ぐうたらママのだらだら投資日記

ぐうたらママのだらだら投資日記

毎日まいにち世界情勢、会社観察から投資対象をひたすら考えているアナリストの楽しい日記

Amebaでブログを始めよう!

4月に入り、サルが大学院に通い始めたため、ブタちゃんが、受験のための家事の編成を発表した。
 サルは、朝のスープとお弁当全部、お母さんは夕食の下ごしらえ、僕が料理本番。ブタちゃんの初めての受験なので、「だったら、お茶碗洗いもお母さんだね」と私。
 しかし、現実には、お弁当にはいくつかおかずがあった方がいいし、サルにはそれは無理、なので、当然、今まで通り私が豆を煮ておくとか、浅漬けをつけておくとか。猿が朝やるのは鳥の唐揚げだけ。しかし、分担が決まって良かったところは、晩御飯にサルの役目がないということで、他のことにサルを使いやすく、しかも、晩御飯は私がやってしまえば、ブタちゃんは何もやらなくてすむ。
 ブタちゃんに勉強させてあげたいなあ、ということで、晩御飯は私が作るようになった。さらに、晩御飯つくるのと同時に、朝のスープも、お弁当のおかずも作ってしまうので、結局、主婦業に復職したということになった。
 以前は、今より疲れやすくて、家事で疲れてしまって動けなくて、外に全然出ないので、さらに病気を呼び寄せて寝たきりになる、というような感じだったから、外歩きをして健康になるために、子供らに家事をしてもらい、ここ5年くらいは、次郎が太郎を使いながら、すべての晩御飯を作ってきたけど。私もずいぶん動けるようになり、料理したらもう動けないなんてことはなく。土日のどちらかは一万歩くらい歩けるので、「晩御飯作らない理由」が無くなったのだった。いっつも疲れてはいるんだけど、それでも、体が軽いわあ。
 まとめて働くと疲れるから、午前の元気な時に野菜切って、映画見ながら皮むきして、晩御飯の用意も休み休み。と、着々と進んでいき、毎日だいたい1.5kgの野菜、多少の動物系タンパク、豆類、発酵食品、を食べられるように、特売で買った食材を腐らず使い切るように料理。5種類くらいの料理を同時進行で作る。料理屋の板前なんて、それぞれ一つのメニューしか造らなくて、楽だよなあ、と思う。
 ブタちゃんは、手は早いけど、私ほどいっぺんにたくさんのメニューをさばけない。サルに至っては、私の3倍以上の時間がかかる。私なんか、煮物が沸騰するまでに30秒あるな、とみると、その30秒で片付く仕事を片付ける。10秒あれば、チルドルームから肉が出せるし、5秒なら、冷蔵庫の棚からおかずが出せる。しなきゃならない仕事がなかったら、茶碗を洗う。というように、まー仕事始まったら、一秒も無駄にしない。
 毎回、二人で、昼ごはんなら一時間、晩御飯なら二時間も奮闘しているのを、時間がかかって可哀想だなあ、とは思っていたんだけど、その時間はいつも、二人で、そのうち作る会社の事業計画とか話し合っていたから、まあ、話だけするよりは、話してる間にご飯ができる方が合理的かな、と。
 受験までもう半年ないんで、他のことはすべて棚上げでいいかな、って感じ。
 復職してみると、休職中にそうとう体が鍛えられたらしく、以前と比べて全然ラク。その間、ブタちゃんはお勉強。私が「疲れたー」と喚こうが、癇癪を起そうが、無視してお勉強、というところがサルと違うところだ。
 サルなら、「お母さんが大声でわめくのは、僕に、だったらやってあげようか、という言葉を期待してるからだろ」ってデフォで考えるもん。ブタは、「お母さんは、やってほしいと思ったら、そう言う。単に思ったことを口走ってるだけだ.。僕が出動したら、お母さんの志を無にする」と理解している。
 ところで、こないだ、サルに「出てけー」と喚いた時、サルが、「僕に出てけというのは、次郎がいるからか」と言われて、何のことかわからなかった。「僕がいなくても、次郎が家事をするからでしょう? 出てくなら次郎を連れて出てく。一人でやらされたら、次郎がかわいそうだから」と言うんで、深刻な状況下でも笑えた。自分が、お母さんよりも面倒が架らなくて、むしろ、両親の世話をしている側だと思っている、というのがウケたというか。「こいつは・・・家族に面倒見てもらってる量より、働きの量が多いと思ってるんだなあ」と唖然。そおんな、あんたに連れて行ってもらっても、次郎的には、今度はあんた一人の面倒見るってだけじゃん。残されるのとどっちがラクかわかんないよ?うぷぷ、という感じだった。
 いつも、サルの言うことに逆上してしまうけれども。考え方があまりに独特なうえに、言葉が未熟なんで、当然誤解され、サル的には、どんどん変な方向にモメることになって、パニックになるらしい。まあた、理屈だけは通ってることを言うから、それが憎らしいの何のって。
 昨日の晩御飯は筍の炊き込みご飯、わかめの味噌汁、大豆ともやしのワサビマヨネーズあえ。

