闇魔法使いの日常

闇魔法使いの日常

ElSwordでDMやってる人の日記です。日常のことも書きます。不定期更新

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最近は見事にエルソのことを書いてない。
というか書くことがない。いや書くことはなくはないんだけど書くほどでもないというか。
もといJPエルソがいろいろひどすぎてやる気すら出ないのが現状だったりする。

初っ端から仕事の愚痴になってしまうのはやはり仕方ない。
というよりそれ以外に嫌なことがないというか、一時期は決闘も嫌なことがあったが
正直それはやらなければいい話なので割愛する。

愚痴としては二つある。一つは休憩時間に関して。もう一つは仕事内容。
細かく書くと身内にばれてしまっても困るのでできるだけ抽象的に書く。

例えて言うなら習字だろうか。
半紙を文鎮で固定し、それから字を書く用意を始める。
それが普通のはずだが先輩は文鎮を固定していなくて、結果的に字を書く準備をしてるとき
その半紙を床に落としてしまった。というのが一番近いたとえだと私は思う。
正直確認不足だった自分も悪いとは思うのだが、普通は先に固定しておくわけで
そういう理不尽なことはどうしても許せない。

もう一つは至ってシンプルな話だ。
私の仕事では一時間休憩を取るのが普通だ。だが半年以上前に
少しでも早く休憩を切り上げて仕事を進めようという話を聞いて、私はだいたい40分から
45分で休憩を切り上げるようにしている。本来は一時間取らないと労働基準違反なわけだが。
今日もだいたい40分くらいで休憩を切り上げ、職場に戻ると先輩から一言言われる。
「忙しい今日くらい早く帰ってこい、俺はお前みたいに上で遊んでるわけじゃない」
私は表面上のすいませんを言いながらも、頭は沸騰直前だった。
忙しいなら早めに帰ってきてくれと一言言えばいいのにそれも言わず、
なおかつ十分早めには帰ってきているほうなのにそれを責められるのはどうしても
怒りを抑えられなかった。といっても真正面から文句を言って反抗するほどのやる気も
そこまでして自分の正論を通すほどのやる気もないので、
結局ただ自分の仕事を黙々とするだけだった。
ちなみに先輩はどんなに忙しくても自分の休憩はきっちり取ってくる。
そういう意味でも私は先輩に対しての嫌悪感があったりするのかもしれない。



JPエルソがあまりにやることがなくて
あまりに運営がひどすぎるのでKRエルソに逃げました。
というか暇つぶしに久々にKRエルソ起動した感じです。

感想としてはやっぱりルーシエルは楽しい。ノーブレスは・・・(顔グラが・・顔グラが・・・
ロイヤルガードのほうがスキル的にもすでに慣れてることもあり
JPエルソに実装されてもたぶんメインとして動くのはRGになりそうです。
なぜならノーブレスはルーちゃんの顔グラが・・・顔グラが・・・(比べれ分かるそのつらさ)




<日常記>
相も変わらず仕事で怒られる感じ。
なぜか守れないホウレンソウ。上司からのホウレンソウはないんですけどね。
確かにもう指示を待ってばかりじゃいけない、自分で判断しないといけないことが
やっぱりどうしてもあるわけですが、それでもやっぱり一言欲しいです。
おかげで無駄に仕事時間をつぶしてしまいましたし。
どうあがいても結ばれない二人のように、私と先輩もどう頑張っても反りが合わないようです。



見納めのDM髪。いや元からそんなにこの状態ではいませんでしたが









ということで唐突ですがVPに転職しました。まあDMで縛る理由もないですしね
VPを作るのはこれで何度目でしょうか、軽く5回くらいは作ってる気がします。











ただポーズとしてはアバターとの見た目を考えるとこちらのほうがあってますね
まあ最終的にはKRで追加されたポーズを使う予定ですが(杖に座っている奴)










