昨日は大阪に住む息子が、GW帰省を済ませて大阪へと帰って行きました。
3日に来て3泊して帰りましたが、何か帰った後不思議な感覚を憶えました。
近年の帰省からしたら(と言ってもコロナで4年は間隔があいていますが)、何となく帰った後の寂しさが違うのです。
何故か・・・、思いつくのは、今回は一人で帰って来たからなのだろうか・・・、と思えるのですね。
コロナ前の十何年間は、賑やかな家族連れで帰って来ていたものでした。
嫁さんと、年ごとに成長していく男の子孫と女の子孫とを引き連れ、4人で帰省してくるのが当たり前となっていたのです。
しかしコロナ後の今回は、女の子孫は大学生と成り、男の子孫は高校生と成り、二人ともバイトや部活があり、嫁さんも子供の世話で帰って来ませんでした。
そんなことで4年ぶりの帰省は、40代後半の息子だけとなったのでした。
息子だけですから、丁度予定に有った仕入れ出張も久しぶりに、本当に何十年ぶりかに一緒に行きましたし、毎日良く話もできました。
息子は、わたしが去年の年末から今年初めに、やや体調を悪くしていたことの心配もしていたらしいのですが、会って顔を見てその点も安心したようでした。
わたしの方も息子の仕事関係や家族の様子を聞いて、平穏な様子に安心したものです。
そして昨日の朝大阪へ帰って行ったのですが、駅での今までの賑やかな見送りと違い、一人で列車の座席に座る息子を見送り、何となくしんみりとしてしまったのでした。
見送った後で沁み込むように心に伝わってきたものは、それは息子が十代から結婚するまでの間の、一人での帰省の後の見送りの感情と似たものだったのです。
高校を卒業して大阪へ旅立ち、就職したことはわたしと同じなのですが、見送られる方と見送る方では、やはり違うものだなぁ、とつくづく感じられるものが有りました。
今回の帰省は孫たちも居ませんから、昔話や将来の事も話せ、わたしも自分の亡き後のことまで、今考えられることをお互い話し合いました。
商売の事、会社の事、個人の事、子供達それぞれの事、いろいろとゆっくり話せ、それらの話を身近な実感として感じることの出来る年齢に、お互いが成っていたのでした。
何度何度も見送った駅で、列車に乗る息子に見えなくなるまで手を振りましたが、今回は何故か、息子の20代の頃のやや頼りなかった面影などが、自分の心に不思議に蘇ってくるのでした。
考えてみれば、もしかしてこれはわたしの年齢に寄る昔回帰現象なのかもしれません・・・。
・・・今度の帰省は、家族で賑やかに来てもらいたいものです。
アリストロメリアのロックンロールです。
