長岡には本作の河合継之助、米百俵の小林虎三郎、山本五十六元帥という3大英傑がいて、
2011年に「総合艦隊司令長官 山本五十六」として山本五十六の人生が映画化され、その主役を務めたのが役所広司。
そして本作の主役、河合継之助も役所広司が務めることとなり、
重厚で、奥行きのあるエンターテイメント作品として期待していたところ、
2021年の公開予定が、コロナ禍での影響により2022年6月10日の公開となった。
河合継之助という、幕末の偉人たちの中では無名に近い存在の人物にスポットを当てた本作は、
どのように仕上がっているか控えめに言って楽しみにしていたのであるが、結論から言うとガッカリだった。
もっと言おう、期待外れ、テレビの年末特番並み、脚本が稚拙、センスが無い、などなどなどなど。。。。。
監督/脚本は小泉尭史。
黒澤明に師事し、その教えを胸に今も映画製作をしているとのことだが、
脚本に黒澤のような奥深さ、緻密さ、こだわりが感じられず、継之助という人物に何の魅力も感じられない。
作中にちりばめられたセリフは継之助の自分描写を省いたことで自分勝手で短絡的な発言に受け止められる。
また、映画全体に一貫性がなく、ストーリーがブツブツと途切れてしまっている。
リアルに描くこともつまらなさ、リアルと空想のバランスが悪いため、何の盛り上がりもなく、後味の悪さが残る。
河合継之助は不戦を訴え、中立を望んだ。
そのため軍隊を持たなかったかというとその逆で、最新鋭の武器を備えることで、
越後長岡藩74,000石で賄える兵力(3,700人=74,000÷100×5人)の絶対的な差を埋めようとした。
その行動の基となった陽明学や、江戸での出来事等を一切省き、
長岡という雪国の片田舎での物語に限定させたスケールの小ささには憤りさえ感じる。
そうかと思えばカラス好きという意味の分からないストーリーを付け加え、
全体的に従来からあるTV時代劇と何ら変わりない古くささを感じた。
サブタイトル「最後のサムライ」という使い回されたワードを嬉々として用いる点もセンスのなさを物語っている。
こんな脚本、こんな演出に出演者も嫌気がさし、モチベーションも下がってのであろう。
誰一人としてキラリと光る演技をした者はいなかった。
1つだけ評価する箇所があるとしたら、芸者遊びの中で長岡甚句を踊るシーンであろうか。
踊りがしなやかさが良かった。
地元の英雄そして継之助を慕う地元民に対して大変失礼。
公開延期ではなく公開中止にしてほしいくらいの駄作だった。