水曜日はオヤジファイトクラブでした。


雨の影響で人数はすこし少なめ。




中学生クラスも入りスパーリングは熱が入りました。




中一トリオもチームワークもしっかり出来てきました。


今後の活躍が楽しみです。


やっと予約が取れたのでこの日、東京都庁にて第一回目のワクチンを打ちました。




ワクチンを打つ前に私的?PCR検査。




蒙古タンメン中本で激辛ランチ。


しっかりと辛さがわかりました。


14時にワクチンを打ったのですが稽古が始まり頃には腕の痛みが出始めました。


この日は稽古体験に3名が参加しました。



最近では綾瀬や水元など少し離れた地域からの問い合わせがくるようになりました。



水元はコロナ禍で支部立ち上げが延期になっているのです情勢が落ち着き次第スタートする予定です。


9月中には武将會オフィシャルホームページにて道場案内と生徒募集のお絵かき動画がアップされる予定です。


こちらは元女子モーターボート選手で武真會の専属クリエイターの米井里美さんの力作になる予定です。


おそらく空手道場では初めての試みではないかと思いますのでお楽しみに。




そして昨日は更に腕が痛くなり本業もままならない状況でした。


二回目はどうなる事か?


高血圧のため少し不安はありましたが主治医に相談して決めました。



思い返せば子供の頃は学校でツベルクリン反応やらBCGなどいろいろな注射をされた記憶があります。


当時は街の開業医でお尻に注射された記憶もあります。


おそらく子供には腕では痛いのでお尻にしたのでしょう、(たぶんペニシリン?)


注射器の針も太くて痛く、そして当時は注射器も注射針も煮沸して使い回していました。


投薬は処方箋薬局などなく院内で出されていました。


私と同年代の方は後記憶にあるかと思いますが、

看護婦さん(その当時の街の開業医はだいたい先生奥さん1人)が10センチほどのパラフィン紙を並べて粉薬を混ぜ合わせパラフィン紙の上に取り分け折り紙を折る要領で手際良く薬を包んで行く作業を見るのが楽しみでした。

よく折り紙でマネをしてました。


薬といえば幼児向けにシロップはありましたが錠剤はあまり無くほとんど粉薬でした。


オブラートに包んで飲むのですがなかなか飲みづらくて苦労した記憶があります。



それから約50年、医学や設備の進化は驚くほどだな〜と感じています。


ついでに書きますが当時、60歳を超えてでジーンズをはいてTシャツ姿で歩いている人は見た事がありませんでした。


60歳を超えると老人と見られていた時代です。



私も還暦を超えて元気でいられるのも医療機関に従事されている方々のおかげです。



例えは悪いですが戦争の最前線に立たされているのと同じです。


その勇気と使命感と愛国心に感謝しかありません。