もう少し道場主になる前の回想をします。


道場と言うより我が子の稽古場を確保する動きが始まりました。

たまたま借りていた駐車場の前の工場が空く事になりました。

かなり大きな建物です。

仕事の倉庫と併用して使うには適したスペースです。

知人を通して持ち主さんと会う事ができ、今の自分の考えを伝えるとオーナーは二つ返事でOKしてくれ、更に更新無しの永久使用。
家賃もリーズナブルな契約になりました。

コロナウィルスの休館中も寛大な対応をして頂き感謝です。

道場開設に関する一連の行動は全て家族にも相談無しの行動、妻にも事後報告。

あと先考えずの私の短所が出まくっていました。

ただ、この時点では生徒を募集して道場経営をする考えは無かったので簡単に考えていました。

この後ある人物との出会いでイレギュラーな展開になり、町道場としてスタートする事となり、やがて道場主となる事になりました。

この件に関しては以前ブログの連載で書いたので割愛させて頂きます。

そんなこんなで道場主となり数ヶ月が経過した頃から一利一害の連続になります。

私は他の格闘技と空手に関しては遠い昔にアブソリュート空手をかじった程度でした。

その分、連日暇さえあればジュニア空手の動画を見まくり、時にはスーパースローに落として何千、何万回と再生動画で研究してきたつもりです。

まずは武将會、私なりの道場方針を打ち出しました。

どんな武道やスポーツをするのにもまずは体力。
体力さえあれば後に他の競技にシフトチェンジしてもアドバンテージは必ずあるはず。

私が子供とやって来たこの時点迄の三年間を信じてました。

入門時に必ず保護者の方に伝えている事の一つに

空手はすぐに上手く強くならなくても次回学校の運動会や持久走の順位、タイムを上げるように頑張りましょう。とかなりキツイトレーニングの内容も伝えスローガン掲にしました。

武将會では規定の体力基準をクリアしなければ次のステップには進めません。

最初はジャンピングスクワットをしてもほとんどの生徒が30回くらいで泣いてリタイヤしていましたがほとんどの生徒が1ヶ月後には100回をクリアするようになっていました。

初期の頃、親も子も皆熱く、当然こちらもテンション上がりまくり。

希望者とは連日何時間稽古をしたかわかりませんでした。

その反面退会する生徒も多くなりました。

スタートしたばかりだった為に全員で同じ事をただただやり続けていた時期でした。

自分が桃子、大将としてきた事が全て正しいと思っていた頃です。

この時点ではまだ、この2人は大した大会実績がありませんでした

やがて一期生の腕試し(度胸試し?)である大会出場が決定しました。

初めて1人だけでコートに立って多くの人が見ている前で闘う時が来ました。

嬉し涙や悔し涙、緊張の涙。

生徒も親もいい経験をしました。

さて、とりあえず大会という今後一つの目標となるものが見つかると親の熱は一気に上がって行きます。


三年前の私がそうだったように。



親として当然の事だと思います。

そして歴史は繰り返されます。

この先はなるべく熱くならないように言葉を選びながら次回に書きます。