私とVPの関係はそれなりに深い気もします。そういう意味では
今みたいにほぼメインとして動いているのもうなずけるところがあります。

私がVPを作ることになったきっかけはイヴに飽きたころの話にさかのぼります
約二年くらい前でしょうか・・・エルソードを初めて一か月頃のことで、
友達もなかなかインしなくなったので何か新しいキャラクターでも作ろうと思って
公式サイトを見てアイシャを見たときに、VP・EM・Btmがおり、EMはありふれただ
定番どころの印象を感じたので接近戦が得意と聞いてやりやすそうなので作りました
ただDMに転職した時の感想はスキルに対しての肩すかし感でしょうか。
闇の魔法使いともあろうキャラなのになんというか全体的に微妙というか
もちろん今ではそれらを含めてDM、VPが好きだとはいえるんですけどね

その時点ではDMに転職してベスマのDをほどほどにキャラデリしたのを覚えています。
そこから数か月たってCNで決闘をしていて、VPとマッチングしたときに
うごき自体は至って平凡で、うまいかといえば正直本当に普通の方だったのですが、
上にもあげている勝利ポーズがあまりにも格好良くて、憧れたのがきっかけでした。

その人と戦って当日か次の日にはVPを作り、ある程度遊んだのですが
やはりアイシャとの相性が悪いというか、どうしてもリーチとかのせいでうまく動けず
結果的には作っては消し、作っては消しを何度も繰り返し今に至ります。
そういう意味ではCNやYRよりもある意味で思い入れが強いキャラなのかもしれません。

ただなんというか、VPを使ってそれなりに戦えても普通の印象があり
私としてはやはりまたDMを作りたくなっていたりします。
良くも悪くも目立ちたがり屋なんですよね私。



日常についても書こうと思いましたが
今日はエルソのことで多く文章を書いて疲れたのでまた気が向いた時に書きたいと思います
といってもどうせただの愚痴日記になるのが目に見えているんですけどね

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最近の趣味は自分の症状を検索してなんなのかを確かめることだったり。
鬱病なんていったら大層な病気に聞こえるが要はただのさぼり癖みたいなもんだと思う。
事実症状としては思い込みにより起こることが多いし。

さて、今日も相変わらず怒られたりしたわけなのだが、
どうにも怒られると部署に配属された当初と違い、苛立ちを覚えることのほうが
比較的多くなった気がする。原因は自分でもわかってるが慣れと理不尽さのせいだろう。

自分が機械を回してるときに機械が止まり適切な処置をしても機械が止まる。
そういうときによく先輩が来て直してくれたりするのだが、
処置としては私のしたことは間違っていないことが最近はよくある。
自分がチェックした時は何回見たときでもきちんとした状態なのに
先輩が見たときに限ってなぜか悪い状態で、それを指摘されることが多い。
「これはもう何度も教えたろう」という言葉をもう今年ですら百回以上聞いたかもしれない。

もちろん先輩は自分のために怒ってくれてるわけだが。
恐らく私は様々なことでだいぶ捻くれてしまったようだ。
仕事をなぜやってるのか、生きる目的で仕事をするなら私にとってそれは必要ないことだ。
正直今急に病で倒れたとしても私は悔いなく死ねると思う。いやむしろ喜ぶだろう。
まだ十代で、今年で二十歳とはいえ人生を語るのは早いだろうと思われるかもしれないが
人生なんてものはただの積み立てに過ぎない。
いかに濃い人生を送るかでその価値は変わってくると私は思う。

例え話をすると、毎日勉強して毎回テストでもいい点数を取り、家に帰っても勉強して
不必要だとも思えるような知識をも沢山蓄えた人間と、
これといって勉強もせず、日々何をするわけでもなくぶらぶらすごした人間では
一年の価値観や教訓、全てが別物だといえる。
それなのに人間ときたら自分の生きた年数で語りたがる人が多すぎる。
もちろんこんなのはただの極論で、傍から見れば若者が自分を正当化するために
背伸びしてるようにしか見えないだろう。

