空手とキックボクシング系の道場を掛け持ちで通い始めました。

週に空手が4日、キックが2日。
i道場には小学生の男子が多くいて指導内容も実践スタイルのスパーリングやミットがメインでした。

移動稽古や型などはありません。

こんな稽古パターンをしているうちに夏前になり、前回書いた倉庫の物件を借りる時が来ました。

ある時、指導員のi先生にその事(半分倉庫で半分はプライベート道場にする件)
を話したところ興味を示して来ました。

ℹ︎先生は子供空手?の道場指導員の他にも各地で大人向けのセミナーもしていました。

最初は暇な時に2人のフットワーク中心のパーソナルトレーニングをお願いするつもりだったのでしたがいつのまにか意気投合して子供向けの道場を開設する事になりました。

決まってしまえば話しはトントン拍子に進み、9月に賃貸契約を結び11月1日にはオープンさせる予定で動きました。

このプランが決まった段階で空手道場の師範には挨拶をして退会させて頂きました。
全く自分勝手な行動でしたが心よく見送ってくれました。

その後も何かと相談に乗って頂いていましすし今でも人としてお付き合いをさせて頂いています。

そしてもう一人、武将會立ち上げに際し数少ない空手関係者の知り合いの中で相談に乗って頂いき、アドバイスをして頂いた先生がいます。

筑西の狼ことK先生です。
全ての構想を打ち明け親身に意見をして下さいました。

後に武将會最初の帯審査の際にも足を運んで頂き、生徒たちに熱い檄を飛ばして頂きました。


スタートにあたりℹ︎先生のトレーニングパートナーであるK先生も週に2日、来て頂ける事になり形は整いました。

新しいマットが敷き詰められサンドバッグが吊るされ、真新しいミットが積み上げられて気分も舞い上がっていました。

オープンにあたりチラシを配布しました。

道場の場所は小学校の通学路でもあり内装工事中から覗いて行かれる親子の姿もありました。

オープン前には無料体験会の日を設けました。

体験会には毎回15人ほどの子供が集まってくれました。

塾長となるℹ︎先生が道場のポリシーを語り準備運動や基本稽古を行い最後には必ず桃子と大将が子供達の前で組み手を見せて皆の感想を聞きました。

かくして11月1日の道場開きには約30人の生徒が入門しました。

しばらくの間、桃子、大将は新弟子のサポートをしながら皆が帰った後私と特練を続ける事にしました。

新弟子達の稽古が18時30分に終わり桃子、大将の稽古が始まります。
ℹ︎先生達も帰り、私達だけになっても残って見ていく生徒がいつのまにか増えて来ました。

一緒にやりたい様子なので声をかけて少しづつやり始めました。
当然、きつい事はまだできません。

いつのまにかこの時間帯が選手クラスになりました。

目指すは大会出場、そして先ずは1勝!

皆の目標がちいさいながら一つになりました。

よ〜しなんのしがらみも無くいろいろな大会にチャレンジするぞ!
生徒にも出たい大会には全て挑戦させるぞ!

と言う気持ちを持てた事に満足感が湧いて来ました。

そんな感じで指揮が高まってきました。

どうせ一緒にやるなら出来る所までついて来なさい。こんな感じですが最初はジャンピングスクワット100回が出来ず30回を超えた頃から泣き出す生徒もいましたが、決して強制ではなく自主的にです。
まずは強靭な下半身の強化から取り組みました。


それが3ヶ月もすると皆、平気な顔をしてこなせるようになっていました。
見事に辛い稽古に打ち勝ってくれました。

武将會 直心塾 この直心塾と言う名前はスタート地点でℹ︎先生の発案でつけたものでした。

私が選手クラスとして始めたクラスでは生徒と一つだけ約束をしました。

それは、空手はすぐに上達できなくてもいいから次の運動会や学校の持久走で前回より少しでも順位を上げよう!

この頃にやった下半身の運動は今の自分に少なかりとも役立っていると思います。

しかし、自分の気持ちの中に何か物足りなさを感じ始めました。

桃子、大将と始めた特練に皆が居残りで合流して選手クラスとなって。

この道場を始めるにあたりℹ︎先生と何度もミーティングを重ねて来ました。

その中で最期の最後まで調整に時間を費やした事は、グローブ空手(すなわち新空手)のスタイルで行くのか?拳サポーター(フルコンタクト空手)で行くのかでした。

私は全くグローブ空手など考えていませんでしたし競技人口も違います。

この時は私のオーナーとしての意見を通したのですが、このスタイルの違い、ℹ︎先生と歩んで来た道のりが後に大問題を引き起こしました。

続きは次回に書きます。