谷口桂子著「吉村昭の人生作法」を読み終えました。 吉村氏の随筆類は沢山読んでいますから、多分わたしがこの本を図書館で見つけても、借りては帰らなかっただろうと思うのですが、娘が、お父さんが読むのではと、気を利かせて借りて来てくれたのでした。

 

やはり最初の方のページでは然程新鮮味が感じられず、途中で止めようかとも思ったのですが、成り行きで読んでいる内、半ばから徐々に関心が湧いて来て、熱心に読んでいた昔のことなども思い出しながら、最後まで読み終えたのでした。

 

読みながら思い出したのですが、若い頃に、吉村氏のエッセイを読んでいる内、文中、書いた氏の文章から、自分にも似たような経験が有ったことや、また、自分ならこんな風に感じるのだが・・・、といった事柄を自分なりに綴ってみたことがありました。

 

それでその時ワープロで打った数枚の紙を、自分の部屋で探してみたのですが見つからず、あの時の文章が残っていれば、ここに書く文にも暫くの間利用出来るのだが、との思惑は外れてしまいました。

 

そこで、再び意を決して、という程でもありませんが、氏の足跡を辿るような気分で、「吉村昭の人生作法」を読む中から拾った自分の感情、のようなものを、ここに書いてみることしたのです。

 

以下、心に残った吉村氏の文章の中から、それに対してのわたしのいろんな反応を、拙文ながら書いてみることにしました。

 

○   大浴場でも挨拶  (吉村氏は旅先の大浴場に入った時など、自分から先に付近の先客に挨拶をするようです。)

 

わたしの場合は、先に入っている人と顔が合えば会釈はしますね。 しかしそれは大浴場に限ったことでは無くて、銭湯でもやはり同じようです。

 

という事は、顔が合わない場合は自分から挨拶はしないのですね。 しかしそれとちょっと違うケースは、先に入っている人が外国の人であれば、挨拶をします。

 

外国の人は平均的に、まともに先に向こうからこちらの顔を見ますから、どうしても自然に「こんちわ」などと言って挨拶をしてしまいます。

 

そうしますと全ての外人はニコッと笑って挨拶を返します。 これは冬の温水プールででも街中でも同じですね。

 

外国の人は外国に来ていることに、平均的に小さな不安感を持っているのか、此方から挨拶をしますと、本心からホッとした表情で挨拶を返します。

 

今書きながら思いましたが、一つにはわたしの人相が、小さな不安感の原因の一つだったのかも知れませんね。

 

そう言えば吉村さんの人相も、あまり愛嬌が有る方では無かったようです。

 

夜の繁華街を歩いていると、客の呼び込みが何時の間にか居なくなったり、飲み屋で刑事や税務署の職員に間違えられたりしたそうですから。

 

なかでも記憶に残っていることとして、吉村氏が住居近くの井の頭公園の橋を渡っている時、前を歩いている小さな男の子が振り向いて、母親に「後ろから恐い顔の人が付いてくるよ~~」と言ったようなことを話したそうですから。

 

先に挨拶をしていたと言う吉村さんの中には、深層心理として「自分は安全な人間ですよ」との表示の必要性を感じていたのかも知れません。

 

わたしは逆の経験をしたことがありました。 散歩コースに、時々家の前で煙草をフカしている五十代位の恐い顔をしている男性を見かけることがありました。

 

或る日も前を通る時チラッと見ると、怖い顔をして真っ直ぐ前を向いていますので、わたしから「こんにちは」と、頭を下げて真面目に挨拶をしたのです。

 

そうしますと男性はやや慌てて「こんにちは」と、不器用に挨拶を返しました。 わたしは通り過ぎながら可笑しくて、なんだか「勝ったな!!」というような心境になったものでした。

 

居合の剣の道で、先手を取ったような、そんな心境に成ったのでした。

 

                                 (今後もこの調子で続きます)

 

 

先日知り合いの同業者の庭から貰って来ました。 余りにハッキリした花ですから。

しかし品種を聞き忘れていました。 姫ヒオウギなのでしょうか。

お詳しい方から教えて頂きましたら、感謝です。