ずーっとサルと話さない日々が続いた後。ある日、お風呂に入っていたら、急に「ごめんなさい」と言われた。

 二人の共通の知り合いと飲みに行く予定の日に、サルが「スマホのことだけど」って話しかけてきて、その後、言い合っている間に私が逆上、飛び掛かっていくのを次郎が抑え、抑えられても、手を出して髪を引っ張るわ、足を出して蹴るわ、という騒ぎになった。サルは、その後、おいおい泣いて、出かけないことになり。私が出かけてる間に、犬とブタに「なに?お母さんへの今までの恨みを晴らそうとしてるの?」「そういう風にしか見えないよ」と説教され、ついに「お母さんにも他の人たちにも、自分がお母さんをとことん糾弾しているようにしか見えない」ということを悟ったらしい。

 猿が言うには、「お母さんが怒っているのは、僕の説明が悪くて、誤解をさせているせいだ。説明して、誤解が解ければ、怒らないはずだ」と考えて、説明に説明を重ねている間に、どんどん、お母さんが逆上していく、そうだ。で、他の人たちにも、「糾弾している」「恨みを晴らしている」ようにしか見えないということがわかったので、謝ることにしたらしい。

 鬼のような顔で、人指し指をつきつけて、「おまえは、おまえは」って、糾弾してるよねえ、普通。はあああ。

 猿の言うには、「スマホを割ってヘラヘラしてるのは、そのスマホを買う手続きをした自分の手間を軽く見ているんだ」と解釈してしまい、それが「あまりな態度だ」とわからせようとした、ということらしい。

いつも独特な考え方をするんで、まったくついてけないわ。

 体調が悪いと、悪い方に考えてしまうんだ、って、それ、仕事が多くなったら、家で怒鳴りまくってるワンちゃんと一緒。DVってやつになるのだろうが、「仕事量と収入とDVの兼ね合い」って、あると思うな。例えば、年収2000万なら、家でずっと癇癪起こしてても、まあ仕方ないか、みたいな。それだけ仕事がきつくても、当然の結果としてDVになっても、計算は合うわけだから。

 猿がそういう奴だということ自体はわかってたし、というか、人間ってそういうもんだし、大学院は「仕事のラクそうなところ」っていう基準で選ばせた。東大や東工大入れても、人格全崩壊したら割に合わないわ。

現在、日本に離婚やDVや鬱の人が多いのは、仕事が厳しいせいだと私は思っている。猿に飛び掛かったり、「出てけー」と喚きながらも、「どーせ、大学院に入ったストレスのせいでイヤな奴になってるんだろうな」とは思っていた。ただ、「官立で、できるだけブラックから遠い雰囲気を」という指標で選んだ大学院の、「ホワイト情報」を確かめて入った研究室に通う時点で、DV状態になるんだったら、その後、就職したら、もう同じ人間じゃないとこまで行くのも確実で。

 それが「本人が悪いんじゃない。精神や肉体が弱いのが悪いんだ」といっても、DV被害は同じなわけで。「同居する限り、ずっと、こんな風に罵られて生きるのか」と思うと、「出てけーーー」って感じになるのは当たり前で。それが夫婦なら、離婚ってことだろうけど。

 日本の法体系でも、西欧(キリスト教)思想でも、「犯罪かどうかは、その意思があるかどうかで決まる」ということになっているけど。そもそも、人間に、環境だの状況だの肉体だのと分離独立した「意思」なんてあるのかねえ?と私は思うよ。だいたい、かんけーないじゃん。そいつがどういう意思で迷惑かけようと、やられる側にとっては。

 人間の「意思」って、遺伝子かける条件反射だと私は思っているけど、現在、地球上で力を持っている白人文化はイコールキリスト教思想だから、私的考え方は絶対にメジャーにはならない。

 昨日の晩御飯は焼き鳥(皮、レバー、心臓、もも)、大豆と茎わかめの煮物、きゃべつ、キムチ、トン汁。次郎の勉強をサポートするために、私が料理に復帰したけど、昨日はワンちゃんの散歩で疲れたので、二人にやってもらった。


こないだ、一年間、得意になって使っていたスマホの画面を割ってしまった。

 画面の割れ方を見て、「踏んだんだ」というサル。「え、でも、踏んだ記憶がまったく無い」と、他の原因じゃないかといろいろ探っていたら、サルがイライラしてきて、私が何か言うたびに、「踏んだんだよ」と、聞こえるような陰口を次郎に。

 ソフトバンクのsimが入る、もう一台のスマホはサルが使っていて、「外出するときは、それを使えばいいや」と、簡単な結論を出していたけど、普段、ソフトバンクsimでエクスぺリアを使っていて、そのスマホには入れていないサルは、すごいイヤそうな態度。

 訊いてみると、「使わせるのはイヤだ」ということ。

 そこから、延々言い合い。サルは、「お母さんが踏んだと認めないのは、僕の言うことを馬鹿にしているから」で、「踏んだと認めないからには、また、注意しないに違いない」「気を付けると、一言いえば、使わせるのに、なぜ言えないんだ」とわめく。

