父親が他界しました
13年弱闘病の末
診断を受けたときは
10年持たないと言われていたので
快挙ではある
ほんと
血液関係だったので
いつ急変するのかわからなかったし
もともと好き嫌いの多い人が
食事制限するという残酷さを知ったし
気合いとプライドの人が
最後に天秤にかける命の重さを知ったし
生きるとか死ぬとか父親とか
だよ、リアルガチで
はっきり言って父のことは
そんなに好きではなかった
子どもには暴力を振るうことなく
怒られたこともほとんどない
母にはするひとだった
家にほとんどいなくて
いても黙ってテレビで野球中継を見ながら
ビールを飲んで酔っぱらって寝るだけだった
家ではほとんど笑わなかった父
でも学校行事には必ず来てくれて
運動会とか学芸会とか必ずビデオを回してくれた
不器用な父でした
姉は海外在住なので
父を看とることはできないと
みんな覚悟していたのだけど
コロナ禍でワクチン接種のために帰国することになった
そのときは父は何度目かの入院をしていたけれど
退院日が決まっていたので
いつもみたいに回復して
退院して、元気だったら姉たちと会えると思っていた
でも
それは実現できなかった
父は退院日が近づくと発熱し退院延期、
回復して退院日が近づくとまた退院延期を
繰り返し
結局
姉が帰国して隔離期間中に
息を引き取ってしまいました
でもなんとか火葬場には来られて
最後に顔を見ることができたんだけどね
それから
四十九日も少し早めて
みんなで納骨までできました
こんなご時世なので
外出はほとんどせず
姪っ子たちと花火したり
坊主めくりしたりUNOしたりなんじゃもんじゃしたり
オリンピック見ながらアイス食べたりして
夏休みを満喫したあと
姉たちは帰っていきました
なんかね
父親がいなくなったっていうのに
落ち込んだり悲しんだりをほとんどしなかったんだよね
それは
13年かけてゆっくり気持ちを作っていけたからというのもあるし
あとは
姪っ子たちと騒がしく過ごせたからというのも
少なからずあると思う
姉たちが
オリンピック期間中に飛行機の席が取れたのは
抽選で当たらなければいけない大変なことだったらしいし
天気の都合で少し遅れたから
火葬場に間に合ったのだし
タイミングなのか
父が呼んだのか
わからないけどさ
穏やかで少人数だったけど賑やかで
悪くない夏だったと思うよ☀️
...まてまてわたし
もうひとつあった!
推しのSNSは大きい
見ると口角上がるもん😊
家族仲良くいられた
推しに支えられた夏でした🍉