つまり何が言いたいかといえば私はもう十分生きたということが言いたいわけだ。
これ以上生きていても正直良いことがあるとは思えない。人生都合よくはできていないし。
もっとも私自身がそういう選択をしてきたし、可能性はまだたくさんあるかもしれないが
今の私にはそういう可能性を選択する勇気も労力も残っちゃいないんだ。

こんなことになるならもっと学生の頃勉強すればよかった。まともな神経のある奴なら
きっと誰だってそういうと思う。現に今年入ってきた後輩もそういうことを言っていた。
だが私は少し違うんだ。というか自分の人生に対しての考え方が根本からちがう。

私は人生ってのは決まった道を進んでいると信じてやまないでいる。
つまるところフリードリヒ・ニーチェの永劫回帰論を信じてるということだ。
ちなみに永劫回帰という言葉を知ったのはPSVitaで発売されている、
ソウルサクリファイスデルタが初めてだったりする。
元からそういうことは考えていたのだが自分の考えをネットで検索したことがなかったので
その言葉にたどり着く機会がなかったのだ。

ちなみに永劫回帰とは簡単に言うと人生は繰り返されているという発想だ。
正確に言えば自分が今こうして高卒で仕事に就いたことも、恋人と思っていた人に
こっぴどく振られたことも、仕事をやめようと苦悩する日々も、全て決まっていて、
そういうことをただ敷かれたレールを走るように経験しているだけという考えだ。
そして死んだ場合人間がどうなるか、という考えに対しても転生だとか天国だとか
そういうもののはなくて、ただ自分の人生をまた繰り返す。という理論だったりする。

よく人は予知夢というものを見たりするが、そういうのは永劫回帰の理論のように
人生が繰り返されているからこそそういうものを見るんじゃないかと私は思う。
だがこの考えはなかなか困ったもので、この理論を信じてしまうと、結果的に人は
怠け者、もとい人生に絶望してしまうのだ。
現に私はこの理論に気付いた時、今までにない絶望感を味わい、何もかもが億劫になった。

だからこそそういう意味では私は何をやったってこの先変わらないし、
出会いがあるなら必然的にそれは起こると考えている。
だったら悲観しなくていいんじゃないか?と思われるかもしれないが私は自分の人生に対して
そこまで楽観的な考えではいられないんだ。自然と暗い未来ばかり考えてしまう。

恐らく私はこのまま何度か壁にぶつかりつつも生きて、
定年までずっと同じ職場で働き続けると思う。毎日毎日働いて
家に帰ってパソコンを触って休日になったらたまにドライブしたりして
それで毎日毎日同じように恋人が欲しい、人生が楽しくないとつぶやきながら過ごすのだ。
最終的に私は幼馴染がいるおかげで一人ぼっちにはならないが、男同志悲しく語り合うのだ
「人生つまんないな」「そういうもんだろ」なんてそんな風に。
そして信じていたはずの幼馴染が恋をして結婚したとき、きっと私は本当のひとりぼっちを
経験することになるんだと思う。世界にひとりぼっちっていうのは
きっと想像出来ないくらいとんでもなく悲しいんだろうな。
定年退職して年金暮らしをするころにはいよいよもってやることがなくなり
年のせいでゲームもできなくなり、毎日ネットばかりして、意味もなく徘徊したりするんだろう。
そして寿命を迎えたときにきっと私はこういうんだ。「今回もまたつまらない人生だったな」って。

