く曇った感覚で否定するだろう。

 

お前らを諭している訳でもなければ、怖がらすつもりもない。真理は揺るがないのだから。

ただ、闇に身を置く無知で盲目なお前らの蠢きがある意味で愉快に映るのだ。そして同時にお前らを哀れんでいるに過ぎないのだ。

この仮想の世界で送る人生は短いものだ。一見悲惨な人生を送った人間も、うちなる場面で真理を探求し続け、光の衣を魂に纏えし暁には、死のステップで大いなる導きが訪れるだろう。

一方で悪魔の魂を形成したお前らには、決して目覚めること事がなく、死の瞬間に真理の光で焼かれて消滅する運命が待っている。