話の年代は2017年の秋です。
この頃から外部講師として大会で知り合って親交のあった武心会の田辺先生にお願いして毎週金曜日に特別稽古をお願いしていました。
田辺先生の豊富な経験と実績による指導で生徒たちに意識改革を持たせる事が目的でした。
空手の原理(フルコンタクト空手)と身体の使い方。
稽古は初級、(特に幼児が中心)を当時塾長だったℹ︎先生が受け持ち、選手クラスを私が指導し始めていました。
その時はそれで良かったのだと思います。
この頃には大会を通じて親交のある道場も増えてきました。
そんなある日、ふと思い出ました。
親交のある道場の方々と、組み手交流会をやってみたい。
出来れば大会にしたい。
一度決めると即、行動する悪い癖で早速企画に適した施設探しを始め、3日もしないうちに葛飾区の「エイトホール」と言うスポーツ施設を押さえました。
この施設は以前所属していた流派の大会でも使用した事もありとても良い施設です。
大会名は「武将杯」としました。
各団体様に案内状を送付していよいよ本格的に動き始めました。
この時の構想では私は裏方に回り塾長であるℹ︎先生を前面で売り出す考えでした。
まだまだ時間はあるのでフルコンタクト空手のルールや特徴を理解してもらって大会の挨拶や各先生方の接待。夢は膨らんでいました。
仕事と指導の両立でかなりハードな毎日でしたが、時間があれば大会の企画のことばかり考えていました。
そして12月、あるオファーが来ました。
親交のある道場の先生からでした。
「1月3日に舞浜で巌流島というプロ格闘技の大会があって、アンダーカードでジュニアの試合があるのですが、桃子ちゃんに出場してもらえませんか?」
というビックリするオファーでした。
本人に聞いてみない事には即答は出来ませんでした。
早速、巌流島を調べました。
空手の要素が半分、残りの半分はいろいろな格闘技の要素が含まれている丸い舞台(土俵)で闘う競技でした。
会場もメジャーで演出も凄く、BSのテレビ中継迄入るそうでした。
桃子は二つ返事で出場をOKしました。
さぁ、ここからが大変でした。
12月はクリスマスイブ恒例の総極真全日本ジュニアチャンピオンシップが愛知県で開催されます。
そこに向けてのプログラムを組んでいました。
巌流島の場合、ルールが大きく異なる為に違ったスタイルの稽古が必要です。
どうしたらいいものか?
田辺先生に事の経緯を相談しました。
やりましょう! 僕にやらせて下さい!
力強い言葉を頂きました。
日にちが無いながら年末、正月を返上しての稽古日程を組んで頂きました。
なんと、数日後また前筆の先生より連絡があり
「実は出場予定のうちの選手が怪我をしてしまい大将君が出場する事は可能でしょうか?」
な、なんと今度は大将でした。
更に対戦相手は大将の同年代のスーパースターで憧れの選手でした。
こちらも二つ返事で出場させて頂く事になりました。
全日本ジュニア迄あと1週間、仕上げの段階で大変な事が起きました。
最後の組み手稽古で桃子が肩を脱臼してしまったのです。
この年の出場権は埼玉選手権を優勝で既得していたので少し期待していました。
結局、大事を取りジュニアチャンピオンシップは涙を呑んで欠場し、1月3日の巌流島にかけました。
そして武将會として初めて参加する『総極真全日本ジュニアチャンピオンシップ』桃子欠場の為、大将、鼓太郎、将志の3名が出場しました。
結果は 将志 初戦敗退、
鼓太郎 初戦敗退
大将 ニ回戦敗退
ベスト8の壁は厚い高いものでした。
この年の全ての大会予定は終了しました。
桃子、大将、将志の三姉弟は前年に比べ大きな前進を遂げたと思います。
初戦敗退した将志の事を少し書きます。
将志はこの道場が始まる前迄は桃子、大将と同じ道場に4歳から通っていましたが、道場の前迄行っては泣き出して入る事が出来ずにいた子供でした。
そんな時期に道場を立ち上げ、最初は遊び半分の気持ちで出ていたのだと思います。
何のきっかけなのでしょうか?単にみんなの前で少しだけ出来る事を自慢したかったのでしょうか、そのうちに引っ込みがつかなくなって続けていたのかも知れませんが、よく全日本の舞台まで駒を進めたと思います。
この年は三人とも優勝回数、入賞回数も増えてきて優勝回数を競い合っていました。
さぁ、来年が勝負の年です。
何かが、何かが変わってきました。
いよいよ激動の2018年が始まります。
続きは次回で。