1995年アメリカ映画


舞台は雨の降り続く、とある大都会。退職まであと1週間と迫ったベテラン刑事サマセットと、血気盛んな新任刑事ミルズは、ある死体発見現場に急行した。死んでいた男は信じられないほど肥満した大男だった。彼は食べ物の中に顔を埋めた恰好で、下半身は汚物にまみれて死んでおり、足元のバケツには嘔吐した汚物にまみれていた(wikipedia)


傲慢


嫉妬


憤怒


怠惰


強欲


暴食


色欲


キリスト教の教えに出てくる七つの大罪。


「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性のある欲望や感情を指す。


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合法であるが人間が生活の中で犯している七つの大罪を巡り、教養のある異常者が殺人を繰り返していく、猟奇的連続殺人事件を題材にしたパイオニア的映画です。これら大罪を犯しているものを異常者が、異常な手法でその物語を書き、この連続殺人事件を捜査する刑事達と異常者が共にエンディングへ向け完結させていくこの映画は、映し出す映像と語られていく台詞で当時見ている観客は大きな衝撃を与えられました。


猟奇的殺人事件を題材にした映画でありながら、多くの人がある意味での共鳴をし今だにフォロワーが多いのは、どういった人間にも持ち合わせているであろうこれら七つの大罪がモチーフに使われているからです。私たちはこれら大罪を犯しているにも関わらず、それを自覚せずまた認めず、もしかすれば犯していることさえをも気づかず生きています。そのことに対する後ろめたさや、自責の念が実はそうさせているのかもしれません。


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血気盛んな新鋭の刑事ミルズをブラッドピットが、退職日を間近に控えた老練な刑事をモーガンフリーマンがそれぞれ好演しています。世代間のギャップや経験の差があるため、互いの考え方や捜査の手法でぶつかりますが、ある一つの事柄だけ二人が共通します。それは、絶望です。もう何も言葉が発せられないというシーンが複数回出てきますが、このときだけ互いの気持ちがリンクし、そしてまた我々観客にもリンクします。

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この映画での「7」は、色々な意味を持ちます。七つの大罪であり、モーガンフリーマン演じる老練な刑事の退職日までが7日間であり、ブラッドピット演じる新鋭の刑事が着任してから7日目に事件が完結するなど、その意味は何かへのカウントダウンをも含みます。1日目の月曜日から始まり、7日目の日曜日で終わるこの物語を2時間で表現するこの映画は、単なるフィクションであると片づけ我々の日常とかけ離れた場所に隔離させてはおけない現実感があることを見終わった後感じるはずです。


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日常生活の中のニュースから、哲学を感じることはほぼ皆無に等しいでしょう。多くの殺人事件が、その事件加害者一個の感情で完結するからです。同情は出来ても共鳴は出来ません。また共鳴を呼ぶ必要の無いものだからです。もし、哲学を感じ共鳴できる殺人事件が行われたら、私たちはそのニュースを見た後どのように感じ、どのように生活を送るのでしょうか。




「どうにかやってみるさ」




モーガンフリーマンの最後の言葉は、人間の持つ最小単位の底力を十二分に表現しているように感じます。
人間が自分以外の者に、無関心となっていることへの警鐘をこの映画はメッセージとしています。


グロテスクな描写が多い作品ではありますが、一度機会がありましたらご覧ください。


【予告編】


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