 てか、私の言うことはみんな「それはお母さんの我儘でしょう。僕に合わせろって言うの」ってことで。

 そういうことになるたびに、私の方は、「もうオマエなんか見たくない、出てってくれ」となる。

 子供のころ、私には、毎日のように、父親に「はい、と言え」と責められていたことがあった。私が「お手伝い」をしないということで、毎日のように母親が父親に言いつけ、というのは、3つ言われると、確実に一つ、悪ければ二つを、忘れてしまうからで、意図的にサボってたわけではないんだけど、頼られた父親が、じゃあ自分が叱ろうということで。外で、目いっぱい働いて帰ってきて、叱る、なんてさらに疲れる難しいことをやらなきゃいいのに、「俺は疲れてるんだ」と断ればいいのに、馬鹿が引き受けて、「わざとサボった」という情報なんで、「もうやらない」ことにさせればいいと頑張るのだけど。

 私は意図的にサボってないし、忘れてしまうんだから、「もうやらない」とは言えない。だって、「やった」わけじゃないから。なので、責められながら、じいっと押し黙ることになる。延々と続く説教。意図的ならば、心を入れ替えれば何とかなるんだろうけど、そもそも意図的じゃないんで、心なんかじゃどうにもならんわ。また「やる」の、決まってるし。私がまあ、元々生真面目で責任感が強い(責任感が強すぎる奴って、結局すべての責任取りきれない現実に、すごい責任感が無いように振る舞うことがある。そのパターン)ので、やることになるだろうことを自分じゃどうしようもないのがわかっている。で、「もうやらないな」というのに、「はい」とは言えない。

 母親が馬鹿だったせいで、父親の体力と時間と気分、えらい損失だわ。一日働いてきた人を、休ませてやろうって発想はないのかね。ほんと、「男親の子育て参加」って何?って思う。結果、殴るしかないことになるだけじゃない。

 私も、終いには叩かれた。で、泣くと、母親に「泣けばいいと思って。女のイヤなとこだ」って、女のイヤなとこ満載なのは、同居している自分の親や妹に遠慮して、子供にばかり厳しく当たる、へこへこ癖のついたアンタでしょうよ、と、その時は当然思いつかなかったけど、今は思う。妹なんか、幼い頃、「母親は鬼だ」と思ってたらしいし。

 ろくに子育て出来ないクズ母とか、その結果のニートで朝から晩までゴロゴロしてるだけの妹とかに気を使って、どこまで弱いのよ、って感じ。私だったら、「おまえらみんなクズ。ちゃんと結婚して子供育ててる私の爪の垢煎じて飲め」って言ってやるわ。大の大人がゴロゴロしている家で、幼い子供が仕事しないから責めるって、ほんと何?。

 言いたいことも言えない弱い奴って、ほんとゴミと思うわ。

 そういう子供時代の家から逃れて、わが子が自分そっくりなので、自分そっくりの行動に、私の親同様に「わざとだ」と怒るワンちゃんを抑えて、「この子にはそこまでのアタマがないから」と、無理なことは要求しなかった私。

 優しく育てたら優しい子になる、というもんだと思ってたけど。どうも、単に、「自分のしてもらった扱いは意識してないから、他人のアラを容赦なく糾弾する」ようになったというだけだ。「人間は、やられたようにやる」というのは、嘘だと判明。むしろ、さんざんやられた私の方が、思いやりはあったわけで、「社会のための教育」としては、「ダメな奴は、言いがかりでも勘違いでも、叩くのが正解。少なくとも、そこがダメとわかるし、自分がイヤなことをされた分、思いやりが育つかもしれない」ということなのかも知れない。

 で、私が情けないのは、「子供が、イヤだった自分の親のように、責め立ててくるようになるとは」ということだ。サルの言い分は、「ボクはバカには言わない。お母さんはバカじゃないでしょう?」ってことで、それ、外でその「馬鹿」に言ったら、自分に返ってくるし、だいいち、そいつを避ければいいことだけど、家では「母親さえ治ってくれれば、自分が快適に暮らせるのに」ってだけじゃねえ? 誰が治してほしいって言ったよ。

 というわけで、子供たちが幼いころには、「子供たちと一生そばにいたい」というのが望みだった私だけど。責めたてられてると、「一生、これやられるのか」と思う。ウンチもらしても、文句も言わず拭いてもらえるだけの老人ホームの方がずっと良さそう。世間の人たちが、子供と同居したくない、早く自立してほしい、って言ってるのが、よくわかるわ。

 うちって、結果が出ない教育費をかけてないから、そこそこの老人ホームに入れるお金はあるんだよねえ。世間の、塾だ、習い事だ、公立も入れない学力なのに大学だ、と、子供に教育費かけてる人たちの老後まで、税金で面倒みてやることないわ、と思う。パチンコだの飲酒だの競馬だの教育費だの、バカみたいなことに使った人たちが、老後に困っても、お金をみんな遊びに使ったのが悪いんじゃないかな。「教育費」だって、結果につながらないんなら、遊びと同じだし。

 こないだまでは私も、「人生のほぼすべてを育児にささげた結果、老後も楽しく家族と暮らせるわけだから、収支は合ってるのかも」と思ってたけど。今は、「自分だけのこと考えたら、やっぱ、家族よりカネじゃねえ??」と思う。漏らしたって責められない暮らしの方がよさそう。

