「マンガ 日本の歴史 48」つまり最終巻を読み終えました。 初巻から一年以上掛かったようです。
48巻は縄文時代の晩期と弥生時代の初期が書かれていましたが、初めて知ることが多く楽しんで読めました。
それに関連して、現在の遺伝子解析情報に寄れば、大陸から渡って来た人々のそれは、京都・奈良・滋賀・四国に際立ち、渡来地の九州北部は多くの場合通過点だったことが解ったそうですね。
大陸から九州北部に渡来し、そこに腰を落ち着けずに多くの人々が東部へ進んで行った、アメリカの西部開拓のような、東部開拓があったのでしょうね。
この本のシリーズはその他にまた別巻扱いで、現代編と言うものもありまして、これは全7巻までとなっています。
現代編の一巻は既に読んでいますが、今度は48巻と並行して現代編7巻を読んでみました。
この辺は気分任せで、現代編一巻を読んでいますから、飛んで何となく最終巻の7巻を読んでみたくなったのです。
最近読んだ7巻ですが、副題が 高度成長時代 となっています。
1956年から1971年までのことが書かれていまして、わたしが11歳から26歳までのことです。
わたしは昭和38年2月24日に大阪駅のホームを初めて踏みまして、昭和46年12月12日に田舎へ帰ってきましたから、1963年から1971年までは高校を出て大阪で働いていた時期で、この本の中の15年間の内、後半の半分強を社会人として大阪にて過ごしていたこととなります。
そういった意味でも7巻に書かれている内容は、とても身近に感じられることが多くありました。
まず最初の1956年の年表、石原慎太郎「太陽の季節」が芥川賞受賞 出版社初の週刊誌「週刊新潮」発売 売春防止法公布 は、わたしの子供の頃のことですが、これも身近に感じられることのある出来事です。
石原慎太郎氏の「太陽の季節」は、わたしは当時11歳ですから流石に読んでいません。
わたしが本を読み始めたのは小学校6年生の夏(今でもその頃の情景は良く憶えています)からで、中学生になってから学校の図書室へ通い始め、本格的に(と言いますのは、毎日本を読む、と言う意味で)本を読み始めたのは高校生になってからなのでした。
それで「太陽の季節」は、令和3年に成って初めて読んでいます。
その前の年から「芥川賞全集」を読み始めていますが、芥川賞受賞第一作、石川達三著「蒼茫」から読み始めて、その勢いでこの本も読んだのでした。
わざわざそのように言いますのは、以前から余り積極的には読みたくは無い作品としての印象ばかり強く、全集読書の流れで読んだ、ということだったからなのです。
読んでみてやはり予感の通りでした。
読んだ後、嫌な空気だけが残るような作品でしたが、面白いことに、後年石原慎太郎氏が芥川賞の選考委員に成ってからの、受賞作品に対する氏の批評には、同調する部分が多かったのですね。
氏の作品には馴染めませんでしたが、氏の他者の作品に対する評には、・・思いが自分と同じだな!?、と成りましたから、面白いものです。
他の選考委員の中では、宮本輝氏の評に同調することが多かったようでした。
「小説新潮」に付きましては、ただ母親が毎週かそれに近く購読していた、という繋がりだけです。
わたしも時々拾い読みしていたようですが、表紙の絵の雰囲気以外は然程記憶には残ってはいません。
母はその他に「主婦の友」も購読していました。
大阪で働いていた時代、東京へ出張し主婦の友社の前を通った時は、看板の字がとても懐かしかったですね。
忙しい最中に、ふと母や田舎の事が思い出されたものでした。
売春防止法公布に関しましては、わたしが生まれて育った家の通りの端に、売春宿が一軒有りましたので法律公布前後のことは憶えています。
小学校5年生位までは売春宿は有った訳ですが、何度かその前を通ったこともあります。
派手な着物をやや崩れた格好で着ているお姐さんたちが、家の前に二三たむろして外を眺めていたり、若い男が酔っ払って、お姐さんたちに囲まれて家に連れ込まれたりしていたものでした。
子供のわたしはチラッと、なるべく長くは見ないようにして、何となく妖しい雰囲気の家の前をそそくさと通り過ぎていたものでした。
家の前にお姐さん方がたむろして居れば速足で通り、居なければ居ないで気が抜けたような、そんな感じのする場所でした。
ですから防止法が出てからもぬけの殻の家の前を通る時は、何となく安心して通れるような、あの姐さんたちはどこへ行ったのかと、子供心に何故か空虚感が感じられるような、そんな気分がしたものでした。
今はその跡地に、地方銀行が建っています。
こんな調子で1971年まで書いていきましたら、ブログの何回分かが書けそうですね。
今度また興味の湧く事柄がありましたら、書いてみようと思っています。