私たちは恋愛結婚でした。
元夫の間に、3人の子供達に恵まれた。
子育てしてきて、何も無かった訳ではない。
長男が産まれたときは、障害児と分からなくて、
分かったのは、小学校に上がってからだった。
小さいときは、1歳半か2歳歳半くらいのときに、ミキサーを買って、ジュースを作ろうとした時に、私がジューサーに手を入れてるときに、ミキサーにスイッチを入れて、
親指と人差し指を、縫うほどの怪我を、させられました。
の先生が、「お子さんに怪我させられて、怒りませんでしたか」と聞いて、
まだ1半か2歳の子に、よくもお母さんの、手を怪我させたなと、叱っても仕方がないと思いました。
扁桃腺肥大のために、高熱を出すは、社宅の窓ガラスに、手を軽くたたいたら、
社宅の窓ガラスが破れて、窓ガラスに頭から突っ込んで、ほっぺたと口の中と、ちょっとずれたら、首の静脈を切るとこに、
麻酔無しで、看護師さんに抑えられなが、縫われた。
たった3歳の子が、泣かないで、良く我慢してたと、病院中で評判になってしまいました。
その他にも小さい怪我も、耐えませんでした。
あとは小さい頃は、扁桃腺肥大で、良く高熱を出してました。
小学校に上がって、間もなくに、扁桃とアデノイド除去の、手術をした。
手術して縫うわけでないので、1ヶ月間休んだほうが、先生に言われましたが、
学校の担任が、勉強が遅れるからと、無理やりに学校に行くようにと、言われました。
中々読み書きが出来ずに、長男が通ってた学校には、養護学級が無くて、他の学校の個別指導教室に、週2回送り迎えしてました。
それから長男は、手先が不器用で、
こども医療センターに、中学卒業まで、月1日作業療法の訓練に、通ってました。
その間娘はじっと待ってられず、に帰りたいと言って、言うこときかないので、
保育園の一時預かりに、週2日預けてました。
次男は3歳のときに、キャンプに行って、
夜に花火をして、花火をいくら言っても、
火元の近くに短くしか、持とうとしなくて、
花火の火花が、手に飛んで、熱いと言った瞬間に手を振って、火花がおでこに飛んで、大火傷しました。
次男も長男ほどではないけど、扁桃腺肥大で、高熱と気管支が弱くて、しょっちゅう風邪をひいてた。
末娘は怪我も無く、病気もたいしてしないし、女の子は育てやすくて、楽だなと思ったけど、
性格はちょっと気が強いところがあり、自分より年上でも、対等に遊ぼうとするし、
1歳年上の子の、チョークを取り上げたり、仕切るはで、どっちが年上なのかと思うような子で、困りましたが、
繊細なところもあり、人前に出るのは苦手で、お遊戯の舞台では、主役よりその他大勢が良いタイプなんです。
それに娘は朝起きるのが苦手で、幼稚園も近くて2~3分のところで、遅刻はがりと、
高校になっても寝坊して、学校まで送らされた覚えがあります。まったく…
娘が大学受験のときに、第1志望校、第2志望校、第3志望校は2つ決めてて、もう1こうは、絶対に入るつもりがなくて、
オープンキャンパスに行ってない始末で、
そこしか受からなかったけど、でも、そんなんでも自分にあった学校だったのか、なんとか4年間通いました。
それぞれ3人いろいろ有りましたが、家族のために、子供達のために、良かれと思ったことや、一生懸命家族のために、頑張って来たし、幸せだったけど、
元夫はこの25年間の結婚生活は、幸せじゃなかったのかな
私は妻として、母親として、失格で駄目だったのか、元夫には理解されず、別れを告げられた。
別れる際に、そこまで言うかと言うくらい、ボロクソに言われた。
私だって元夫に、不満が1つも無かったわけではないが、私が悪者になるしか無かった。
私はこの気持ちを、何時までも引きずって、過ごさなければ、良いのかなと思う。
元夫はたった約3年で、子供達にも何も相談や、告げることも無く、黙って新しい女と結婚して、幸せに暮らしてる。
子供達はそんな父親でも、怒りもしない…
私はいまだに、気持ちを引きずって、忘れられない、切り替えられない…
調停の時に、調停員に元夫の離婚意思は、硬いですよと言われて、離婚に応じないと、裁判に持ち込むと言われて、
離婚したく無かったので、あちこちの弁護士に相談しても、調停員にも同じことを言われて、ここで離婚に応じたほうが良い、じゃないとかなり損すると言われて、離婚届けに、仕方がなくハンコを押した。
自分の気持ちに、正直に離婚届けに、ハンコを押さずに、最後まで裁判すれば、気持ちの整理が出来たのだろうか
一時は気持ちも、落ち着いてたけど、やはり娘にを出て行かれたのが引き金で、
寂しいのと、子離れが出来てないのとで、
情緒不安定になってる自分がいる。
OD行為はせずに、眠剤と精神安定剤1錠と、頓服の眠剤で、残ってるのを飲んで、
なんとか気分を、落ち着かせたけどね。
じゃないとまた精神科の先生に罰として、
眠剤を減らされるので、益々寝れなくなるので、我慢するしかない…
自傷行為も、次男に怒られるから、我慢してる。