 スマホの話だ。

 そのサルが幼稚園の頃、周りはみんなケータイを持っていたけど、私は持っていなかった。お金がかかるから、もったいないと思ってたからだ。一銭の稼ぎもないんだからってことで。周りの人たちだって、パートくらいの人ばかりだったけど、自分が質素だからって、そうでない人をうらやむとか、非難する気持ちが全然起きてこないキャラだから、気持ち的に問題はなかったけど。平気だったからと言って、「家庭第一に自分は質素にする」のって、楽しいわけじゃない。

 いま、中村うさぎ先生の本を読んでて、「ほんと私と違うなあ」と感心してるんで、その話を少し。うさぎ先生の本を読んでると、どうして違うんだろ????と思えてくるし。

 人との競争心がないのは、多分、幼い頃から学校などで「普通とは違う子」「トロい子」「妹キャラ通り越して赤ちゃんキャラ」の扱いだったので、そもそも、競争心が育つ余地がなかったせいかも。つまり、「同じ女の子」じゃなく、「クラスにパンダがいる」ような扱いを受けていたわけで、例えパンダがプラダを持ったとしても、「プラダを持った女の子間の競争」に入るはずがなく、誰もプラダ持っていることなんて気にならない、なんでパンダがここにいるのか?と考えるだけだ、というような感じかと思う。

 過去を思い返すと、目立つなんて生易しいもんじゃない、学年ほとんどとか、大学に至っては、学年も学部も違う人達の宴会の話題に貢献したほど(私の話で、やっと共通の話題になって盛り上がったと言われた)で、まあ、それが、目立つためにわざわざ何かしてるわけじゃないのが周りの人たちにもわかるんで、ディスられることもなく、むしろ周囲に面倒見てもらって暮らしてこれたんだろうけど。

 で、私がケータイを持ったのは、うんと普及してからなんだけど、そのあと、すぐにサルはスマホを与えられ、ネットでつなぎ放題の生活になった。中学生だったかな。稼ぎもないのに。家事はやってたし、少しは家の資産を増やした(株で)私も持ってないのに。息子に、自分よりずっと先にスマホを、しかも最新式の奴を持たせてやったわけだ。で、自分は、ガラケーを使っていた。

 私がスマホを持ったのは、一年前だし。こないだなんか、出先で、「画面に出る電話番号を押すとそのまま電話できる」と夫に自慢してたし。そのスマホのディスプレイを割ってしまい、メインで使ってるsim入りのスマホの他に、もう一つ自分のだと思ってるのがあって、私の分のsimを入れれば、外で通信ができるのに、「大切に使ってるものだから、使わせたくない」と言われるとは思わなかった。

 で、「そしたら、外で地図とか見れないし」と言ったら、「どうせ見てもわからないでしょ」と。自分のだと思ってるスマホの心配の方が、つなぎ放題できる契約のsimがある私が、ガラケーしか使えない状況になることより上なのかと。

 彼のことばかり心配して過ごしてきた人生が馬鹿らしくなったし。私の人生は安いものだろうけど、そこまで安く見積もられる筋合いじゃないと思う。人生の半分くらいは、彼のために使ってたようなもんなのに。

我が子のため、家庭のため、と何の贅沢もせず、新しい服の一枚も買わず(子供のお下がりを着ている)、生きてきた半生を振り返る(大学時にすでに「見かけが派手なのに異常に古風とあきれられていたが。確かにこれって昭和的だな)と、スマホごときに負けて、思い返すたびに涙がにじんでくる。

 人間の労力と時間を、育児に使うか、金儲けに使うか、っていうのは、現代の大きな過大なわけだけど。「先祖への借りを返すってことを無視して、自分一人の人生の心地よさだけを考えたら、金儲けの方が上かも」というように揺れがちな、この頃の私でした。

