先日のヤフーニュースでしたか、大阪万博へ出かけるのに、現在の開催地へ行かず、間違って昔の吹田市の万博跡地に行く人が居るそうですね。

 

間違って行く人が可哀そうやら,、懐かしいやら、何とも言えない感情が生まれます。

 

わたしに取っての大阪万博は、吹田市北部の千里丘陵で開催されたものでしか有りませんから。

 

以前も書きましたが、1970年の大阪万博は、わたしとしては仕事で真っ向から向き合った現場でした。

 

仕事上で何度も何度も出かけました。 今でもカラー写真付きの通行証を持っています。

 

もしかして今度の万博にも使えないか、と娘に笑って話したりするのですが、無理でしょうね。 通行証の写真が、それを撮った年、つまりわたしが24歳の時の顔になっていますから。

 

それにしましても、現在の万博の入場者数も多いようですね。

 

思いますのに、日本人の好奇心、また進取の気性、科学への興味、向学心、そのようなものが、無意識の中にも作用しているのではと思うのです。

 

それらは、今日までのわが国の発展の元に成っている要素のようにも思われますね。

 

老いも若きも万博好きということは、まだまだこの国は進歩を止めないのだ、という証のようにも思われます。

 

自分の国さえ栄えればそれで良い、などと言う閉鎖的な考え方は、もともと日本人には無かったようですからね。

( 考え方にもよるでしょうが・・・)

 

今の時代に、自分の国だけ成長して、他国の利益を拒もうなんて考え方は、もう100年位前までの考え方のようです。

 

万博会場のことに戻りますが、1970年の万博では、終了の翌日に来た家族が居られました。

 

閉ざされた会場内を眺めている家族の写真が、大阪版に載っていましたが、可哀そうな写真ながら、家族の方は明るい表情をして写っていました。

 

また終了後一年位して、万博見物に来たまま行へ不明になったご老人が、ホームレスになって見つかったこともありました。

 

もしも迷い人に成った時にと、家族の方が住所を書いたメモ用紙を背広のポケットに入れていたのでした。

 

万博がようやく終わって、わたしの係ではささやかな打ち上げをしたものでした。

 

その日の日記に、万博終了して僅かに寿司を残す、と書かれています。

 

過酷な休みの無い連続勤務が終わり、むしろ気が抜けたような感じがしたことを思い出します。

 

今考えますと、若さ故あそこまで働けたのだと思います。 あの当時は世の中全体がそのような風潮で、ブラック会社などという語句も有りませんでした。

 

今の人が評価すれば、世の中全体が、オール・ブラックスのようなものだった気がします。

 

そしてオール・ブラックスのメンバー達は、誇りのようなものすら持っていたのでした。

 

 

カリブラコアが満開になりました。 これで三鉢分です。 伸び放題にしていますが、ハンキング用に買う人も居ります。