先日TVで、今度の大阪万博の入場料が発表されていました。

 

案外高いものなのだなぁ~、と言うのがわたしの感想でした。

 

1970年の大阪万博では、わたしは全期間通しての入場許可証を持っていましたので、入場料金に付いては全く知らなかったのです。

 

当時の万博へは、工事開始一日目から関与していました。

 

万博開催の何年前でしたでしょうか、吹田の千里丘陵の藪を掻き分けて最初の第一歩の測量をした現場で、柿の実が付いた小枝を折って来た同僚が、作業場に待つわたしに「これ、お土産」と言って分けてくれたことが有りましたので、本当に会場建設の最初の一日目から万博には縁があったのでした。

 

千里丘陵をブルドーザーなどで均して、先ず平らな地域を作るところから始まりましたが、その当時からパビリオンの建設、道路の工事などなど、開会されるまででも数え切れず足を運んだものでした。

 

関連会社の所長さんから、ヘリコプターで道路建設の状況写真撮影を頼まれたこともありました。

 

当時のわたしは万博協会関連組織の係員で、万博開催に至るまでの、全般の進捗状況を把握しておくべき係の最下部の一員だったのです。

 

わたしのような立場の者は数名居られましたが、その中でもわたしが最も若年だったようでした。

 

工事中から会場内を回り、上司に何時何事かを質問されても良いように、現場の様子を見回っていたのです。

 

建設中からいろんなことが有りました。

 

或る国の現場で工事中のパビリオンの中から、駐在員の人が血相を変えて飛び出してきたので、何事かと見ていると、どうやら現場の作業員が国旗を上下逆にして挙げたらしく、身振り手振りで大騒ぎになったこともありました。

 

また、同僚が南米の或る国の前で、たまたま大きなクシャミをして唾を吐いたら、丁度その前にチェ・ゲバラの大きな写真パネルが有り、しばらくその国の恐そうな人から尾行されたり。

 

また各国の大使や公使や役人が、建設中から度々視察に来ますので、それらの先導中車がオーバーヒートして、国際的親切な人々に助けられたり。

 

各パビリオンのコンパニオン達の制服披露撮影会で、ふざけてコンパニオンの列に並んで、失笑されつつ新聞社のカメラマンから写真を撮って貰ったり・・・。

 

また開催されてからも、いろんなことに携わりました。

 

しかしこれを書き始めると切りが有りませんので、この付近までにいたします。

 

ただ、太陽の塔の中に入り、目玉男を見たり、会場の中の食堂で、ヤキメシに似ているのにピラフという名の食べ物を初めて食べたりしたことだけを書いておきましょう。

 

25歳の頃ですから、元気だけは良くてとにかく深夜まで働いたことを思い出します。

 

わたしにとっての万博とは、今考えれば非日常が日常のような数年だった気がします。

 

暑くなると風蘭の花が咲きます。