先週末は三連休だったけど、ブタちゃんがデザインの仕事とかレポートで忙しいし、少しは役に立とうと昼飯つくったり、急に安くなったから出かけるたびに子供が買ってくるキャベツの外側の葉っぱを古くなる前に処理しようと、クラムチャウダー作ったりしていたから、大変だった。
 働いては、ビデオ見て休み、働いては休み、している間に三日間。ワンワンは、部屋の掃除をしたり、書類の整理をしたりしていた。
 ブタちゃんに手伝わせて、キムチを仕込んだり、ザウアークラウとを仕込んだり、おでん用の、さつま揚げとがんもどきを作ったりもしたな。さつま揚げは、すごくうまくできたけど、がんもどきは、全卵を使って失敗。洋風になり、とうていがんもどきとは言えない味だった。でも、豆腐ハンバーグだと思えば、とてもおいしいものだった。
 毎日、過去の株の失敗を思って、ああすればよかった、こうすればよかった、とクヨクヨし、四半期報告を見る気もしないのは、精神病なのだろうか。
 お金がいる用事があるわけじゃなし、毎日ゴロゴロして死ぬのをまっているような人生を送っていることの方が、株でダメダメなことよりも、ずっと損失なんじゃないかと思うんだけど。
 連休で良かったことは、市場がやっていないことと、子供らに串揚げをやってもらったことかな。串揚げだけじゃ野菜不足になるから、私は白菜山盛りの湯豆腐の係。鍋の係っていつもラクで、好き。
昨日の朝、布団に入ってきた子ザルに「紅茶入れて」と言ったら、「えー、コーヒーあるから、コーヒーでいいじゃん」と言われた。
朝は紅茶が飲みたいんだ、一緒にパン食べようよー、と言うと、「次郎に淹れてもらっておけばいいじゃん」と言われた。
「もう、いい」とキレて、それから口をきかなかった。次郎なら、忙しいとか疲れたとかじゃなきゃ、何も言わずに淹れてくれるのに。朝、ワンちゃんのお弁当まで作って学校に行く次郎に淹れてもらっておけって何?もーやだ、という感じだった。
こないだ、午前中に布団に入ってきたサルの体があまりに冷たかったんで、健康回復のために、義務づけた朝の買い物に行ってきたサルが、「怒ってる?」と聞いてきた。本当は起こってたけど、「いや、すねてる」と言うと、「いつも棚に古い飲み物がたまってるのが嫌なんだ。捨てないように、僕、飲んでるけど、何日も置いてあるのがあって、この間なんてコーヒーに幕が張ってた」と言うので、びっくりした。
さらに「次郎に淹れてもらっておけば」というのは、「コーヒーじゃなくて紅茶にしてもらえ」という意味で、「さらにお母さん用の紅茶まで」という話ではなかった。コーヒー好きの次郎が、朝の飲み物を紅茶に変えるなんて有り得ないということがわからないのがスゴイが。
「めんどーくさいから、イヤ」じゃなかった、と、とにかく驚いた。 
サルの言うことは、よく聞かないと腹が立つことばかりだ。とことん、誤解されやすいということを自覚しろ、と言っておいた。
昨日の晩御飯は、イカの足(古くなってきた)と豚肉(100g70円)キャベツ(一個100円)があったんで、お好み焼き。すごい美味しくて、特売のベルギービールと食べたら、おなかがふくれて動けなくなった。
昨日の夜、「くだらない時間つぶしの人間関係にも遊びにも見向きもしない、勉強と、自分自身の成長、節約と家事に全力を尽くしている」次郎はスゴイという話になり、「お母さんの一番の自慢は、次郎を育てたということだよ」と言うと、「二番目は?」と、すかさずサルが言った。
 受けた。
 次郎をほめる話をしている時には、サルが何か言うかなあ、と、いつも期待してるんだけど、ヒット。
 サルの冗談は、冗談とわからないことが多くて、怒ってしまったりすることもあるんだけど。
 お風呂に入った時に、「さっきの冗談はわかったよ。小さいころ、次郎の話をすると、いっつも、ボクは?と言ってた可愛らしい様子を思い出した」と言ったら、すかさず「ボクは」と言った。受けた。
 人間、何か取り柄はあるもの。
 昨日の晩御飯はカツオ刺身(おとといの夜、定価の3分の1になってた)、キャベツの煮たの(肉じゃがの汁の再活用)、かぼちゃとしいたけの天ぷら、ブリあらの煮物(一週間前、馬鹿ブタが煮る時間を私に聞かずに20分も煮て、「お母さんがうっかりしていたら、なんでダメになってるの、美味しい煮つけができると楽しみに買って来た」のに、と、延々癇癪を起させたやつ。煮魚はいつも私がやっていて、豚は煮物に詳しくないことを忘れきっていた。料理歴10年以上のブタが煮魚したのは、きっと初めてだった。煮魚は骨の近くまで煮えたあたりで火を消さないとカスカスになる。ワンワンに慰められながら半分食べて、冷蔵庫にしまったまま忘れていたのを発見)、煮豆、大根と芋と玉ねぎともやし(ダイエー商品券の換金のために毎日買ってる)の味噌汁。糠漬け。

4か月、海外旅行してた。いわゆる貧乏旅行というやつ。
 サルと行ったので、成人して間もない、収入も乏しい奴が親の金でリッチな旅行をするのは教育上良くないという考えプラス生来の貧乏性をさく裂させて、移動はバスか列車のみ(バングラデッシュとインドだけサイクルリキシャ、モーターリキシャに乗った)、ホテルは底値かドミトリーという物凄い旅になった。

