いつから、アイドルはドキュメンタリーを撮るようになったのだろうか。

 

アイドルといえば、「歌って踊る愛される存在」。

大きくまとめれば、こんなところだろう。それがいつからか、アイドルに物語を求めるようになったと感じている。(アイドル一人一人の「奥行き」と言っても齟齬はないと思う。)(伝われ!)

 

私にとっての最初のアイドルはAKB48だ。(まさに写真の時代)(推しはともちん)

このころのAKBは毎日どこかの音楽番組に出ていて、ニュースやバラエティーに引っ張りだこだった。学校で知らない人はいないんじゃないかと思うくらいに有名で、友達と誰が好きと聞きあっていた。

 

そんなAKB48も頑張る女の子の姿と歴史を多くみせてきたのではないだろうか。

ドキュメンタリー映画「少女たちは傷つきながら、夢を見る」(一番好き)など、2時間越えのドキュメンタリーを4作ほど出している。他にもメイキングなどを合わせたら数えきれないだろう。

その中では、過呼吸になってしまうシーンであるとか、泣いているシーンなんかもおさめられている。また別のカットでは、あの時どう思っていたのとか、どうしてあの行動をしたのとか、メンバーの気持ちを教えてもらえる時間になってる。

 

冷静に考えて、泣いているときにここぞとばかりに現れるカメラに、撮られているメンバーはいい気がしないだろう。実際にカメラが入れない場所まで入っていくシーンを何度か見たことがある。年頃の女の子がこんな顔見られたくないっていう気持ちもあるんじゃないかな、なんて考えてしまう。でも同時に頑張る姿を、気持ちが溢れる瞬間を1秒でも多く見たいと思ってしまう。これがオタクの性なのだろうか。だったら、オタクはアイドルを生きにくくしているのかもしれない。

知ってもらえてうれしいというアイドルもいるのだろうか。そんな瞬間に、理解したいオタクと理解してほしいアイドルが居合わせれば、きっとその瞬間のその世界は平和だ。きっと。知らんけど。

 

ここで少し時代をさかのぼる。

昭和のアイドルを代表する(と思っている)松田聖子、山口百恵などはドキュメンタリーなどはあまりなかったと聞いている(母親情報)。好きなものはと聞かれたら、ショートケーキと答えてねとマネージャーから言われていたという話をどこかのテレビ番組で聞いた。

本当の好きなものを言わないほど、大切に作られていたイメージがあったのだろうともう。

 

そう考えると、今のアイドルは本来の人柄までも愛される存在なのかもしれない。

 

私たちの多くは真実を知りたがる。だから、多くの憶測が飛び交うし、インターネットを介してそれが拡散される。現代とは怖い。噂で彼氏が誕生させられるし、不仲だなんて言われる。

ハプニングがあれば、噂に羽が生えてどんどんと大きくなる。

それを抑止できるのが、ドキュメンタリーの良さ。なのかもしれない。知らんけど。

 

メンバーはステージでも、ステージ裏でも、見られている。

純粋に休んでほしいと思う。

でもそれと同じくらい、裏側のメンバーを見たいとも思う。

 

このジレンマは私にとって一生の課題である。きっとこの課題はあの少年探偵にも解けないだろう。わたしはこの課題に愛をもって取り組んでいきたい。

 

どうか、今日も推しが健やかでありますように。

君はスパークルなんだ。