この頃の強烈な筋トレは年齢的に振り返って見ても過酷だったと思います。


打開策として少しの間、公園や土手を使ったアウトドアのトレーニングに切り替えました。


多少は遊びも入れて少し柔らかく。

年齢的にご機嫌を伺いながらやる事も必要である事がわかりました。

二人には厳しい毎日だったと思いますが、この頃の筋力の貯金が後に生きてきます。

体力、筋力は日々の努力の積み重ねが大事です。

この頃、桃子、大将の夕飯は私が作る事が多かったです。


とにかく食べさせました。

現在も軽量級の二人ですが、当時はハンバーグなどは1ポンド(約450g)、カレーライスはラーメンどんぶり。

体に比例しない量を食べさせられる事には特に拒否反応はありませんでした。


そんな食事事情でしたが体重が異常に増加する事もありませんでした。



そしてもう一つはなるべく月に一、ニ回は家族で少し遠くに遊びに出かける事にしました。

なるべくアスレチック系のある場所へ。


この頃私も腹を決めて子供空手に真剣に取り組む為仕事も時間的に自由が利く自営業に切り替えて勝負に出ました。



この頃から心の中では道場を持ちたい気持ちが芽生えていたのかも知れません。



今でこそ明かせるその頃の妻との会話です。


何でも事後報告で事を始める私です。


私「今度、自営で○○の仕事を始めるから。」

妻「失敗したら解散だよ!」


ただそれだけ。

我が家ならではの本当にあったこわ〜い会話です。



ただ一つ、残念だったのはその頃まで私は肉体改造に励んでいたのでそれに時間が取れなくてなった事でした。


試行錯誤を繰り返しながらも何となく乗り越えながらも新しいジュニア空手中心の生活が始まりました。


桃子が二年生の時の事です。

あるキッカケから桃子が壁を破る時が来ました。


次回はそのキッカケについて書きます。