 行く先々、英語なんて通じないのが当たり前、開設以来日本人も白人も泊まったことないだろ、みたいな宿やら、空港泊やら、もう滅茶苦茶。
 私もいい年だし、ワンワンと行くなら、十分すぎる稼ぎのある50過ぎた男に貧乏くさい旅行をさせるのも気が引けるんで、まともなホテルに泊まるが。親に金があるからといって子供がリッチにしていいかというと、うちの道徳観では、論外。
 中学生の時、馬鹿で染まりやすいサルの、周りの連中に毒された腐った経済観念にキレた私が、「高校以降の学費は自分で払え」とわめいてから、親への借金まみれのサル。何度も「出て行って、自分で稼いで暮らせ」と言われたサル。旅の後半では、すごい空腹で、観光地のピザを「仕方ないから買おう」と誘った私に「高い」と一括するほどになった。あのときには感動。まあ、人間、そこまでになる必要があるのかは不明だけど。
 馬鹿には中庸って難しいんだよね。ならば、マシな方の極端の方が経済観念ないよりはいいと思う。
 で、8月頭に帰国した後は、一か月寝たきり。ごろごろ。現実逃避。その後も、明日には、と思いつつ、現在10月。
 というところで。
 海外旅行中、国境越えやホステルの情報を取るために、よく旅行者のブログを見ていた。で、帰国後、よく見てた貧乏旅行(といっても、私らより贅沢)の人のブログがアフェリエイトやってるって知って、しかも、ちょっと収入があって大感謝している様子なのを見て、「私も早くにアフェリエイトをしていれば、誰かはクリックしてくれる人がいたりして、私の文章なんて誰も価値を認めてない、タダだから暇つぶしってだけ」といじけることにもならなかったんじゃないか」と思った。
 で、さっそくアフェリエイトをすればいいかなあ、と思ったけど、アメブロでくれるポイントがお金になるのは5000円分からなのに、ポイントに有効期限があるみたいで、「このブログで5000円分なんて無理」とさっそく挫折。
 でも、そのうち何かやりたいな。人生の大半、ずうううっとゴロゴロして本を読んできたから物知りだし、節約だけはおそろしく得意で、せっかく身に着けた知識は人に教えてあげたいと思ってるし。
 昨日の晩御飯は鯛の焼き物、小松菜炒め、かぼちゃの煮物、イカの刺身、すき焼き味(前日のすき焼きに使って残った)の卵焼き、大根となすと人参の糠漬け、もやしの味噌汁、春菊の天ぷら、鳥とカブのマヨネーズサラダ。
 私が下ごしらえをして、仕上げは子供たち。料理ができ始めたところからワンちゃんと座り込んで、焼酎の水割りを飲みながら、子供たちが出してくる出来立てのものをつまむのが好き。
 こないだ、「家事があるから、僕は勉強の時間が他の子より限られる(でもクラスでなら一位)」と次郎が言うので、次郎の休みの昼ごはんプラス夕食料理の半分以上の仕事を私がやるようになった。私だって、働くことはあるのさ。

