今日は冷たい北風が吹いてとても寒くなっています。
事務所の中はストーブで暖かく、一歩外へ出れば寒風が吹いていますので、まるでサウナと水風呂を出入りしているようだ、と娘に話したりしています。
昨日は夕食後、時々掛かる東京の従兄からの電話がありました。
「○○さんこんばんわ」と、何時もの発声の良い声で話始めますから、昔芸大声楽科を出た93歳の従兄であることは直ぐに判ります。
93歳の従兄は、わたしと同じ高校卒(従兄は旧制中学)ですが、その学校出身者としてはとても珍しい芸大卒ですから、わたしは高校2年生の時、その繋がりを音楽の先生に問われて、それ以後何もしないのに音楽の成績は4になっていました。
その従兄との電話では、何時もだいたい故郷の山や河の話になります。
従兄は「城山に登りたいなぁ・・・」と良く言いますし、「○○河は昔と変わったかなぁ・・・」とも良く話します。
城山と○○河は、わたしたち市内の町中に住んだ子供たちにとっては、宝物のような場所なのです。
従妹に寄れば子供の頃友達に会えば、「今日城山に行ったか?」と聞くのは男の子の間の一つの挨拶代わりであり、「行ったぞ!!」との返事を聞くと、「良いのぅ」と羨ましそうに答えるのが常だったようなのです。
そう言えばわたしの叔父も、亡くなる前に「城山に登りたいなぁ・・・」と話して、まだ若かったわたしたちは、「良いで」と答えて車椅子を2~3人で抱え上げ、叔父を山まで連れて行く覚悟を決めていたものでした。
わたしの弟も亡くなる前には「城山を見たい」と言って、弟嫁の運転する車で約一時間半掛けて山の下まで来たそうで、その時は途中で気分が悪く成り、わたしの所へは寄らずに家まで帰ったと、後で弟嫁から聞いたものでした。
そのような城山ですが、登っては山中走り回ることを無上の楽しみにしていて、何日も登らなければ忘れ物をしているような心境に成っていた世代は、昭和何年生まれ位までだったのでしょうか。
多分団塊の世代まで位だったような気もします。
わたしは高卒で就職して大阪へ出かけましたが、故郷を後にする前には何度か城山へ登っていましたし、その後帰省した時には友達と登ったり、両親とも登った写真が何枚か残っています。
しかし最近は登らなくなってしまいました。
体力が落ちると膀胱炎に成り熱が出るようになってからは、無理が出来なくなったからでした。
最近は熱も出なくなりましたが、これもトシということかなと、自重しています。
93歳の従兄は電話を切る前に言いました「こっちに居ると一つも面白いことは無いんじゃあ、田舎が良いなぁ・・・」
東京生まれの奥さんが亡くなり、一人住まいのマンションで田舎の山河を思っているだろう従兄は、今でも防音室で毎日発声練習を欠かさないという美声で語るのでした。
