兄が散歩の途中で鶯が鳴いているのを聞いたと言ったからなのかもしれないが、ホトトギスの夢を見てしまった。
目には青葉、山ほととぎす、初鰹、のあのホトトギスである。
鳴かぬなら、、、と三人の天下取り武人の性格分けに使われたあのホトトギスである。
ほととぎす早も来鳴きて忍び音漏らす夏は来ぬ と唱歌で歌われたあのホトトギスである。
杜鵑、時鳥、不如帰、沓手鳥、霍公鳥と漢字がたくさんあって何を当てていいのかわからないし、自分でも読めないからカタカナで書こうと思う。
私は昔、鶯とホトトギスは同じ鳥だと思っていた。
鶯が春から鳴いていて、夏になって成長と共に不良化し、夜更かしするようになって声が枯れてきたのがホトトギスなのかと思っていたのだ。
ずっと後になってから托卵の性質や、初音と呼ぶのは鶯とホトトギスだけとか、夏に初めてのホトトギスの声を聴くために徹夜するとか、何かで読んだような覚えがあるが、未だに鶯の声は聴き分けられても、これがホトトギスだという声を聴いた記憶がない。
ホトトギスを詠んだ歌があったはずだなあ。と夢の中で私は思っていた。
両側に本が積まれた薄暗い通路を歩いている。何か思い浮かびそうで思い浮かばない。
何かを思い出そうとする夢を見ることがあり、また何かとてもきれいな夢を見て忘れたくないと思うけれど目が覚めるとまったく思い出せなかったりする。
今回は思い出そうとする夢の方だ。
最初に出てきたのは平家物語だった。源三位頼政の鵺退治の物語が頭のどこかで引っかかっていて、ホトトギスの歌が出てきたように思うが、返しの歌しか思い出せない。
「弓はり月の射るにまかせて」
かっこいいシーンなのに思い出せないとは何たること。
このあと物語は宇治橋合戦と続いて行き、頼政は死んでしまうんだよなあ。
私はたくさんの本が積まれた薄暗い通路を眺めるが、これがどんな目的で作られたものなのかがわからない。図書館ならもっと広いスペースに効率よく書棚を並べそうなものだし、暗すぎてここでは本が読めない。
歩きながら瞑想するには良い場所かもしれないが、それにしても窓がないのだが、真っ暗ではないという事はどこからか光は入ってきているのか。
通路の両側に積まれた手に取ったらバラバラに崩れてしまいそうな古い本を眺めながら、私はまだホトトギスの事を考えていて、正岡子規は除外しようと思っていた。
NHKドラマの坂の上の雲で香川 照之が演じた正岡子規が強烈すぎて辛かったからである。
正岡子規を除外しようと思っていたのに、もっと壮絶な柴田勝家とお市の方の句を思い出してしまい、更に足利義輝の句を思い出してしまった。
ホトトギス暗いイメージしかないじゃん。
目が覚めてから自分の記憶力に自信がないのでネット検索した。
ネットがある今は「こうだったかな」と思うフレーズを打ち込めば即座に確認が出来てありがたいが、昔はどこかに書き留めた手帳を探し出さないと確認ができなかった。
昔の映画「ある愛の歌」で若くして病に倒れる女性が病院のベットでどんどん弱っていって、大好きな音楽の題名もフレーズも出てこなくなって「よく知ってる曲なのに」と悲しむシーンがどういうわけか忘れられない。思い出せない事を悲しめるのは若いうちだけなのだろうか。
60歳を超えると知っているはずの事が出てこないもどかしさは、すでにあきらめの域に達している。映画の題名や俳優の名前が出てこないとか、もう日常茶飯事なのだ。
足利義輝 五月雨はつゆかなみだか時鳥 わが名をあげよ雲の上まで
柴田勝家 夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ山ほととぎす
お市の方 さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 別れをさそうほととぎすかな
平家物語 鵺退治
左大臣藤原頼長 ほととぎす名をも雲井にあぐるかな
源三位頼政 弓はり月の射るにまかせて
織田信長 なかぬなら殺してしまへ時鳥
豊臣秀吉 鳴かずともなかして見せふ杜鵑
徳川家康 なかぬなら鳴まで待よ郭公
松下幸之助 鳴かぬなら それもまた良し ホトトギス