疲れが全然取れなくて、今日も泣きたい気分。
 泣きたいけど、パソコンに向かうと決めた10時半には、ずるずると椅子によじのぼり、決算書を読んだり。これ全部読まなきゃ投資できないって無理、もお、いいや、だいたいで、と思ったり。
 かつては、午前中、ブログを書き始めると、そのまま昼になり、「時間無くなったから」で、おなか一杯になって夜、また明日、の繰り返しだったけど。結局、「それをする時間がある」ということが仕事をする要因なのね。
 疲れてしまって、耳の奥でシーンシーンと音がする、という状況は変わらず。というか、最後に出かけたのが水曜で、それから寝たきりなのに、なんで変わらないの。
 体はどっしり重いし、口をきく元気もないし、いつも、涙がこぼれそうだし。なんかあると、感情的になってわめき散らすし、まるで、本に鬱の症状と書いてあるやつみたいだ。
 てか、体が弱いからだけど、週に2、3回、2週続きで出かけた(一回に一万歩ほど歩いた)私が、典型的な鬱とされる症状が出まくるのに、休日もなく働きづめの人たちに、「体はどっしり重いし、口をきく元気もないし、いつも、涙がこぼれそうだし。なんかあると、感情的になってわめき散らす」という症状があったら、それは「精神病」ですか???って話で。
 疲れてるんだから、当たり前の反応にすぎないっていうのが真実。
 海外旅行でも、一緒に行った犬とかサルに、よくあきれられたけど。同じ行動で私がどれだけ疲れるか、想像もつかないんだろうなあ、と思っていた。でも、例えば、交通とか外食の体を使うような仕事や、ITとかの集中が必要な仕事で(というか、ブラックな労働者のパターンってその二つしかないよね)、一日15時間労働が連続数十日、というような場合には、「そりゃあ、疲れてるんじゃないの」って、まともだったら誰だってわかるよね。
 わからないのは、マスコミ信者と精神科医くらいのはず。日本の人口の大多数が、そんな簡単なことをわからないとしたら、その人たちみんな、まともじゃないんだわ。
 最近借りた「精神科は今日もやりたい放題」という本に、まあ、その通りのことが書いてあって。やっぱり他にもわかってる人はたくさんいるんだろうなってつくづく。今のおかしな状態は疲れによるものだけど、その前の、バリバリ精神病をやってた時だって、ちゃんと精神がおかしくなるだけの立派な理由があって、それが解決したら、治っちゃったもの。わたし。
 人間界の不都合を、すべて政府が施策を通して解決できると信じている頭のおかしな人たちがいて。その人たちが、「なんとかしろ、なんとかしろ」と、政府にせっついて、マスコミもなんでもかんでも政府がマズいからだとせっつくから、「では解決しましょう」となって。精神科の勃興も、健康保険から際限なく資金が流れ込める状態が作られたためで。
 人から悪く言われたくない、良いことをしたい、という役人の欲望で無駄なだけじゃなく有害にまでなるのに際限なく馬鹿な状態が増大していく見本が、日本の医療界。日本政治の赤字が際限なく膨張するのも、ぜえんぶ、それと同じ図式で。政府の、「良いことをしたい。悪く言われたくない」という、他人から強奪した資金を使ってのクソな努力によるもの。
 思わず、「左翼のクソども」とツイートした人は更迭されたんだっけか。ごく少数でしかない、クレクレの人たちと、マスコミの人たちを無視できる根性のある政府だったら、増税の必要なんて無かったのにな。
 おとといの晩御飯は牡蠣鍋。昨日の晩御飯は餃子。
そろそろ人生終盤だなあ、とつくづく。
 ブログを書かなくなってから、毎日きちんと相場を見たり、業績発表を見たりしていて、自分のための日記を書く時間も無くなり。午後はおなかが膨れて映画を観たり、本を読んだり、目を閉じてグッタリしていて、5時半頃のそのそとパソコンに向かうので、ほんと、文章書く暇なんて全然ない。
 でも、URLを貼って、「このブログのアクセス数って人間じゃなかったんだ」と知ったことは、本当に良かったと思う。そのおかげで、ついに、逃げ場がなくなり、ちゃんと仕事を始めることができたわけで。
 ただ、どうも一生お金に困ることはなさそうな上に、次郎には「遺産とか面倒くさいから、全部使って死んで」と言われてるし、相続税も増税されたというのに、何のために、有限な人生を、儲かるということの他には、まったく意味のない行動に費やさなきゃならないかは不明。
 ワンちゃんに言わせると本当に馬鹿みたい、だそうで。そういうワンちゃんは、たいしてストレスも感じずに相場を張っているそうで、精神や労働時間コストに対するリターンは、私の数十倍(私のがほとんどないから。やらない方がマシってことがあるのが相場というもの。マイナスじゃないのが慰めだって程度)。要は、私など、犬を飼って寝てるだけでも大差なく、私がもし多少成功したとしても、家計には誤差範囲。
 ワンちゃんの場合は、会社ではバリバリ楽しく仕事して、相場を張るのは余暇活動、他に別にすごくしたいことがあるわけじゃないので、別に、会社でも家でも仕事の人生でも全然もったいなくないけど。私の場合は、文章を書くのが好きで、「社会にのさばっている言説よりも私の意見の方が正しい」と思ってることがたくさんあって、読んでさえもらえれば、まっとうに生きる他人の幸せにも貢献できるものが書けると思っているのに、やっていることが、社会的に全く意味のない、将来ごっそり年金出るのに、どうやって使うのよ、という金儲けのための努力でしかないのが、本当に馬鹿みたいに見えるのは、よおくわかる。
 ワンちゃん的には、「俺にはそんな文章なんて書けないし」と言うけれど。理屈の通った文章書くのが、呼吸と同じくらい当たり前な私には、テーマを見て瞬時に文章書きだせない人の方が、わからない。というか、他の人はそうなんだ、ということがわからない。で、だから、それが自分の能力だという実感がない。
 まあ、自分に対する社会の評価を見れば、能力じゃなかったんだろうけど。でも、本当に残念。言葉にされていないばかりに、たくさんの人が「なんかおかしいんじゃない?」と思いながら従っていることを逆転させる言葉はあるのにな。少なくとも、読んだ人がそういう人なら、その人の人生を少しだけ良くできるのに。
 でも、そういう努力をしても、結局、「たまたまそういう人が読む可能性がない」と何の意味もないわけで。「何書いても読む人自体いない」という事実と、「努力していけばちょっとは成功するかも」の株式相場を見比べると、やっぱり大人しく決算書読んでるしかないな、って結論に。
 これって、「自分の子供を立派な社会人に育てあげても、自分の功績には見えないけど、育児の労力を給与労働に振り向ければ、収入という目に見える成果がある」という事実と、似たような話だよな。
