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BUYMA(バイマ)の疑問を徹底解明

バイマでは購入経験もバイヤーとしての経験もある米国在住者です。経験者としてのバイマでの出来事を書いています。ショッピングをしながら疑問に思ったこと、バイヤー活動で疑問に思ったことなども書いています。

イスラム国に拘束され人質となっていた湯川さんと後藤さんが殺害されました。ご家族やご友人のご心痛を思うと本当に何と申し上げていいかわかりません。

心よりご冥福をお祈り致します。

多くの方が指摘していますが、この事件には不可解な点が数多くあります。個人的な推測や憶測は控え、腑に落ちない点を列記してみます。

① 湯川さんが設立した民間軍事会社の設立資金や運営費はどこから出資されているのか。 湯川さんは事業に失敗し、負債をお父様に肩代わりしてもらっています。 その湯川さんが未経験の分野での民間軍事会社という事業を始め、「経験を積む為」に何度もシリアに渡航できるだけの費用を自分で捻出できたとは思えません。

② 湯川さんが代表を務めていた民間軍事会社の顧問には元県議や元某国大使などが顧問や役員などで関わっていたそうですが、どのようなルートでそういった方々と役員や顧問をお願いできるほど親しくなったのでしょうか。

③ 後藤さんは外務省や政府の渡航自粛要請にも応じず、湯川さんの救出のためにシリアに向かったということになっています。外務省や政府はどのようにして、民間人の後藤さんのシリアへの渡航予定を察知したのでしょうか。中田氏や常岡氏などのように警察庁や公安にマークされていたということでしょうか。また、「湯川さんの救出のために」というのは「後藤さんがご家族にそう話していたらしい」という噂がもとになっているようですが、優秀なジャーナリストである後藤さんがそんな無謀な計画を立てるでしょうか。

④ 後藤さんのスケジュールはかなりタイトなもので、帰国予定日から逆算するとシリア滞在は2泊3日だったようです。そのスケジュールで湯川さんを救出するには、事前にイスラム国側との解放に関する合意がなければ無理ですが、その合意があったとして、外務省でも成し得なかった合意をジャーナリストの後藤さんがどのようにして成し得たのでしょうか。

⑤ トルコ国境の検問所で、後藤さんはシリアへの入国理由を「一週間程度の取材」と答えたそうです。検査官から「(シリア反政府勢力の)警護が必要か」と聞かれ「いらない」と答えたそうです。「何がおきても責任は自分にある」とビデオまで残してかなりの危険を覚悟していたはずの後藤さんがなぜ警護の申し出を断ったのでしょうか。

⑥ 拘束後、後藤さんはシリア人の知人に「ガイドに騙されて拘束された」と電話をしたそうです。イスラム国は拘束した人質に簡単に外部と連絡をとらせるのでしょうか。 別の報道では、後藤さんは知人に携帯電話と日本の連絡先をあずけ、「もし一週間経っても戻らなかったら日本に連絡してほしい」と伝えたそうです。携帯を複数所有していたことももちろん考えられますが、後藤さんが「拘束された」と電話をしてきた時に使われた電話は一体だれのものだったのでしょうか。イスラム国の戦闘員がわざわざ電話を貸してくれたのでしょうか。後藤さんが複数所有していたとしても充電は切れていたでしょうし、拘束されているのに携帯の充電をさせてもらえるというのも違和感があります。

⑦ 身代金要求があってから政府はヨルダンに対策本部を設置しました。なぜヨルダンだったのでしょうか。 人質が解放されたあとのことを考えればヨルダンではなくトルコのほうが地理的には適しています。米国の顔色を伺ったから、という説もありますが、人質の安全や解放交渉を考えればどう考えてもトルコに対策本部をおくほうが有利に思えます。あえてヨルダンに対策本部を置いたのには一体どんな理由があったのでしょうか。



もし後藤さんと湯川さんが無事お帰りになっていたら、今多くのひとが「腑に落ちない」と思っていることが明らかにされたのかもしれません。

お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。