「マンガ 日本の歴史 23」 弥陀の光明をかかげて
は、仏教のことばかりでした。
鎌倉時代に入り、栄西によって臨済宗が、道元によって曹洞宗が伝えられ、武士や上層農民の心を捉え、下層農民に法然の浄土宗や一遍の時宗、親鸞の一向宗(浄土真宗)日蓮の法華宗が伝わり知られますが、わたしはこの方面には全くと言ってよい程関心が有りません。
人類は何故宗教を求め、何故またそれを布教しようとするのか?
ということに関しましては興味が有りまして、自分ながらの考え方もそれなりに持っているのですが、具体的な宗派の歴史や各派の動きなどには然程関心は無いのです。
従いましてこの巻は割愛しまして、次の巻へ進むこととしました。
という事で、今日は映画「ファーザー」の話をしたいと思います。
原題は「The Father」と成っています。
原題からですと「父なるもの」的な感覚になりますが、「ファーザー」ですと「我が父」ですとか「父よ!!」などといろいろ広がる感じがするものの、一人の主役が他に居て、父を語っているように感じられますね。
しかしこの映画は父そのものが主人公で、父の目から見た風景が語られていますから、原題の「ザ・ファーザー」の方が良いのかも知れません。
この映画はわたしから見ますと、とても恐ろしい映画でした。
多分、若い時に見たとすればそんな気分には成れなくて、むしろあまり感慨の湧かない部類に入る映画なのでは、と思われるのですが、現在のわたしの年齢になってみてこの映画を見ますと、それは他人事では無く、「あぁなんと、恐ろしや・・・」 といった気分に引き込まれます。
映画は認知症の主人公の目から、全てが描かれていますから、娘が入れ替わったり、娘婿が居たり居なかったりまた入れ替わったり、また主人公の世話をする女の人が替わったり、主人公が入っている施設の看護婦さんが以前は娘だったり。
住んでいる所も自分の家だったり娘の家だったり、その時の妄想で全てがコロコロと替わるのですね。
最後はやはりというか、子供化して、看護婦さんの胸で泣いたりします。
現実の世界に住みながら、過去と現在が入れ替わり立ち代わり、途方に暮れながらも生きて行かなければ成らない。
時には突然明るくなってダンスをしたりするが、どうしようもなくなれば、ママの胸で泣きたくなる幼い日に帰る。
あの「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスが、自然体の演技で、我々年寄りに自分自身に対する恐怖心を芽生えさせてくれる映画だったのです。
アンソニー・ホプキンスはこの映画で二度目のアカデミー主演男優賞を獲得していますが、映画を見ていて、ちょっと腹が立ったり、哀れに思えたりしますから、やはり名演だったのでしょうねぇ。
クリスマスローズ
