月に一度薬を貰いに行く病院から、道を挟んで小さな借家の並んでいる一角が見えます。
病院の計算が済むまで、道路側の窓から何時も眺めていて飽くことがありません。
四軒の戸建て借家が3m間隔ほどに建っていますが、何時も眺めるのは、一番東端の脇路に近い方の家です。
平屋でこじんまりした作りの玄関や窓の配置、横に在る勝手口の様子、狭いコンクリートのベランダに設けられたビニールトタンの屋根。
それなりに古びていますが、わたしたちが住んでいた50年前と姿はほとんど変わっていません。
勝手口の内側に、一歳を過ぎたころの長男が半ズボンを履いて立っている姿はアルバムに残っていますから、勝手口をじっと眺めていると想像の中でドアが無くなり、はにかんだ長男の姿が浮かび上がってきます。
田舎の商売を継ぐために大阪から帰省しましたが、親たちの好意で、若いわたしたち一家は知り合いの人の所有する借家へ住まわせてもらっていたのです。
二歳の長女を連れて三人で引っ越しをしましたが、最初に借家を見せて貰った時、持ち主の松おいさんが「親と喧嘩したんじゃなかろうのぅ」と唐突に言ったものでした。
松おいさんはわたしの父親ととても親しく、もしやわたしが親に反発して借家を借りるのなら、何か意見でもしなければと思ったのでしょう。
わたしは笑いながら「いやいやそんなことや無いんで、親が勧めてくれたんよ」と言うと「そんなら良いわ」と納得した顔で、話を進めてくれたのでした。
親子三人の生活が小さな家で始まり、その内に長男も生まれて四人家族となりました。
わたしは店の自動車で店まで通い、昼食は食べに借家へ帰っていました。
家の周りでは何時も子供たちが三輪車や足こぎの自動車で遊んでいたものでした。
借家の裏に在る家が大きな造船所のドッグハウスでしたから、最初の二年間はベルギーの船主会社の家族が住んでいて、マリアという金髪の三歳くらいの女の子とアーノスという一歳過ぎ位の男の子が、我が家の子供と一緒に遊んでいたものです。
アーノスは昼食時の我が家へトコトコと入って来て、食卓へ並んで座ったりして家まで何度か連れて行ったりしたものでした。
我が家の子供たちも何時も二人で外で遊んでいましたから、いつの間にか近所の畑のおばさんとも仲良く成り、また近所の大学受験生の母親が「うちの子供が勉強に疲れると、お宅の子供さんたちを二階の勉強部屋の窓から眺めて息抜きしているようです」と笑顔で話してくれたこともありました。
病院の窓から見つめていると、玄関前の空き地で、小さかった頃の子供たちが遊んでいる姿が見えてくるような感覚にもなります。
あの小さい屋根の下で、家族四人が暮らしていたのだと思うと、若さというものの儚さのようなものも感じられ、また形の無い希望だけを持っていた頃の日々が、懐かしく思い出されて来るのでした。
そしてその内に病院の事務員さんから「〇〇さーん」と名を呼ばれて、一瞬にまた50年後の現実に戻るのです。
一番下の娘は借家から実家に戻ってから生まれたのですが、借家に住んでいる頃生まれた長男は、1~2歳のことだから当時の記憶は無いそうです。 上の長女だけが、わたしが驚くほどその頃のことを良く憶えています。
若い頃数年住んでいた小さな家が未だに存在している。 しかしその周辺には静けさだけが沈殿していて、子供たちの遊ぶ姿はもはやわたしの頭の中にしか見ることはありません。
まるでわたしの子供たちと裏のマリアたちが最後の子供達だったように・・・。
宿根サルビア、アメジストセージです。