 オリンピックというものがなくても、あなたはボロボロになるまでカーリングやフィギィア頑張りますか?というような話で。私は、どっかの誰かがカーリングやフィギィアで死ぬほど努力しているとしても、それが人のためになっているとか、有意義な活動だとか、全然思わないんだけども。自分の払ってる税金使われるだけで。でも、そういう活動が、毎日少しづつ周りの他人を幸せにしている、店員や会社員やお母さんの行動よりも、すごくいいこととされているというのは事実。大金儲けるのと同じくらいに。
 16、19、20、21、22、24日と出かけたんで、この一週間くらい、疲れが取れなくて、毎日泣きそう。日曜なんか、実際に、経営会議で2度も泣いたし。つらくてつらくて。
 そもそも金儲けなんて全然好きじゃないし、ほんと、きちんとまとまった文章書いて時給100円でももらえば(てか、この1ページの書いた時間で100円ってことか。もっと立派な評論書いても速度も労力も同じだし)、とっとと転業して、本を書くんだけどな。
 ワンちゃんが、「俺が100円出す」って言うのが見えてるけど、お金の問題じゃないんで、まったくの赤の他人からもらわないと何の意味もないし。
 昨日の晩御飯はカワハギの焼き物、もつ煮込み、まぐろ刺身、大根のサラダ、菜の花の酢味噌和え、アサリとなめこの味噌汁。
 その前に、太郎と、マックでポテト、はま寿司でサーモンとサザエみたいな味の貝とタイ。
サルと毎週のように喧嘩。
 サルは、「自分が以前言ったことは、変えると言わない限り有効だから、もう一度言うのはイヤだ。以前に言ったことについて、もう一度訊かれるのは、非難されている気がする」と言う。
 それに対して、私は、「環境の情勢も人の気持ちも、なんでも、刻々と変わるんだから、常に今現在のスタンスをすりあわせるべきだ。いつもノロくてノロくて、まったく時間の有効使用ということを考えてないのに、どうして、会話に関してだけは、そんなにケチなのか」と怒る。
 で、両方の言い分を聞いて、判断するのは、次郎。難しい話からは逃げて、ひたすら山積みの書類を電子化しては捨てる犬。
 言いたかないけど、「次郎との間ではモメてないでしょうが。それは次郎がコミュ上級者で、おまえがコミュ障だからだ」という話にならざるを得ず。「だけど、昨日の洗濯の時には、次郎とずっと言い合いしてたじゃないかああああ」と主張ずる馬鹿猿。
 その顛末は。
 子供らに洗濯の用意を命じ、自分はスパゲティの用意をしていた。で、洗濯物が少ないと言うので、「だったら、お母さんの着てる服も洗うから、新しいトレーナー持ってきて」と子供たちに言った。サルが洗濯物集めの係で、その会話はサルと話している様子だったと、後に次郎が証言。
 で、新しいトレーナーが来ないのに、洗濯が始まったことに、料理に手が離せなかった私が激怒。ブタを怒鳴りつける。激しく気の強いブタ、自分が悪くないつもりなので応戦。しばらく修羅場だったが、わめき合いだったのに、スパゲティ食べる頃には片付いていたというものだった。
 しかし。「お母さんがブタを怒ったのは、太郎に全然期待してないからだよ。太郎に頼んだと考えるのが普通の場合でも、太郎は当てにならないんで、総監督の次郎に頼んだつもりになってるからだよ。次郎への期待が、太郎への何倍も高いから次郎に怒って、太郎には怒らなかったんで、それだけ、次郎が優れてるってことでしかない」というのが、事実で。その通りに「いかに太郎がコミュ障で、次郎の数分の一の期待しかかけられていないためにモメないだけなのか」を説明。
 太郎は「俺はこうなんだ」「俺の周りはもっとコミュ障」と言うけれど。全国でも堂々最低レベルの小学校から、「偏差値53」だそうだというとこに進学して、「俺の周りは」も無いもんだ。私ほどの優れた言語能力をもってしても、この馬鹿の教育は、ほんと至難の業。
 「俺はこうなんだ、って何様か。他人がオマエ仕様に合わせてくれるとでも? 理解して、やな奴と思わずにいてくれるとでも? 人間、どう見えるかが重要で、ダメに見えるって言われてるんだから、なおせえええええええ」「DQN校しか行かずに、俺の周りはもないもんだ。官立の大学院どっか行くんだろ? コミュ必須じゃないDQN職場に勤めるんならかまわないけど、オマエが目指す学歴と職場にふさわしいコミュ能力が必要だってことがどうしてわからないんだああああ」と、いつもながら大爆発。
 IT土方を鼻で笑うけど、おまえのコミュ能力じゃ、土方にしか採用されないわ。しかも、体力はなし、えらそうな態度で、土方すら、無理。職場でゴミ扱いされるわ。限定された仕事だけができる能力がたとえ高くても、会社じゃ何の役にも立たんし。
 はあああああ。母としての苦難は続く。まあ、神様は、文句のつけどころがなく、有能で、勝手に育ってくれて、家事までやってくれる、次郎を送り込んでくれたから、いいけどさ。
 出かけて、駅までの道のりで太郎が言うには。「お母さんの言うことはやっぱりわからない」。はあああああ。「わからなくていいんだ。お前は、なんで自分が何だってわかると思えるのか。いったいどうしたら、何でもわかるつもりになれるのか、その方が不思議だ。わからなくていいから、それはそういうもんだと思え」と言ってやる。
 学級崩壊上等だけど、子供間での差別なんかあり得ないという、底辺校がのびのびしていて、「授業次第でデキなくなるような子は、そもそも勉強する意味自体無い。生まれつき馬鹿なんだから。だから授業レベルなんてどうでもいい」というのが持論の私的には、「いい学校のある地域で良かった」と思ってきたけど。あまりに暢気(暴力的ではあったが、人種や性格を攻撃するタイプはなかった)な生育を経たんで、集団で生き残っていくという社会化の勉強をできてこなかったし、集団内の自分の位置もわかってないというのは、どうなんだろ、平均値の学校で、「自分ってダメ」って多少は味わいながら、育った方がよかったのかなあ、とも思った。
 その太郎は、昨日一日出かけたので、今日は病気らしい。まだ寝ている。この頃、株に興味を持って、カニ(クラブ)の売買などをしていて、けっこうなことだ。相場なんて、相性が主で、やってみないと相性がわからない、というのが持論の私としては、「もし相性が良かったら、宝くじに当たったようなものだよな」と思う。実社会での能力なんて、全然関係ないし。たまたま合うかっていう、運。
 私のは空くじでした。
 サルと私の昨日の晩御飯は瑞江の中華料理屋で。中国人がやってて、中国にあるしょぼい店そっくりの、すごいうらぶれた店だった。味も、中国のどうでもいい店ってこうだよねって味。留守番の犬は、次郎にカルボナーラを作ってもらったと自慢していた。