だが永劫回帰にもいい点はある。それは将来に対しての絶対的な不安がないことだ。
レールの上を走ってるならおそらくそうそう脱線は不可能だろう。
そして一番喜ばしいことは、初めて好きな本に出会えた時の喜びとか
ゲームをクリアした時のたとえようのない充実感。そして恋愛の素晴らしさ・・・
それらをまた経験できると考えると、これ以上にうれしいことはない。
だって私はまたあの子と出会えるのだから。あの子にドキドキしたり、好きすぎて辛かったり
ちょっと挨拶されただけでも心の底から温まるような感覚をまた味わえるなら
これ以上に幸せなことはないと私は思う。たとえそのあとにまた絶望が待っていたとしても
それを知る由のない私はきっと心からあの子に笑いかけられるだろう。
笑いかけるなんて言ってもネット上の顔も知らない相手だから、画面に対して笑ってる私が
一人滑稽な姿をさらすだけなんだけどね。

あの子が実際私を好きだったのか、はたまたただ合してくれてたのかは
正直確証は持てないけどおそらく後者だと思うのは確かだ。
永劫回帰を信じてやまない私は薄々気づいてた。たぶんこの恋は叶わない。
あの子の隣にいるのは私ではなく他の誰かで、きっと顔も知ることはないんだと。

まあそういうことをあの子に語ったせいで面倒くさがられて
ますます嫌われたというのは否めないのだけどね。
あの子はそういう人間は嫌いらしかったから。

なぜだからわからないが自分語りを記事として書き起こすと
決まってあの子のことばかり話すようになっていて正直笑えてくる。
一途なんて言ったら聞こえはいいけど、ようはただのストーカーなんだけどな。
まあストーカーしようにも相手は遠くに住んでいて、最近は連絡も取れないから
追跡しようにもできないんだけどさ。

ここまでの文章を読んでくれた人々に感謝を。
最近エルソードのことを書けてなくてすいません。
仕事復帰して二日目、んで二日休みの後の早番。
仕事はまあまあ楽しいいや楽しくない。
正直仕事っても機械回してるだけだからほとんど脳死してる。
脳死っていっても何かしないと結局暇なわけで、それで何してるかっていうと
大好きなあの子のことを考えるだけっていうね。

正直言っていまだに未練がましく固執してるのが自分でも恐ろしい。
ネットで声聞いたくらいしかないのに、好きじゃないとはっきり宣言されたのに
それでもなんだかんだいって好きすぎてつらい。
それでふっと気付いたのはその子のこと考えると異様に死にたくなる。
たぶん自分の間違いとかをいろいろ認識しちゃうからなんだろうな、笑える。

それで12時間の仕事を終わって帰ってきてシャワー浴びた今。
これからどうするかっていうと生きていく理由を見つけたいと思う。
というか家出したのもそのためだったんだけど結局見つけれなかったんだよな。


誰かのために生きるっていうのが本来なら一番の近道なんだけど
私の最愛の人は私がいないほうが正直幸せなんだと思う。
好きでもないやつに好かれてあげく愛を感じないとか文句言われて
そりゃあ好きどころか嫌いになるにきまってる。まあこういうネガティブで
どうしてもうじうじするところも嫌われる原因の一つだったんだけど。

まああの子のことをいくらここで好きで好きで仕方ないとか語ったところで
何が変わるわけでもないし、むしろどんどん思考は鬱まっしぐらなわけで。

結局何が言いたいかっていうとそろそろ私も前を向かないといけないのかなってこと。
いままで十分吹っ切れたつもりでごまかしてたけど今回の一件で気付かされた。

まあ吹っ切るって言ってもあの子が好きなことには変わりがないし
あの子から話しかけてくれたりしたらそれこそただの罵倒のためだったとしても
うれしく思うと思う。それほどまでにあの子に依存してるのは確か。

だからこそ正直私があの子のことを忘れるなんて言うのは不可能なんだと思う。
たとえて言うなら人がご飯を食べないと死ぬように、私もあの子のことを考えてないと
それこそ私が私ではなくなるような、そんな気がする。

だからこそあの子のことは大切に思い出として大切に思いつつも
ちゃんとある程度踏ん切りをつけて仕事なり日常になりきちんとやる気を出さないといけない。
まあそういいつつきっとダメなんですけどね。それが私だもの。