先日のTVで、昔の東北での行商のおばさんたちの事が語られていました。
わたしも似てはいませんが、一応行商のようなことをしていた経験があるのです。
わたしは27歳になる一月前に、大阪から故郷へ帰り家業を継ぐことに成りました。
家業は今までの仕事とは180度違って、文字通りの畑違い、農業園芸関係の商売でした。
家業に従事して暫くは親の真似をしながらお客さん対応をしたり、未経験ながら植物を遊び半分に育てたりしていました。
そんな或る日、自分ながらふと思い立って、商売の勉強、と言った程の深い意味は無いものの、外回りの行商のようなことをしてみようかと親に話してみました。
店もまぁ毎日忙しく、お客さんも来てくれていましたが、父母共に元気は良く、わたしが店を留守にしていても特に困ることも無かったのです。
父は「あぁ良いぞ・・」と簡単に賛成してくれ、早速始めることにしました。
後々考えたことですが、父はわたしが何かやりたい、何か改造したい、と言ったことは全てその通りにさせてくれていたのでした。
父は或る時、じいさんもワシの好きなようにさせてくれたから・・、とポロっと話したことがありました・・。
最初はリヤカーに花や肥料や土を積んで、市内を回り売り歩くことから始めました。
「花はいりませんか~~」声を出すのは少々恥ずかしいものがありましたが、大阪で9年ほど暮らしていますと、かなり心臓は強くなっていて、人に話しかけるのも苦には成りません。
しかし街中の住宅地には、見かける人がほとんど居ないのです。
偶に居ても、顔の前で掌を左右に振る人ばかりです。
割と重たいリヤカーを引きながら、これは率の悪い労働だなー、と悟るばかりでした。
今でも記憶に有りますが、一人だけ返事をして話しかけてくれた人がいました。
庭先に盆栽を並べた家で、40代くらいの男性が何やら盆栽の手入れをしていました。
わたしは「盆栽に良い土もありますよ・・・」などと適当に言って話しかけましたら、庭から道路に出て来て「わしはなー、盆栽の土は盆栽屋から買うんやわ」とちょっと見下したような口ぶりです。
・・・これはちょいと盆栽に詳しい人のようだ・・と思い、「そうなんですか・・花は要りませんか・・」と話を変えますと「うんまぁ良いだろう」と、今度は真っ当に相手をしてくれました。
その人とは、わたしが盆栽の修業を始め、また盆栽を多く扱いだしてからも長年お付き合いが続きました。
消防署に勤めている人で、消防署は夜間勤務がありますから、休みの日には盆栽の手入れに時間が取れます。
当時、消防署の人や国鉄の運転手さんなどが、夜勤明けの休みの関係で、近辺だけでも数人が盆栽を趣味として楽しんでいたのです。
リヤカー販売の非能率を知ったわたしは、軽四の車で販売に回ることに切り替えました。
そしてその回る地域も、より人口の多い県庁所在地の街へ出かけることにしたのです。
父の知人からスピーカーとマイクも借りました。 軽四のルーフキャリアに取り付けて、住宅地ではスロー運転しながらスピーカーで「花はどうですか・・」、と呼びかけることにしたのです。
その時父の知人に、えらく褒められたことを未だに憶えています。
「家に居ても両親とともに商売できるのに、今までの仕事の経験を投げうって花売りに回るとは・・・」と、その姿勢が良いと褒められたのですが、人間人に褒められたことは忘れないもので(褒められることの稀な程)50年経った今でも前進力になっているようです。
ところで、県庁所在地の団地を中心に車で回りましたが、結果は田舎と同じで、昼間の住宅地という所は人の姿が無いのです。
スピーカーで呼びかけても反応は有りません。
憶えているのは、一つの団地で、お婆さんと3歳くらいの女の子が、通るたびに玄関の戸を開けて出て来てくれまして、花を少し買ってくれるのでした。
お婆さんは多分、共稼ぎの若夫婦の留守に孫の面倒を見ていて、通りかかる花売り車で、孫のご機嫌取りも兼ねて花を買い、庭に植えたりしていたのでしょう。
想像できるのは、如何に共稼ぎ家庭が多いのか、ということでした。
そして当時団地にはお年寄りがほとんど居なかったのでは・・、とも思われました。
現在はその後50年ですから、その時の若夫婦が皆さんお年寄りに成っている訳で、回っていたわたしも立派な年長さんに成っているのでした。
県庁所在地の団地巡りも、その内先が見えて来て止めました。 団地内のスーパーマーケットの駐車場に車を止め、たこ焼き屋さんの隣で売って見たりしましたが、これも芳しいものではありませんでした。
そんな或る日、偶然小学校の正門前を通り掛かりました。
いくらあちこち回っても売れない日ばかりでしたから、ダメでもともとと、小学校の先生に要らないか聞いてみることにしたのです。
学校の職員室というものは、大体建物全体の姿からその位置は判るものです。
余り良いことの無かった記憶と共に、頭の隅にその位置関係はインプットされているものですから、スタスタと歩いて行って見つけることができました。
「あのー、花の苗などを売っている者ですが、こちらでは花苗はいらないでしょうか・・、肥料なども有りますが・・」
職員室のガラス木戸をガラガラと開けて、首だけ突っ込んで話しましたら、広い部屋の中に二人の先生が居まして、一人は離れた机に向かい掛けていますから、どうやら教頭先生のようです。
教頭先生は下を向いて顔を上げませんが、もう一人の痩せて背の高い女教師の方が、わたしの声に反応してくれました。
「えっ、花の苗? 嬉しいわ、見せて見せて・・」「予算が有るから、予算だけ買うから見せてください」
えっ、と嬉しいのはわたしの方です。 こちらですと車に案内すると、これとこれとこれと・・と、丁度5000円分予算分の花を買ってくれたのです。
わたしはドキドキしながら、計算機を叩き、あぁ遂にこんな日が来たのだ・・!! と心が震える思いがしました。
そして「ありがとうございました」と帰ろうとしますと、「ちょっと待って、直ぐに授業が終わるから、そうすれば花の欲しい先生も居るはずだから・・」と言うのです。
その後先生たち個人にもワイワイガヤガヤと買って貰って、わたしは何時になく晴れ渡った心のままに車を運転して帰路についたのでした。
それからは、県内各地のいろんな学校から、幼稚園保育所を専門に回ることにしました。
最初の学校の背の高い女教師さんは、回って行くたびに待っていてくれて、いろいろと買ってくれました。
また学校によれば、「予算が無いから今度お願いします・・」と、あっさりいってくれるので結論が早いのです。
予算が有れば買う、無ければ買わない、それぞれ事情が違う学校を効率よく回って行き、時にはその日最初に寄った学校で、車内の花全てを買って貰ったりして、意気揚々と帰ったこともありました。
しかしその内今度は次第に店の方が忙しさを増してきました。 世にいう園芸ブームが始まったのです。
それでわたしは自然に店番の時間が多くなり、また遠距離仕入れ出張も多くなり、学校回りは自然消滅となってしまいました。
時には~あの先生待ってるだろうなぁ・・~と思うこともありましたが、その後は店の仕事へ専念するしかありませんでした。
若い日、素人が行商のようなことをして回ったことが、何かその後の商売の役に立ったのかどうかは疑問ですが、その時にしたいこと、するべきでは、と思ったことをしてきて、結局、その間にも或る活路が見いだせたということは、無駄な事ではなかったような気はしているのです。
風蘭の棚にお客さんが来ていました。 蘭に成った気になってるのかも知れません。
蘭だとしたら、かえラン ですか?
