内部交流戦の成績でその気になって乗り込んだ神奈川県大会でフルボッコされ、新たな誓いを立てて早速動き始めました。
大将との会話はこんな感じでした。
私 『今日どうだった?』
大将 『.........』
私 『何で泣いてた?』
大将 『勝てなかったから。』
私 『次は勝ちたいか?』
大将 『うん。』(首を縦に振って)
私 『きっと今日出た子達は大将よりもた くさん稽古してるから強かったんだ
と思うよ。』
大将 『........。』
私 『本当に強くなりたいなら明日から稽
古が終わってからもたくさん稽古し
ょうか?』
大将 『うん。』
私 『約束だぞ。』
実行出来るか出来ないか。よくある親子の会話でした。
当時城東本部には高砂道場と新小岩道場があり師範が曜日を振り分けて稽古を付けていました。
まずは師範にお願いして両方の道場に通って稽古日数を増やしました。
それと並行して追稽古を毎日2時間、長い時は3時間くらいを地区センターや東京武道館で行いました。
まだ年長、年中の子供にはきつかったと思いますが意外と真面目に取り組んでいました。
この頃はまだゲームで遊ぶという事が無かったからかもしれません。
そして良く食べさせました。
ハンバーグなどは1人400g位のものをたいらげていました。
正月休みもづっと続けました。
年が明けて桃子が1年生、大将が年長になり大会のシーズンを迎え新たな挑戦の始まりです。
当時所属していた道場では参加出来る大会が少なかったので出場出来る大会には全て参加しました。
いくつかの大会に参加しましたが、まだまだ通用するレベル迄仕上がっていませんでした。
初中級で入賞するのがやっとでした。
桃子に至っては男子との試合で一方的に負ける事が多くなり、試合前に対戦相手の男子の顔を見るだけで泣き出してしまう事もあり、かなり空手に対するテンションが下がっていました。
しかし、この年の7月の所属流派の東京大会の初中級戦で準優勝して初めて我が家にトロフィーを持ち帰る事が出来ました。
組手での初入賞が初中級戦ではありますが準優勝でした。これで少しは気が落ち着いた事でしょう。
羨ましそうにトロフィーを眺めていた大将の顔は今でも覚えています。
この年の夏は夏合宿がありました。
この頃になると私と師範とはある程度話が出来る仲になっていて合宿の幹事と同行しての世話役を依頼されました。
自分の持っているネットワークをフルに使い知り合いの那須の別荘を格安で借りて、体育館も近くを利用出来る段取りを組みました。
小学生以上の参加条件でしたが私が世話役で同行する為特別に許可を頂き参加させて頂きました。
2泊3日の合宿で約20名が参加し、小学生が中心でした。
これこそ朝から晩まで空手漬け、小学生には過酷な合宿でした。
私は体育館への送り迎えや自炊の為、食事の準備におわれました。
稽古が終わり宿舎に戻ると2階を利用している青年部のメンバーは階段を上がるのにも苦労するほど足腰にきていました。
あえて冷房を効かせていなかったので稽古後の道着は絞れば汗が滴り落ちるほどでした。
この2日間、ギブアップせずにやり通せた事は2人に取って財産になりました。
さぁ下半期の始まりです。
続きは其ノ参で書きます。