「吉村昭の人生作法」の中には、電車内で乗客が席を譲る場面で、吉村氏が、美しいものを見た、と書かれている随筆が挙げられていました。
この文もわたしは以前読んでいた記憶があります。
<吉村氏の文>
氏の前に座っていた若い女性が、おもむろに立つと、座るように手でうながした。 氏はベレー帽をぬぎ、感謝の言葉を口にして深く頭を下げて席に腰をおろした。 そのしぐさがまことに優美でわたしは美しいものをみた、とおもった。 氏はその女性が降りる時、立って再びベレー帽をぬぎ、頭をさげた。
わたしの場合田舎暮らしですから、電車に乗るということは数年に一度位しか有りません。
従いまして、電車の席を譲ることも譲られたことも記憶に無いようです。
しかしその反面、車で道を譲ることや譲られることは何度もあります。
わたしには元々変な癖がありまして。 大体において、国道などの大きな道路を走ることは余り好みでは無いのです。
上下6車線の国道を、前の車に付いて延々と走るようなことは、必要上仕方なく行いますが、良い脇道として、狭い路や山の中の路などがある場合は、好んでそちらの方を走ります。
何故かと考えたこともありますが、もしかして大阪で、良く広い国道や高速道路を、追い立てられるようにして走っていたことの反動では、とも思うのですが、それも一概には言われないでしょうから、単にちょいと難しい緊張を迫られる狭い路や、のんびりした風景を眺めながら走る山の中の路が好きなのだ、と言う事なのだろうと思うのです。
考えように寄っては、自分の意思が通用する路を出来たら走りたい、と言った風に言えるのかも知れません。
これは大阪で運転する時には、果たせなかったことですからね。
一方、大きな国道を走る時に、例外として好みの道も有りました。
それは大阪の御堂筋を走る時でした。 御堂筋は22歳で普通免許を取った明くる日に、係長の軽四輪で直ぐに走りましたし、その後も何度も何度も仕事で走りました。
オートバイで走る時には、必ずシグナルレースを他の数台とやったものでした。
その内何年かして、御堂筋と堺筋は一方通行に変わりましたが、これもまた走りながら何とも壮観な風景で、何となく高揚感のようなものを持ちながら、走っていたものでした。
話は田舎での車の譲り合いに戻りますが、わたしは狭い路で他の車と出会った時には、必ず自分から先にすれ違いが出来る所にまで移動します。
それは別に親切心から、という事では無いのです。 その方が早くすれ違いか出来るようになるからなのです。
相手が女性の運転手や、お年寄りの場合などは勿論、若者の場合でもわたしは自分から先にバックしたり、横道へ車を入れ込んで対向車を先に通らせます。
その方が、結果的には問題が早く解決するからなのでしたが、わたしはこれを自分ながら 機能美 と呼んでいます。
機能的でしかも喜ばれる、ということなのですね。女性の運転手の方は、良く頭を下げられて通り過ぎますし、男性は片手を上げたり、ビっとクラクションを鳴らして通り過ぎます。
そんな中、一度は女性の運転する車と、狭い路で真横に並んで止まったことがありました。
丁度一緒に出会ってしまったのですが、わたしは ~ この女性は余程運転の上手な人だな ~と、肌で感じました。
お互いが狭い路の中で、此処しか無い、という場所に何も迷わずに止まったからでした。
わたしはウインドゥを下げて後ろを向き「そこは少し前に行かれますか」と聞きましたら、「う~~ん、ちょっと・・・」ということでした。
それで「それならわたしが少し前に出ますから・・・」と言って20cm程前に出ますと、女性の方も少し前に出ました。
それでわたしがそのままずっと前に出ることが出来るように成ったのです。
わたしは「ど~~も」と言いながら前に走り出しましたら、女性ははっきりと「ありがとうございました」と言って走り出しました。
その時は本当に気分が良かったです。 運転の上手な人と、礼儀正しくすれ違えたことが、何とも言えぬ心地よい余韻を残してくれたのでした。
しかし、今まで何度か通っていたその路に付いて、もう此処を走るのは止めよう、と思いました。
わたしは好みからわざわざ狭い路を通っていますが、生活上必要に迫られて通っている人も居るのでしょうから、要らぬ迷惑を掛けるのも、わたしの言う機能美的では無いと思えたからでした。
それ以後は、その付近を通る時には、面白味のない広い二車線を通っているのです。
先日も仕入れに行っていましたが、これといって写真を撮るほどの花はありませんでした。 しかしとても可愛いワンコを連れて来ている人が居られました。
それでお願いをして写真を撮らせて頂きました、
わたしは柴犬が特に好きなのです。 若い頃は家でも飼っていましたから。
今でも子供達との話題に上ります。

