なかにし礼氏の「夜の歌」を読み終えました。
7歳の頃の牡丹江脱出行以外の稿は、氏の作詞歴が主に書かれていましたが、後半に成り氏の小説「兄弟」に書かれていた内容と同じ、実の兄(14歳年上)の悪辣な所業が詳しく書かれていました。
牡丹江からの脱出の件は、先の「赤い月」で読んでいた内容と大差ありませんので、復習のような感覚で読むことができました。
これらからしますと、わたしが読んだ本の順番は逆で、「夜の歌」を先に読み、なかにし氏の生涯を一応知って、7歳の部分を詳しく切り取った「赤い月」を読むと良かったのかも知れません。
― とここまで書きましたが、どちらを先に読むべきか・・実のところそれは解らなくなりました ―
「夜の歌」の中では、なかにし氏の数々の歌詞の作出に関して、その感情が幻想的かつ細やかに書かれていますし、いろんな人物との交流も書かれています。
しかし読んでいるわたしが、氏の作品である音楽(一応聴いてはいます)が元々然程好きには成れなかったものですから、ふむふむ、と思うだけで気持ちが入り込むほどではありませんでした。
しかし氏の受賞歴などを見ますと、その世界ではヒットメーカーとして、稀有な才能の持ち主であったろうことが窺えます。
それよりわたしとしては、なかにし氏の読書傾向とその量、また聞いて来た音楽の傾向とその量には感服するものがあります。
文章の中で、度々いろんな小説や音楽の一端が出て来ますが、何時どの時代にそんなに読んでそんなに聴いてきたのか・・・、わたしも本は徒に沢山読んで音楽も沢山聴いて来ましたが、氏の書かれる文章から出てくる質と量からすると、ほんの小学生くらいな感じがしてきました。
そしてまた記憶力の差なのでしょうね、文章の中にそれらの知識が適宜に場所を知り出てくるのです。
なかにし氏の数々のヒット曲など煌びやかな業績と、栄華を極めた日々、そして芸能界トップの人間達との夜毎の生活が書かれた後、話は7歳の頃の日本帰還から、北海道での生活、また8歳の頃の東京での生活へと悲惨な思い出の路を辿ります。
そしてその中には小説「兄弟」で描かれた、放蕩の兄の存在が浮かび上がってきます。
特攻隊で生き残った(すべては兄の虚言だったようですが)兄の、際限のない放蕩に振り回され、合計10億近い借金を作られて、困惑(正にそれでも、困惑的思いでなかにし氏は兄を見ているのです)の極みに居る、氏の姿が描かれています。
兄が肝硬変で死んだとき氏が叫んだ言葉は、小説「兄弟」を読んだ時から、強烈に記憶の中に残っていました。
或る場所で頂点を極めた人は、また或る時代或る場所ではマイナスの頂点を極めていたのでした。
最期は癌との闘いで閉じられています。
今度は氏の「長崎ぶらぶら節」でも読んでみようかと思っています。
こちらは何故か以前から敬遠していたのですけど。
昨日の出張先で、ちょっと港に寄ってみました。
