つい最近、自分の中でかなり大きなことに

気づかせてもらいました。

 

気づかせてくれたのは、覚醒や/野町あやこちゃん。

 

野町あやこちゃんのブログはこちら。

 

 

彼女と初めて出会ったのは10年ほど前です。

初めは趣味の音楽のことで数回ご一緒しただけだったんですが、

そこからまた出会いがあり、いろいろ節目節目でお世話になって、今に至る。

そのあたりはまた改めて書けたらと思います。

 

今回は、そのあやこちゃんに引き出してもらった、私も見えていなかった部分の話。

 

あやこちゃんのリーディングセッションを受けることになり、

一回目の時、新しく始めることにした仕事にガツガツ進めないことや、家族との関係での悩みを中心に話をしていました。

 

で、家族のことをいろいろ話した最後の最後、

「私自身が、自分にも死ねって言ってるねん」という話がポロっと出てきて。

 

自分で「やらかした!」「他人を不快にさせた」と感じた時に、

帰りに車で一人になった時とか、洗面所の鏡の前で、

「最悪や」「ほんまお前消えろ」「死ね」

とかいう言葉を吐き捨てるように言ってました。

 

人からそう思われただろう

陰でそう言われてるだろう

 

っていう想像から、私は私にずっと言ってきた。

 

 

実際に死のうと思うほどつらいわけでもないのに、口癖のように、言い続けてきたんです。

 

子どもたちには「死んでいい人なんていない」「そんな言葉使わないで」と言ってきたのに。

 

しかも、独り言が暴言なことは私の中で当たり前すぎて、特に悩みでもなく、

「私こんなふうに言ってまうねん。」

って、わざわざ人に話すこともなかった。

 

「みんなそんなもんやろ」と思ってきた。

 

違うんですね…。

 

 

 

「私なんて」とか「自分には無理」っていうふうに自分を蔑むことはなくなったし、

自分の気持ちもよく書き出していたから、

自分を大切にできるようになってきたと思ってた…。

 

でも、全然やった。

 

しかも、ここには書けないけど、他にも「ああ、それもか」っていうのが出てきました。

 

 

 

子どものことをいまいち大切に思えてない気がしていたのも、

「この人大好き」「この人なら大丈夫」と絶対の信頼をおいている人がいないことも、

一気に納得がいった。

 

あやちゃんが、

この状態で息子や娘を愛そうとしても、

私の心が「なんで私じゃなくそっちを愛そうとするの?」って泣くんや、っていう表現で伝えてくれた。

 

私の中の私からしたら、夫も息子も娘も、第二の存在。

 

そこに私は、「世の中の人たち」とか「地球に住むすべての人」のことも考えようとしているから、

「待って!」って、自分自身からストップがかかった。

 

 

 

何年も、自分で自分を傷つけ続けてきたのか…。

 

もう衝撃すぎて。

 

でも気づいて終わりじゃなくて、ここから始まり。

 

あ、でも、気づいて以降、「死ね」とか「消えろ」とか自分に言わなくなったんです。

気づいたことで一つ昇華されたというか、「気づいてくれた♪」という自分もいるんだろうな。

まずそんな変化が起こっています。

 

あやちゃんの、バシッと見抜く力を借りながら、

これまでたどりつけなかった私の奥底まで探っていこうと思います。