最近の様子。だいぶ体も動くようになり完治の見込みが見え始めてきている。以前のように歩けない動けない、ということはもうない。痛みは日によるけどだいぶ楽かな。きっと治るのでもう少しの辛抱。

ところで人付き合いは難しいね。
他人に限らず、家族、恋人、友人、親戚、誰においても難しいと思ったことがこの半年で多々ある。
体の痛みを経て気づいたことは、人から助けられていることや元気をもらっていること、愛してくれている人、などに常日頃自分も向き合えているかどうかということ。痛みに費やされた時間や多額の出費と引き換えに自分なりに気づけたことがある。
死にゆく人を間近で見た。それがどんなにツラくて痛くて苦しいか、特にそれが親ならばどんなにいたたまれない気持ちになるんだろうと思った日もあれば、会いたかった人との再会でいつでも会える距離にいるだけで安心感があること、でも結局大事なのはどこにいても信頼できる心があるかどうかということ、何年会ってなくても久々に再会しても電話しても久々な感じがせず何でも話せてしまうのが真の友達ということ、遠く離れていても頭の片隅に自分のことを想ってくれることがどれだけ嬉しいことか、心配して連絡をくれる人の存在ってそれだけで元気をもらうこととか。30年生きてきて初めて心から喜べて嬉しい誕生日になったこととか。
未だに自由がきかなくて腹立たしいことはたくさんあるしこの痛みが出て半年以上立ってることに憤りを感じるし、健康で何でもできる人がこんなに羨ましいと思ったことは初めてで健康が一番と言われる意味を本当に知ることができた。だから健康で何でもできるのにボーッと生きている人に正直疑問を感じるようにもなった。明日死ぬかもしれないぞ、と。そんな風に感じられるようになったのはこの痛みがあってこそ。なければそんなこと微塵も思わず生きてたと思う。
体を悪くしたからって決して全てが悪いことばかりぢゃない。
感謝したことがたくさんある。まだまだやりたいこともたくさんある。何かに向かってキラキラした自分でい続けたいと思う。
なぜだか繋がりのあるアーティストの方が連絡をくれて音楽を教える道に進むために頑張るという近況をくれた。一度しか対バンであったことがないのになぜだか今もコメントとかくれる。この人のやる気と勇気を本気で応援したくなった。本気かどうかなんてだいたい見たり聞いたりしたらわかる。
だから自分も本気で人から応援してもらえるような人間になりたい。キラキラした自分でいることは永遠の課題となるでしょう。
調子がだいぶ良くなってきたのでこんなポジティブなことを書いてみました!
刺激をもらいながら自分なりに頑張ろう!