元夫の間に、3人の子供達に恵まれた。
子育てしてきて、何も無かった訳ではない。
長男が産まれたときは、障害児と分からなくて、
分かったのは、小学校に上がってからだった。
小さいときは、1歳半か2歳歳半くらいのときに、ミキサーを買って、ジュースを作ろうとした時に、私がジューサーに手を入れてるときに、ミキサーにスイッチを入れて、
親指と人差し指を、縫うほどの怪我を、させられました。
の先生が、「お子さんに怪我させられて、怒りませんでしたか」と聞いて、
まだ1半か2歳の子に、よくもお母さんの、手を怪我させたなと、叱っても仕方がないと思いました。
扁桃腺肥大のために、高熱を出すは、社宅の窓ガラスに、手を軽くたたいたら、
社宅の窓ガラスが破れて、窓ガラスに頭から突っ込んで、ほっぺたと口の中と、ちょっとずれたら、首の静脈を切るとこに、
麻酔無しで、看護師さんに抑えられなが、縫われた。
たった3歳の子が、泣かないで、良く我慢してたと、病院中で評判になってしまいました。
その他にも小さい怪我も、耐えませんでした。
あとは小さい頃は、扁桃腺肥大で、良く高熱を出してました。
小学校に上がって、間もなくに、扁桃とアデノイド除去の、手術をした。
手術して縫うわけでないので、1ヶ月間休んだほうが、先生に言われましたが、
学校の担任が、勉強が遅れるからと、無理やりに学校に行くようにと、言われました。
中々読み書きが出来ずに、長男が通ってた学校には、養護学級が無くて、他の学校の個別指導教室に、週2回送り迎えしてました。
それから長男は、手先が不器用で、
こども医療センターに、中学卒業まで、月1日作業療法の訓練に、通ってました。
その間娘はじっと待ってられず、に帰りたいと言って、言うこときかないので、
保育園の一時預かりに、週2日預けてました。
次男は3歳のときに、キャンプに行って、
夜に花火をして、花火をいくら言っても、
火元の近くに短くしか、持とうとしなくて、
花火の火花が、手に飛んで、熱いと言った瞬間に手を振って、火花がおでこに飛んで、大火傷しました。
次男も長男ほどではないけど、扁桃腺肥大で、高熱と気管支が弱くて、しょっちゅう風邪をひいてた。
末娘は怪我も無く、病気もたいしてしないし、女の子は育てやすくて、楽だなと思ったけど、
性格はちょっと気が強いところがあり、自分より年上でも、対等に遊ぼうとするし、
1歳年上の子の、チョークを取り上げたり、仕切るはで、どっちが年上なのかと思うような子で、困りましたが、
繊細なところもあり、人前に出るのは苦手で、お遊戯の舞台では、主役よりその他大勢が良いタイプなんです。
それに娘は朝起きるのが苦手で、幼稚園も近くて2~3分のところで、遅刻はがりと、
高校になっても寝坊して、学校まで送らされた覚えがあります。まったく…
娘が大学受験のときに、第1志望校、第2志望校、第3志望校は2つ決めてて、もう1こうは、絶対に入るつもりがなくて、
オープンキャンパスに行ってない始末で、
そこしか受からなかったけど、でも、そんなんでも自分にあった学校だったのか、なんとか4年間通いました。
それぞれ3人いろいろ有りましたが、家族のために、子供達のために、良かれと思ったことや、一生懸命家族のために、頑張って来たし、幸せだったけど、
元夫はこの25年間の結婚生活は、幸せじゃなかったのかな
私は妻として、母親として、失格で駄目だったのか、元夫には理解されず、別れを告げられた。
別れる際に、そこまで言うかと言うくらい、ボロクソに言われた。
私だって元夫に、不満が1つも無かったわけではないが、私が悪者になるしか無かった。
私はこの気持ちを、何時までも引きずって、過ごさなければ、良いのかなと思う。
元夫はたった約3年で、子供達にも何も相談や、告げることも無く、黙って新しい女と結婚して、幸せに暮らしてる。
子供達はそんな父親でも、怒りもしない…
私はいまだに、気持ちを引きずって、忘れられない、切り替えられない…
調停の時に、調停員に元夫の離婚意思は、硬いですよと言われて、離婚に応じないと、裁判に持ち込むと言われて、
離婚したく無かったので、あちこちの弁護士に相談しても、調停員にも同じことを言われて、ここで離婚に応じたほうが良い、じゃないとかなり損すると言われて、離婚届けに、仕方がなくハンコを押した。
自分の気持ちに、正直に離婚届けに、ハンコを押さずに、最後まで裁判すれば、気持ちの整理が出来たのだろうか
一時は気持ちも、落ち着いてたけど、やはり娘にを出て行かれたのが引き金で、
寂しいのと、子離れが出来てないのとで、
情緒不安定になってる自分がいる。
OD行為はせずに、眠剤と精神安定剤1錠と、頓服の眠剤で、残ってるのを飲んで、
なんとか気分を、落ち着かせたけどね。
じゃないとまた精神科の先生に罰として、
眠剤を減らされるので、益々寝れなくなるので、我慢するしかない…
自傷行為も、次男に怒られるから、我慢してる。