小さい命が親によって…

躾とは
恐怖や痛み悲しみを与えたり拘束する事ではないと思う

『躾として…』…言い訳しなければならない何かをしている人が使う言葉、言い訳にしかすぎない


ケースに入れたら窒息するかもしれないってこと…そんな簡単な事さえわからない人がいる

事件を見てると、無知過ぎて、親の心が幼稚すぎて

今回も、近所から児童相談所に通報がありながら子供が亡くなってしまって、あまりにも悲しくて涙が出ました


子供は大人から見たら悪さしたり、ワケわからない大声で泣くこともあるし、起きてる間じゅう世話してあげなきゃいけない、目を離せない…本当に大変、辛いと思うこともいっぱい

でも、守ってあげなきゃいけない存在でしょう

子供の体を傷付けたり、痛みや恐怖を与えたり…『自分がされたらどう感じますか?どう思いますか?自分より強い人間に押さえつけられ逃げれず、今あなたが子どもにしようとしてる事を、あなた自身がされたらあなたは耐えれますか?自分自身に置き換えてみて下さい、わからないなら実際に自分自身にやってみて下さい』

私自身、親に叩かれたりつねられたり小屋に入れられたりしたこともありました…今は笑い話にもなりますが、なぜ怒られたか理由なんて覚えてないし、その時覚えているのは…親を殺したいような恨む気持ちと、自分も死んで消えてなくなりたい気持ち…親に裏切られたという絶望…親が怖く怒られないように顔色を伺うようになりました…それでも怒られる…早く大人になり自立したいと強く願いました

でも両親は大好き
今は当時の両親の苦労もわかり、働き者の両親を尊敬しています

子供は親を嫌いになんてなれない
子供は親を大好きで愛されたい

子供に痛みを与える事は何の特にもなってない…私が両親を好きでも、自分の子供を預けるには信用できないと思ってしまう、今でも親に愛されたいと願うように子供の頃の心は満たされてません、私の心は何か欠落しています


今書いたのは私の思いだけど

ケースに入れたら死んでしまうかも…という簡単な事さえわからない無知な人、親がいるということ…それが怖いと思います