まだ古山高麗雄さんの「二十三の戦争短編小説」を読んでいます。 まだ、と言いますのは多分三週間は読み続けているからなのです。

 

分厚い本ですが、遅読の原因はこのところの暑さにもあるのです。 家に居ても暑いものですから読書が進みません。

 

一度に数ページ読むと暑さに辟易してパタンと本を閉じることになります。 いろいろ事情が有りまして、エアコンのある部屋ではテレビを見るか、テレビで映画を観るかしていて読書はしません。

 

また昼間店番中はまず読書はしません。 店番中は一応仕事中ですから仕事上のカタログを見たり、事務仕事をしたり、ヤフオクの蘭の動きを見たり、また業者のホームページを眺めたりしています。

 

しかし今日は日曜日ですから、店でも本を読むかもしれません。 日曜祭日には店番読書も許容しているのですが、これが案外進まないのです。

 

やはり仕事関連の方へ関心が向くのと、長い時間の読書には飽いてくるのですね。

 

そんな中昨日の読書中に、本の中へ知っている方の名前が出て来まして驚きました。

 

著者の古山高麗雄さんは1920年朝鮮の新義州で生まれて育っていますが、そこの新義州中学での二学年下の人と戦後三十年ほどして会う場面がありました。

 

九州のある市でその人と会うのですが、その人、つまりMさんとは、わたしの父の知り合いでもあったのです。

 

わたしの若い頃父は良くMさんの話を家でして、その人の飾らぬ明るさを語ってくれていました。

 

父が自転車で走っていると何処かから「○○さん!!」と大声で呼ぶ声がするからキョロキョロして回りを見ると、広い道路の反対側に社長車を留めて後ろ窓からMさんがニコニコして手を振っていたとか。

 

父が親類の青年の就職を頼むと快諾してくれて、数日後にはわざわざその青年のことを誉めて礼を言ってくれたとか・・・。

 

父の方が9歳年上ながら、Mさんに対する尊敬ぶりが当時のわたしにも篤く伝わってきていたのでした。

 

しかしそのMさんは57歳で亡くなられました。 古山高麗雄さんもMさんのことは、明るく人懐っこい性格の秀才であったと書かれています。

 

当時わたしはMさんの葬儀の挨拶状を見て、喪主がご子息の好古さんとなっていることに感銘を受けたものでした。

 

わたしの年代であればこそ、日露戦争の秋山好古さんのことは小説「坂の上の雲」を読んで知ることができましたが、わたしより然程年の離れていないはずのご子息に、戦後間もない頃、好古と言う名をつけられていたとは・・・と、その教養の広さに、流石だなぁと思わされたのでした。

 

長年小説などの本を読んでいますが、途中エッと驚く知人の登場はこれで二人目のようです。

 

一人は戦前木村正彦氏と天覧試合をした柔道家のHさんでした。 柔道ドキュメンタリーを読んでいた時に登場したのです。

若い頃寝屋川のHさんの居宅を訪ねたことなどを思い出したものでした。

 

今回登場したMさんのことは、Mさんのことを話す時の父の笑顔も一緒に浮かんでくる、温かくも懐かしいお名前だったのです。

 

 

小型の風蘭の山盛りです。 元々は一本から増えたのでしょうけど、小型でもここまで増えると存在感があります。

一時元気を落としていたので、現在は回復中です。